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コラム

編集・ライター養成講座修了生が語る いまどきの若手編集者・ライターの生き方

「レンズを伏せるのは、撮るな言われた時だけや」――被災地で伝える側に立った<前編>

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岸田 浩和(越境ライター、ドキュメンタリー作家/編集・ライター養成講座第2010年春東京教室、同・2010年10月上級コース修了)

「編集・ライター養成講座 総合コース」と、同・上級コースを連続受講した岸田浩和さん。講座修了の翌月に発生した東日本大震災を受け、東京からいきおい、新調した一眼レフカメラを抱えて被災地へ向かう。「どうしたら伝える側に立てるのか」とやって来たものの、初めての取材現場で完全に萎縮(いしゅく)してしまっていた。

ミャンマー難民と被災者の交流

前編1

海岸線から500メートル以上離れた、小高い丘にある墓地の中腹に乗り上げた石巻線の車両。車内の座席には海藻が絡まっていた。

「オドオドしないで、しっかり寄って撮れよ」。そばに居た先輩――フリージャーナリストとして活躍する赤津陽治さんが、見るに見かねて声を掛けてきた。「できるだけたくさんの人に話を聞くんやで。メモもちゃんと取れよ」。赤津さんの指示に「はい」と答えるが、憔悴(しょうすい)した被災者を前にすると、声もかけられない。遅れてやって来た全国紙の記者やテレビクルーが、次々と被災住民や炊き出しの主催者をつかまえてインタビューを始めている。

2011年5月1日。震災後1カ月半を経た、宮城県石巻市鹿妻地区に私はいた。政治難民として日本に暮らすミャンマー(ビルマ)人94人が、被災地の住民に向けて炊き出しをするという。「私たちを受け入れてくれた、日本への恩返しです」と話す彼ら。難民仲間でカンパし、ミャンマー風カレー500食分の食材を準備、チャーターしたバスにプロパンガスと大鍋を積んでやって来た。

前編2炊き出し

宮城県石巻市で行われたミャンマー(ビルマ)人による炊き出し。ミャンマー風カレーと春雨スープ500食分が振る舞われた。「辛くないし、おいしいよ」と、地元の子どもたちも笑顔を見せた。

炊き出し会場となったのは、被災家屋が密集する地区にある、焼き肉店の駐車場。店舗の窓ガラスはすべて割れ、ブルーシートで塞がれている。周囲の民家の1階部分は、壁が抜けたり、自家用車が突っ込んだままで、人の気配はない。風が吹く度に、津波が運んできた砂塵が舞いあがり、プラスチックの焦げたような匂いや魚の腐臭が漂ってくる。こんな場所に人が集まるのだろうかと訝(いぶか)っていたが、カレーに湯気が立ち上り始める頃には、30人近く行列ができていた。近くの避難所や家屋の2階部分で生活する被災住民が、炊き出しの情報を耳にして続々とやってきたのだ。
 
震災のニュースを見て、いても立ってもおられず、どうしたら「伝える側」に立てるのかを考え続けていた。ミャンマー関連の取材を続ける赤津さんが大学の先輩という縁もあり、頼み込んで取材に同行させてもらった。

前編3街頭映画

石巻市内で開かれた、街頭映画上映会の様子。ビルの壁面がスクリーン代わりになっている。

――「取材を手伝うてくれるなら、一緒に行こう」。願ってもないチャンスだった。新調した一眼レフカメラを抱えて被災地にやって来たが、初めての取材現場で、私は完全に萎縮(いしゅく)してしまった。経験もなく、どこの組織にも所属していない自分に取材をされて、被災した住民は不快に思ったりしないだろうか。不安が大きくなり、話を聞くための一歩が踏み出せなかった。

ようやく宮城まで足を運んだのに、あまりにもぶざまな自分の姿が情けない。カメラを持つ手に力がこもり、ミシミシと音を立てる。

そんな様子を見かねたのか、移動の車中で先輩が声をかけてくれた。
「岸田は取材に来たんやろ。何かを伝えたいんやろ。写真を撮って話聞くことが仕事なんやから、迷ったらあかん。レンズを伏せるのは、撮るな言われた時だけや」。

泥まみれの服を引っ張り出す老人

翌日、複数の漁村が壊滅状態に陥ったという、牡鹿半島に向かった。

前編4十八成浜にて

牡鹿半島の十八成(くぐなり)浜で出会った永浦さん。「もう着れないけど、自分のものが見つかると嬉しいね」。自宅の跡を片付けるのが日課だという。

十八成浜(くぐなりはま)という人口100人ほどの集落で、倒壊した自宅を片付ける 70代の老人に出会う。基礎と1階の床だけが残された家屋に腰掛け、残骸の中から泥まみれの衣類を引っ張り出そうとしている。話を聞かせてほしいとお願いすると、しわがれた声で「どこの新聞記者さん?」と返され狼狽した。「いや、フリーのライターで取材に廻ってるんです」と答える。相手にされないか――老人は立ち上がって私の顔をじっと見据えながら言った。

「あぁ、そうなの。この状況、しっかり書いて伝えてくださいね」
 この後も三陸沿岸と福島を廻ったが、話を聞いたり、写真を撮って邪険にされることは一度もなかった。こちらがしっかり名乗って取材の主旨を伝えれば、大手新聞社の記者であろうがフリーであろうが、受け手は分け隔てなく接してくれるのだと、肌で感じた。
 
後日、ミャンマー人の炊き出し取材の記事が、先輩の所属するアジアプレス・インターナショナルを通じ、「ヤフー・ニュース」に配信された。3枚の写真とキャプションに、私の名前が記名されている。いよいよ自分が「伝える側」に立ったのだと思うと、被害の爪あとはいっそう生々しく目に映りはじめた。

(当時の記事はこちら

次回(後編)は13日(火)に掲載します。

kishida

岸田浩和(きしだ・ひろかず 越境ライター、ドキュメンタリー作家)
1975年京都市生まれ。94年、立命館大学在学中に、僻地バックパッカーの壊れた羅針盤「越境新聞」を創刊。「紛争地域の入境指南シリーズ」で、大学厚生課より大目玉をくらう。97年よりヤンゴン外国語大学(ミャンマー)へ留学。国境地帯“ゴールデン・トライアングル”の踏破に情熱を傾ける。水かけ祭り中にパスポートが水損し、99年帰国。2000年より光学メーカー勤務の傍ら、専門誌の寄稿からライター活動を開始。『編集会議』(宣伝会議刊)の作家インタビューの執筆協力など。東日本大震災後は東北取材に注力し、「月刊東北まぐ」(まぐまぐ)へ写真レポートを寄稿中。12年、被災地の缶詰会社再建を追いかけた「缶闘記」を発表。同作で、日本財団・写真動画コンクール2012および、第6回京都国際インディーズ映画祭にてグランプリ受賞。第7回・札幌国際短編映画祭で招待上映。今後は、ミャンマーを題材にしたルポ、ドキュメンタリー映像にも取り組む予定。

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