コラム

ビデオコミュニケーションの21世紀〜テレビとネットは交錯せよ!〜

テレビはもはや「次に何が起こるかワクワクして見るもの」ではなくなっている

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【前回】「テレビは見られているのかいないのか、よくわからなくなってきた件について」はこちら

テレビと視聴者の関係が変化した

画像提供:shutterstock

テレビとはなんぞや?という問いは昔からありました。

1960年代に出版された書籍『お前はただの現在にすぎない』は、この問いへの回答となる歴史的な名著です。内容は、タイトルにつきる。テレビとは、ただの現在なのだ。テレビ論の基本となっています。

この考え方をもっとも具現化したのは、私が思うに「欽ちゃん」、萩本欽一氏です。ハイブローなテーゼを形にしたのが欽ちゃんというのはすぐに納得できないでしょう。でも、そうなんですよ。

2013年2月1日、テレビ放送が始まって60年を迎えたこの日、NHKはそれを記念する番組『テレビのチカラ』を放送しました。その中で、欽ちゃんがもっとも影響を受けたテレビ番組として挙げたのは「あさま山荘事件」の中継映像でした。

過激派が立てこもる山荘で何が起こるのか、中継映像はぶっ続けで山荘を写し続けたのです。「窓ばかり写すのね」と、欽ちゃんは言います。コントの練習をしていたのに戻ってこない二郎さんが、テレビに映る山荘の窓をじーっと見つめていたのだそうです。

その時、気づいたのだそうです。テレビは「何かが起こっている」から見るのでなく、「何かが起こりそう」だから見るものだと。

この発見から生まれたのが『欽ドン!良い子悪い子普通の子』でした。素人や新人ばかり起用したお笑い番組です。次に、どんな反応を示すのかわからない素人だから面白い。アドリブをエンタテイメント化するという発想の大転換です。そうやって、欽ちゃんは“視聴率100%男”と呼ばれる、テレビ史上類のないヒットメイカーになっていきました。

その後、各時代で一世を風靡した『元気が出るテレビ』『オレたちひょうきん族』『進め!電波少年』どれもこれも、台本無視や、ドキュメンタリーのような作り方で、欽ちゃんの系譜を継いでいると言えます。テレビはずっと、何かが起こりそうで、次に何が画面に出てくるかワクワクする装置でした。

お笑い番組じゃなくても、番組を送り出す側は「何かが起こりそう」を意識していたと思います。例えば、テレビはどうしてあんなにクイズを出すのか。クイズ番組はもちろんですが、普通の情報番組のつもりで見ていると、突然「ここで問題です」とクイズをはじめます。そうやってクイズを出されると見ているこっちも「うーんとAじゃないか?いや、Bだ!」と大まじめに考えてしまい、当たると「ほらな、Bだ!」とお父さんがドヤ顔で家族に言って白けられたりします。

クイズだけじゃないですね。とにかくテレビはよく“引っ張る”演出をします。「次のコーナーでは、話題のあの女性が!」と言って顔に「?」がかぶさってCMに入ると、「えー?誰だろう?」とCMの間も素直に待っちゃったりして。まあ、テレビと人とのつきあい方ってそんな感じでした。

ところが。

ふと気がつくと、私は待てなくなっていました。引っ張られなくなってきました。クイズ出されて、「Bだ!」と一瞬考えはするのですが、少し待っても答えが出てこないと、「なんだよ、もういいよ!」とチャンネル変えちゃったりしています。「次のコーナーでは!」と意味深に「?」をかぶされた人物が出てきて誰だろうと一瞬気になるのですが、もう待ったりしません。すぐに答えを教えてくれないのか。そうわかった途端、「じゃ、見なくていい!」という気持ちになってしまいます。

私はもう、引っ張られなくなっている。テレビはもう、視聴者を引っ張れなくなっている。明らかにそんな現象が起こっています。少しでも引っ張ったら、すぐにスマホに向かいます。Facebookで新しい投稿を探します。やりかけのゲームの続きをまた始めます。

テレビが少しでもスキを見せると、もう興味を失ってスマホに向かう。そんな感覚が人びとを覆いはじめているのです。

これは何なのか?どういう背景か?テレビはもう、次に何が起こるかワクワクして見つめるものではなくなってしまったのか?

次ページ 「その答えはモバイルシフトにある」へ続く

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