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威風堂々のリーダーに立ち向かう――市場再創造への挑戦1(音部大輔)

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【前回記事】なぜ「パーセプション」に着目するのか――『The Art of Marketing マーケティングの技法』(音部大輔)より

12月1日に発売した音部大輔氏による新刊書籍『The Art of Marketing マーケティングの技法 ― パーセプションフロー・モデル全解説』。発売前から話題を集め、早々に重版が決まった本書に収録した、市場再創造のストーリーを一挙公開。

音部氏がP&Gジャパンで洗濯洗剤「アリエール」を担当した当時、市場には破竹の勢いでシェアを伸ばす花王の「アタック」がリーダーとして君臨していました。そのころ「小型化」が重要属性とされていた洗剤市場を、「除菌」訴求で再創造していく過程を3回にわたって紹介します。

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定価:2,640円(本体2,400円+税) A5判 304ページ

市場を一変させた競合ブランドのイノベーション

はじめてパーセプションフロー・モデルを使うことになったのは、P&Gに勤めていた頃のことです。洗濯洗剤アリエールで除菌を訴求するというプロジェクトでした。

1980年代末、洗濯用の粉末洗剤は花王のアタックによって箱のサイズも重量も4分の1以下に小型化されました。それまでは洗剤を買う日は他の買い物は一切できないほどの大きさでしたが、自転車の前かごに入るようになりました。小さくなった洗剤は生活を変え、洗剤市場は再創造されました。「いい洗剤とは小型の洗剤だ」という認識が確立され、アタックが新しいリーダーとなります。当時、マーケティングを専攻する学生の多くがこの事例を学びました。

大幅な小型化は画期的な技術革新でしたが、翌年には競合各社が追随しはじめました。市場の再創造をもたらしたアタックは、リーダーの地位を強固に維持し続けたものの、差別化の難しさから競争の苛烈さは店頭を巻き込み、日常的な価格競争により市場全体の利益は圧迫されていきました。客寄せの目玉商品として、店頭では利益を度外視した山積みが頻繁に行われ、メーカー各社も資金などを支援していました。

ブランド間の均質化で価格競争が激化

「洗剤を小さくした最初のブランド」と認識されていたアタックは、3位のアリエールよりも100円(≒約30%)ほどの高値で倍以上も売れていました。アリエールは直近の売り上げを支えるために価格への依存度を高め、マーケティング活動に使える資金の自由度は抑えられていきます。差別化の資金を失うことは、さらなる価格競争を招きます。アタックによって「いい洗剤とは小さい洗剤だ」と再創造された洗剤市場は、ブランド間の均質化によって、にわかに「いい洗剤とは安い洗剤だ」と再定義されつつありました。

アリエールの最大の製品特徴は、漂白成分を配合していたことでした。粉末の漂白成分を洗剤の中で安定させるのは固有の技術でしたから、「どの洗剤よりも白くなる」という機能の訴求を可能にしていました。学校の身体検査などで子供たちの下着や運動着を一番白く保てる、といった情景を描き、「母親」という自我と感情に訴えかけました。印象的な広告は、国際的な広告賞に入選したこともあります。

これらはアタックが訴求していた「スプーン一杯で驚きの白さに」という訴求に対抗したもので、アリエールは「一番白い」と訴求していました。ただ、こうした製品上の差をみずから実感できたのは一部のロイヤルユーザーだけで、ほとんどのユーザーの購入理由は「他のブランドよりもちょっと安い」でした。

当時のアタックは、新市場を創造し、破竹の勢いでシェアを伸ばして市場を席巻した覇王です。競合するブランドの駆け出しの担当者から眺めたとき、それは1位ブランドの威容を体現した、まことに恐ろしげな競合でした。圧倒的なシェア、それを支える強力な店頭と広告量、消費者への浸透とロイヤルユーザーの満足。以降、何度も経験することになる「1位ブランドへの挑戦」の緒戦です。旧約聖書に巨人ゴリアテに挑むダビデの話があります。アリエールは、「ちょっと安い」を唯一の武器に、ギリギリで対峙するダビデのようでした。

「失敗したら、クビになっちゃうかもね」

90年代中盤にグローバルの方針で、取引制度が見直された結果、店頭での値下げの原資を失い、実売価格が大きく引き上げられました。唯一の武器を封じられたアリエールは、それまで16%程度あったシェアの半分を一夜にして失い、8%まで急落します。

早急なシェア回復が必要でした。生産効率を求めて高速化したラインは、生産量を落とすと利益率を大きく損ないます。また、洗剤のような主要カテゴリーの商談は、どこの取引先でもいちばん最初になされます。洗剤の商談がうまくいかないと、柔軟剤などのブランド群は商談時間を失い、全社に悪影響を及ぼします。シェア急落と同じくしてブランドマネジャーが退職し、直後に緊急プロジェクトが立ち上がり、半年後の1997年の春に失地回復を目指してブランドの再導入が決まりました。

具体的なアイデアはまだありませんでしたが、「ウルトラⅥ」というプロジェクト名が与えられました。そして、ブランドマネジャー昇進前の私が、この急ごしらえの回復プロジェクトを任されたのです。

著しく緊張した状況で、ブランドマネジャーでもなく、大した経験もないのに旗艦ブランドチームを率い、威風堂々のアタックからシェアを取り返してこい、という任務です。「これ失敗したら、音部くんクビになっちゃうかもね」と会議中にうそぶく営業部長もいました。参加者たちを前にあらかじめ自身の責任を回避したとも、背水の陣のチームを鼓舞しているとも聞こえました。ブランドマネジャーになり損ねていたうだつの上がらない担当者に、やっと巡ってきた幸運か。それとも破滅のワナか。はじめて経験するプレッシャーに、内臓が締め上げられました。

旗艦ブランドの苦戦はマネジメントの関心や介入を招くことが多いものです。彼らの経験の力を借りて、失敗を回避できることもありますが、ときに報告に時間がかかり減速につながることもあります。マネジメントとブランドチームの間をつなぐアソシエイトディレクターやディレクターは、周到かつ果敢にマネジメントの介入からブランドチームを庇護しました。半年しか時間がない中、マネジメントへの頻繁な報告に時間を失わずに済んだのは、こうしたミドルマネジメントの頑強な支援があったからです。

私もブランドチームも組織政治とは無縁で、この直掩がなければブランドは簡単に独立性を失っていたでしょう。立場による貢献の違いを学ぶ機会ともなりました。組織が大きくなるほど、こうした組織管理能力がプロジェクトの命運を分けます。上司たちのおかげで、ブランドチームには大きな自由度が確保されました。

他部門の協力を得るために、上司のオフィスに支援をお願いしにいった日のことをよく覚えています。彼には「Don’t bring your problems to my office. (私のオフィスに君の問題を持ち込むな)」と言われました。私は問題の解決を助けてもらいたかったのですから、ひどく冷酷なセリフです。うろたえつつも、このセリフを好意的にとらえれば「自分で解決してこい」とも理解できます。「マネジメント対応の面倒は引き受けたから、your problemsつまりプロジェクトそのものについての問題は、全部任せた」と言ってもらえたものと解釈しました。厳しい口調でありながら、プロジェクトと部下の成功を思いやるリーダーでした。

(第2回へ続く)

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音部大輔(おとべ・だいすけ)
株式会社クー・マーケティング・カンパニー 代表取締役

17年間の日米P&Gを経て、欧州系消費財メーカーや資生堂などで、マーケティング組織強化やビジネスの回復・伸長を、マーケティング担当副社長やCMOとして主導。2018年より独立し、現職。消費財や化粧品をはじめ、輸送機器、家電、放送局、電力、D2C、医薬品、IP、BtoBなど、国内外の多様なクライアントのマーケティング組織強化やブランド戦略を支援。博士(経営学・神戸大学)。
著書に『なぜ「戦略」で差がつくのか。』(宣伝会議)、『マーケティングプロフェッショナルの視点』(日経BP)。