アートディレクターであり、コスチュームデザイナーとして知られる石岡瑛子氏がすい癌で、21日に東京都内で死去した。73歳。
石岡氏は、東京芸術大学を卒業後、広告やグラフィックデザイナーとしてキャリアをスタート。資生堂を経て1970年に自身のスタジオを設立。パルコ、資生堂、角川書店などの広告キャンペーンを手掛け、話題を集めた。80年代に渡米し、ニューヨークを拠点に活動。映画、演劇、オペラから展覧会、ミュージックビデオなど、幅広いジャンルの創り手として活躍した。
これまでの仕事に、シルクド・ソレイユ「ヴァレカイ」、オランダ国立オペラ劇場「ニーベンルグの指輪」四部作の衣装、ソルトレイク冬季オリンピック、北京オリンピックの開会式の衣装デザイン、デビッド・カッパーフィールドのブロードウェイのショーのディレクション、ロックミュージカル「スパイダーマン」の衣装、ジェニファー・ロペス主演「ザ・セル」を初めとするターセム監督の一連の作品のコスチュームデザイン、ビョークの「Cocoon」のミュージックビデオのディレクションなどを手掛けている。
また、フランシス・コッポラの「ドラキュラ」ではアカデミー賞コスチュームデザイナー賞を、マイルス・デイビスのアルバム「TuTu」のアートワークでグラミー賞を受賞。さらにポール・シュレイダーの「Mishima」のプロダクション・デザインでは、カンヌ映画祭の最優秀芸術貢献賞を受賞。
1992年には、ニューヨーク・アートディレクターズ・クラブ名誉殊勲賞により殿堂入り。MoMAに作品が収蔵されている。また、2002年には紫綬褒章を受章。
「ブレーン」2006年8月号では、石岡瑛子氏のレクチャーショウ(聞き手:小池一子氏)を採録。その中で石岡氏は最後に次のように語っている。
石岡:私が10代の頃の日本社会というのは、「女性には職業を持つ権利などない」という風潮に満ちていて、本当は職業を持ちたいのに、妻や母の立場に甘んじている女性が多かったんです。幸い私の両親は女性が職業を持つことに肯定的だったので、やがて私は芸大でグラフィックデザインの勉強を始めるわけですが、芸大でデザインを専攻していると言うと、「芸大にファッションデザイン科があるんですか?」とよく聞かれました。つまりそこには「女=ファッションデザイン」という短絡的な発想しかなかったんですね。そういった、ある種の色眼鏡を通して判断されるという環境はその後もずっと続いて、グラフィックデザイナーとして仕事をするようになれば「女のデザイナー」と言われ、海外で仕事をすれば「日本人のデザイナー」と言われました。でも私はそうした逆境にあればあるほど、逆に力の湧いてくるタイプなんです。だからラッキーだったと思うんですよ。自らを成長させ、続けることのできる環境を、社会が用意してくれたわけですから。
小池:では「女はダメだと言わせない」を石岡さんにとっての第一段階、「日本人はダメだと言わせない」を第二段階のミッションと考えると、これからチャレンジすべき課題となる第三段階のミッションは何になるんでしょう。
石岡:そうですね。「年寄りはダメだと言わせないミッション」、やはりこれでしょう(笑)。デザイナーという仕事に年齢と制限はありません。むしろ年齢を重ねるたびに表現の質を向上させていける仕事です。ですから私はこれからも、自分がどう変化し、どう成長していくのか、それを楽しみにしながらデザインへの挑戦を続けていきたいですね。
(「ブレーン」2006年8月号 石岡瑛子が語るクリエイション「I DESIGN-石岡瑛子の仕事像」より)※なお、この号は現在、販売はしておりません。
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