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コラム

元経済誌編集長の人生マルチステージ化計画~50代からのライフシフト

50代半ばで出版社からベンチャーに転職した「ガソリンおじさん」の提供価値

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「ディーゼル車にガソリン」「ぶどう酒と革袋」の例え話

【前回のコラム】
創業108年の老舗出版社を「卒業」、10年目のスタートアップに「ジョイン」した

真っ赤なマツダ・アテンザ。それが私の愛車である。いかにも広島出身者らしい、とよく言われるが、今回のテーマはそこではない。重要なのは、この車がディーゼル車であるという点だ。

赤いマツダ車と広島の関連性にも、車のエンジンの種類にも興味ないという方のために一応説明すると、ディーゼルエンジンというのは軽油を燃料としている。通常のガソリンを入れても動かない。逆も然りで、ガソリン車に軽油を入れてはいけない。

赤い愛車を、カープの時計を着けて赤いiPhoneで撮影する筆者

これは組織と人の関係に似ている。デジタル文化の電気自動車のような組織に、旧来型のガソリンおじさん(文字通り「化石」燃料)を放り込んでも使い物にならない。せいぜいハイブリッド車ならどうにかなるかもしれない。同様に化石燃料でしか動かない機関に、「時代の先端は水素だぜ」と未来の燃料をぶちこんでも、お互いに不幸な結果をもたらすだけだ。

やっかいなのは、見た目はどれも同じような車のかたちをしていること。会社も同様で、どの会社も基本的には同じ形態をしている。なのに、内部の文化や、求められる行動様式はまるで違う。だからまるっきりの異分子を入れてしまうと、機能しないか、下手をすると両方が壊れてしまうのである。

……と、組織の人に関する問題を例え話で上手く説明して悦に入っていたところ、同じことを2000年前にも言っていた人がいたことに気づいた。

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れてはならない」と、かのイエス・キリストが聖書の中で言っているのだ(新約聖書「ルカによる福音書」5章)。これ、同じ意味だな、と。若いぶどう酒を古い革袋に入れると、その発酵力によって古ぼけたボロボロの袋くらい簡単に破いてしまう。だから、新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなさいよ、とイエスは説いている。

この例え話には、当時のユダヤ教社会の中で、イエスの教えはまさに新しい価値観の提示だったという背景があるのだが、それはひとまず措いておいて、これを人と組織の話に置き換えると、発酵力とはすなわち生命力であり、若く健やかな生命力を受け止めるには相応の受け皿が必要となると読み替えることができる。だからしばしば、「ビジネスことわざ」として用いられるのだろう。

問題は、50代も半ばの私は、世間的には明らかに「古いぶどう酒」という点である。それは認めざるをえない。ただ、新しいぶどう酒は古い革袋に入れてはならないのに対し、古いぶどう酒はむしろ新しい革袋に入れることで生まれ変わるかもしれない。それどころか「もしかするとパッケージを替えることで商品価値が上がるかもよ」と主張したいのである。

ただし、ただ古いままではだめだ。最初に提示した車の例え話の通り、そのままでは機能しない。新しい革袋、あるいはエンジンに合わせて自身をアップデートしなければならない。相手が自分に合わせて変わってくれはしないから、自分が変わるしかないのだ。

選ばなかった道は、覚めた夢と変わりはしない

前回、読んでもいないベストセラー『LIFE SHIFT』から、自分の「変身資産」を振り返るにあたっては「自分に対する知識」が欠かせないという受け売り話を堂々と披露した。そして自分自身も、会社に残る、フリーになる、起業する、転職する……などの選択肢を、自分の適性を客観的に内省しながら絞り込んだと述べた。

 
例えば、フリーという選択肢については、周りにフリーのライターやジャーナリスト、評論家などがいっぱいいるので、イメージが付きやすい。仕事が引きも切らない人は、共通して自己プロデュース力や営業力に長けている。対して自分はその手の能力が欠けているのを自覚している。だから安定的に仕事をもらったり、自力で面白い仕事を取ってきたりするのは難しそうに思えた。与えられた仕事はそつなくこなす自信はあるが、いつ来るかわからない仕事をじっと待つのは精神衛生上よくない。

また、例えばフリージャーナリストとして独立するなら、なにか人生を懸けて追い続けたいテーマを持つべきだし、その専門性こそが武器になると考えている。その点、30年以上毎週毎週、手を替え品を替え、違うテーマで特集づくりをしてきた性(さが)か、明確な専門分野を持っていない。広く浅く何でも対応できるが、そんな書き手ならいくらでもいる。古巣や知り合いから仕事をもらってメディア業界の片隅で飯を食うことはできたとしても、あまり面白そうではない。

では、起業はどうか。これまでもちょっとした事業アイデアが浮かぶことはあった。ひとつ例を挙げると「デジタル終活」ビジネスである。仮に今、自分が死んだら、ネット上の各種アカウントの始末や、有料クラウドサービスの解約手続きなど、家族に迷惑をかける。デジタルアカウントの「仕舞い方」を遺言書のように記録しておくニーズはあると常々考えていた。

それだけでなく、一方でSNSの書き込みや写真などネット上に投下した大量の個人情報は、その人の生きた証しでもある。これを編集し、遺すことで、新しい時代の「墓碑銘」になるかもしれない。世は少子高齢化、言い換えれば少産多死社会である。「デジタル墓地」で故人を偲ぶというのは、これからどんどん主流になっていくだろう。

この事業プランを家族に話したこともある。というのも、競合が出てきた場合、差別化が重要である。そこで、当時中学生だった娘を「JC起業家」として看板娘に据え、その話題性でもってビジネスの垂直立ち上げを実現するという小狡い案を思いついたからだ。「お祖父ちゃんが亡くなり、このサービスを思いつきました」などのトークスクリプトは裏で私が書く。「どう?」と娘に聞いたが、「うーん……」と生返事だったので、この事業プランは却下した。それはそうだ。娘には娘の人生がある。

もっとも、起業という選択肢を消したのはむしろ、これまで多くの起業家に会ってきて、到底自分には無理だなと思うことのほうが多かったのが大きい。高い挑戦心と使命感、自己肯定感と共に、24時間365日を事業に捧げる。もちろん社員やパートナーの夢や人生も背負うことになる。自分にはそこまでの覚悟もなければ野心もない。実は割と早いうちから、自分は起業には向いていないとは悟っていた。

もうひとつ、これも前回書いたが、「若い世代と触れ合える」ことが第二のキャリアで求めたい環境だった。そうすると選択肢として挙がるのが「教師」である。実際、マスメディアで長く働いてきた人たちが、大学の非常勤講師などに転じる事例をたくさん見てきた。自分もできるかなと考えたこともある。これまでも広報担当者が集まる勉強会などで話す機会があり、1、2時間ならそれなりの話はできた手応えもある。

しかし、例えば1年間、筋道の立った講義を行うとしたらどんなことを教えられるのか。試しに箇条書きにしてみたところ、とてもではないが学問体系として軸の通ったシラバスにはならないように思えた。これまでの体験を面白おかしくしゃべることはできても、わざわざ次世代に伝え残すほどの価値ある代物ではない。むしろ、こんな話を聞かされる若い人たちのほうが気の毒だ。というわけで、先生という職業に憧れはあったが、これも諦めた。

そして、むしろ自分はこれまでのサラリーマン人生で、会社のリソースを使って面白いことをやるというのに慣れきっていることに、改めて気づいたのである。環境さえ許せば引き続き、「イントレプレナー」として力を発揮したい。そんなわけで、「転職」という選択肢が最後に残った。

でも、まあ、選ばなかった道など、もはやどうでもいい。

「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めた夢と変わりやせんな。すずさん、あんたを選んだんは、わしにとって多分、最良の選択じゃ」――。大ヒットした劇場アニメ『この世界の片隅に』で、主人公のすずさんに、夫の周作さんが広島・呉の橋の上で告げるセリフである。大好きなシーンのひとつだ。

前回、読まずに語った『LIFE SHIFT』と違って、こうの史代さんの原作コミックはもちろん、片渕須直監督のアニメ映画も、劇場とDVDで数え切れないほど観ている。好きすぎるあまり、つい引用してしまった。この作品は、登場人物それぞれの「居場所」がテーマなのだが、選ばなかった道には目もくれず、私も選んだ先で「居場所」を作るだけだ。

デジタルネイティブとは違った「古いぶどう酒」なりの味わい

さて、そうすると問題は、「古いぶどう酒」が新しい革袋という居場所で、どんな価値を醸し出せるか、である。

これから一緒に働く若い世代、これからの社会を作っていく中心層は、ミレニアル世代やZ世代と呼ばれるデジタルネイティブである。彼ら彼女らは、ものごころついたときから当たり前のようにインターネットがあった。一方、私の場合は1989年に社会人になり、インターネットの普及をリアルタイムで感じてきた世代だ。我々以上の世代は、あらゆる仕事がデジタルシフトしていくのを面白いと感じたり、チャンスと見るか、あるいは過去の価値観に囚われて面倒なもの、怖いものと捉えるかで、二分されているかもしれない。

実は私が1989年にダイヤモンド社に新卒入社して一番最初に配属されたのは「ニューメディアチーム」と名付けられた新設部署で、紙以外の媒体を開発するというミッションを持ったユニークな組織だった。ここで私は、当時普及し始めていた家庭用FAXに、毎朝ビジネス情報を送るという会員制FAX情報誌の記者をメインの業務に与えられた。今でいう有料メルマガや会員制オンラインサロンのようなものだ。

この部署ではその他、アナログCS放送やセルビデオ向けに経済番組を制作したり(今でいう動画配信)、パソコン通信(≠インターネット)の「フォーラム」と呼ばれる情報交換の場をビジネスマン向けに運営したり(今でいうSNS)、思い返すと意外と先進的なことをやっていた。どれも実を結ばず、いつしか消滅してしまったが。

しかし、この原経験が自分にとっては大きく、しばらくして週刊ダイヤモンド編集部に異動し、ITや通信業界の担当記者となってインターネット産業の勃興期の現場で取材するときの土台になった。

新しいモノ・コトは、まず身をもって体験し、楽しむのが早道だ。例えば、96年に長女が生まれた際には「子育て日記」のホームページを公開してみた。よそのページのソースを覗いて文字の色つけや来訪者カウンターの設置の仕方などを盗み、見様見真似のHTMLで書いた。ほとんどのページは「工事中」アイコンが点滅している中途半端なものだったが、当時としては珍しい個人HPとして雑誌に載ったこともある。まだ会社のHPすらなかったし、会社のメールアドレスもなかった時代だ。名刺には個人で契約したプロバイダーのメールアドレスを勝手に入れていた。

そんなさまざまな試行錯誤の中、メディアのあり方がこの先どう変わっていくかというテーマにも当然、思いを馳せざるをえなかった。インターネットが社会を変えていく様を、それも激動と言うべき大きな変化を、時代と伴走しながら体感し、新たな技術やサービスが登場するたびに自分なりに理解し、解釈を重ねてきた経験は、デジタルネイティブ世代とはちょっと違ったものの見方を提供することにつながるだろう。

スタートアップに転じた「古いぶどう酒」としては、そうした経験から生まれる味わいを売りにしていきたい。

仕事中の筆者。オフィスのデスクは昇降式。撮影のためカッコつけてスタンディングで仕事している振りをしているが、普段はだらしなく座っている。