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コラム

マーケティングを“別名保存”する

我々は、デジタルメディアで「邪魔」されたがっている

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「邪魔(interruption)」と似て非なる概念として「妨害(intrusion)」がありますが、こちらはインターネットにおいて極端に嫌われます。画面をスクロールするたびに追いかけ回されるバナーであったり、強制視聴の動画インサートだったり、いわゆる「intrusive(妨害的)」な広告に、生理的なものに近い、強い不快感を覚えることがある方も多いのではないでしょうか。このことには二つの理由があります。一つは、インターネットの登場前、英文学者であり、文明批評家のマーシャル・マクルーハンが正しくも喝破した通り、メディアは感覚器官の延長であるため、我々は妨害的な広告に対して、ある意味、身体の一部を乗っ取られているような感覚を覚えるためです。

もう一つの理由は、妨害が我々に(妨害してくる対象への)集中を強いるためです。先ほどの「邪魔をする執事」のアナロジーで、突然書斎に入ってきた例の執事が、岸本さんのくだりを何回も繰り返し、部屋から出て行ってくれなくなったら(狂気の沙汰ですが)、それはもはや邪魔ではなく妨害です。今度はイラっとしていられるほど悠長な状況ではなく、我々は怒ってみたりなだめてみたり、いわば戦略的な「対処」モードに入ります。手紙への集中を解いて、今度は執事に集中しなくてはいけないのです。そして、繰り返しになりますが、インターネットにおいて集中は無意識に忌避されます。

ありとあらゆる邪魔が有益な情報をもたらすソーシャルメディア全盛の時代にあって、我々は集中状態をより一層、本能的に忌避するようになりました。その証左として、インターネットにおけるコンテンツは、集中力を要する形式から集中力を要しない形式へと進化の一途をたどっています。ホームページ→ブログ→日記→つぶやきと来て、今や僅か6秒の動画や一枚の画像が、コンテンツの世界を席巻しています。

集中状態にはないユーザーを、「妨害」せず「邪魔」をして、邪魔されることの裏側に潜む期待に答える。つまり、文脈に沿った有益な情報を提供する。以上の議論を踏まえると、このことが、インターネットにおける広告コミュニケーションの要諦です。

冒頭の『アンナ・カレーニナ』のオープニングシーンで、執事マトヴェイはひげ剃りの最中、主人に手紙を届けるのですが、その手紙の内容は気落ちしていたオブロンスキーを喜ばせます。お気に入りの妹アンナが、夫婦喧嘩の仲裁にモスクワを訪れてくれる、という報せです。邪魔が歓迎されるのは、あくまでそれが有益な情報をもたらしてくれるものと、無意識ながら経験的にユーザーが理解しているからでした。我々マーケターも、マトヴェイの教えに反し主人の邪魔をするのであれば、その代わりに常に良い報せを届ける執事でありたいものです。