コラム

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チームラボ代表 猪子寿之×坂井直樹 対談 ~脳を拡張するものに、人間の興味はシフトする

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長い時間までさかのぼって、一瞬を見ている

坂井:アートやデザインでよく出る言葉で、「間」がすばらしい、とか言いますよね。でも猪子さんは、それを「欠落」って言っているよね。あの視点はちょっと面白いよね。「間」は褒めているけど、「欠落」は褒めてないよね。

猪子:「間」っていうのは意図があるってことですね。でも僕は、そもそも意図がないと思っていて。前提として、人間の肉眼は見えている範囲がすごく狭くて浅い。たとえば両手の人指し指を顔の前に出して、右手の指を見たら、左手の指はもう見えなくなっている。でも、ふつうはもっと見えているように思っていますよね、それは目玉が動くから。

坂井:あと見た画像の記憶だよね。

猪子:そう。過去までさかのぼって画像を合成して、空間を再構成しているんだと思うんです。現代人は、カメラのレンズと同じような論理構造でもう一回空間を再構成しているので、都市で撮った風景写真を見ても、自分で見たものとそんなに変わらないと思うはずです。

でも、山や森でイマーシブな(=没入感のある)体験をした後、写真を見ると、自分で見てきた体験と写真が違う、と感じた経験が、誰しもあると思うんです。森とか山みたいなものは、都市と違って、すごく広範囲に見ているんですね。

坂井:都市は目的を持って移動しています。一方で森の中の移動は体験を取りに行って無目的なので、広範囲に見ているのではないでしょうか。

猪子:はい。ちょっと話が変わるんですけど、近代以前の東アジアの絵画、大和絵や源氏絵巻みたいなものは、本当にああいう風に見えていたと思うんです。屋根がないから鳥瞰図とも違う。体を使って歩き回りながら世界を認識していて、長い時間までさかのぼって一瞬を見ていると思うんですよ。

現代人はフォーカスを変えたり目玉を動かしたりするぐらいの合成はしていますけど、近代以前の東アジアの人たちって、森を歩き回るときもそうですけど、過去までさかのぼって合成しているんですね。

ただし、人間の脳なんて、そんなにキャパシティは変わらないはずなので、過去まで遡っているということは、つまり瞬間の情報量はすごく少ないはずなんです。なので、重要ではないもの以外は捨てている。むしろ捨てざるをえない。過去まで遡って合成しているとしたら、瞬間的に見ている情報は少ない。そもそも重要ではないものは見てないから消える。

だから、間をデザインしたように言っているけど、それはすごく現代的な解釈で、意識的に省略したというよりは、見えてない。そもそも欠損されている。

坂井:それが雲だったり白紙だったりになるということですね。

猪子:明らかに時間軸の使い方が違っていただろうと思う例をわかりやすいので言うと、1877年に「パリの通り、雨」という作品があります。

坂井:ギュスターヴ・カイユボットが描いた、雨に濡れた歩道が表現されているにもかかわらず、背景がぼやけていて、あえて雨そのものは描かれていない絵ですよね?

猪子:そうです。ぼやけているのは雨を瞬間的に捉えているからです。でも18世紀とか19世紀の浮世絵師たちは、雨を線で描いた。線に見えているということは、長い時間軸で合成しています。時間が長くなると、瞬間には重要なものしか記録できなくなります。全体の容量が一緒だとしたらね。

坂井:なるほど。さっき森の中にいるときは、歩き回った体験から風景を見ている、という話があったけど、これを言い換えると、自分自身で見てつかんだ一次情報を足しているってことなんだよね。つまり独自の経験が合成されている。

次ページ 「自分を超越したものを、求めだす」へ続く

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