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コラム

ロサンゼルスの現場から。~日本語しかできなかったコピーライターが、気付いたら、LAでクリエイティブスタジオを設立していた話~

まさかのApple担当に! TOEICスコア550点で海外出向から生まれた奇跡

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日曜の夜、いまでも自分がどうしてここにいるのか、どこへ行くのか、不安と高揚の間で感傷的な気分になることが、よくあります。

多くの読者の方々、はじめまして。米・ロサンゼルスと東京を拠点としたクリエイティブスタジオ「Death of Bad」でパートナー兼クリエイティブディレクターをしている、曽原剛です。

このコラムでは、日本と米国・グローバルの広告クリエイティブビジネスの最前線の現場で経験してきたことをもとに、ひとりのクリエイティブディレクターとしての現場の声をざっくばらんに伝えていきたいと思います。

コラムのメインタイトルを「ロサンゼルスの現場から。」としましたが、海外のマーケティングトレンドを紹介したり、学術的にグローバルマーケティングに関するトピックを取り上げたりするのではなく、あくまで“現場”の声をお伝えしていきます。

初回は、自己紹介として、そもそも英語もろくに話せなかった“超ドメスティックな”コピーライターの私がどうしていまでは複数言語を使いこなし、太平洋を股にかけて仕事をする(なんだか、カッコよく聞こえる!)ことになったのかをお話しましょう。

運も実力のうち。もしくは、努力とリスクが運を呼ぶ

1999年、私はごく普通に日本の大学を卒業し(帰国子女ではありません!)、コピーライターとして博報堂に入社しました。その後7年間は、頑張って仕事をし、それなりに評価され、「そろそろCDになれるかな」と思っていた矢先の2006年、会社から突然、業務提携先のTBWA\Chiat\Dayへの出向を言い渡されました。

ちなみに、その時の私のTOEICスコアは550点(笑)。それでも、「いや、ムリっす」と断る気持ちはなぜか芽生えず、二つ返事でロサンゼルスへと飛び立ちました。

ロサンゼルスの海岸での撮影現場にて。写真左が筆者。

渡米直後の半年間の苦労は長くなるので割愛しますが、忘れもしないとある火曜日の夜。「このままだと何にも成果を出せずに帰国することになるぞ」と半ベソをかきながら、夜間英語学校からアパートへ帰る道すがら、「Appleチームの人手が足りてないから、手伝ってくれない?」という奇跡(!)の電話が入りました。

そこからの8年間は、まさに“Appleに捧げた8年間”でした。Mac vs PCキャンペーン、数多くのiPodキャンペーン、iPhoneやiPadのローンチ。担当マーケットも、3カ国から15カ国へと拡大するなか、自分の立場もコピーライターからCD、さらにはグループクリエイティブディレクターへと責任とチーム員が増大(その間に私も博報堂からTBWAへと転職しました)。

博報堂に入社する。ロサンゼルスに派遣される。Appleの担当になる。―こうしてみると、とんでもなく運に恵まれてきたキャリアです。私もそう思います。ただ、至極当然のことですが、私もただただ運が舞い降りてくるのを待っていたわけではありません。

私がチャンスや運をモノにするために常に考えてきたこと。それは、「自分が得意なこととは?ライバルや歴代チャンピオンたちで溢れかえっていないリングは何なのか、自分が勝てるリングは一体どこにあるか?」ということでした。

同僚とロサンゼルスのカフェで仕事中に撮影。

次ページ 「答えはひとつじゃないから、面白い」へ続く