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コラム

元経済誌編集長の人生マルチステージ化計画~50代からのライフシフト

「編集者のスキルは事業会社で活きるのか?」という、問いへの答え

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「世界の時価総額ランキング」というアレオレ

「アレオレ詐欺」という言葉がある。特にクリエイティブの業界で、誰もが知る大きな仕事について「あれ、オレがやった」という手柄話をする者の大半は、往々にしてプロジェクトの末端に関わっただけという現象を指す。

私にも「アレオレ」自慢話がひとつあるのだが、詐欺ではなく正真正銘の「アレオレ」である。むしろ、もし「いや、あれ、オレだよ」という人がいたら出てきてほしいくらいだ。

1989年と現在の「世界の時価総額ランキング」を並べた表。1989年は1位のNTTをはじめ50社中32社が日本企業だったが、今や見る影もなくトップ50に残っているのはトヨタ自動車くらい……というやつだ。バブル崩壊後の日本企業の凋落と、GAFAなどネット企業の隆盛を語る際の鉄板ネタになっていて、家で聞いたら高1の娘ですら知っていた。「あれつくったのパパだよ」と言ったら、大層驚かれた。

あの表は元々、2018年8月25日号の『週刊ダイヤモンド』の特集「平成経済全史」に掲載したものだ。雑誌の発売時、ダイヤモンド・オンラインにも転載したところ、表だけがめちゃめちゃシェアされて、そのうち出典を明記しないかたちでつくり変えられ、パワポ資料などでも使われるようになり、今に至る。

2018年8月25日号の特集誌面と表紙。ダイヤモンド・オンラインの転載記事はメール会員登録で読める。

つくったといっても、お前は編集長だっただけで、手を動かしたのはどうせ特集を担当した現場の編集者だろ?結局、部下の手柄を横取りした「アレオレ」なんじゃないの?という声も聞こえてきそうだ。

しかし、それも違う。2018年8月は平成最後の夏ということで、この30年間の日本経済の推移をあらゆるデータで振り返るという特集を企画したのは私だった。しかしお盆休み中に原稿〆切がやってくる号で、なかなかデスク(特集を切り盛りする責任者で、通常は副編集長が務める)や編集部員のアサインが難しかったため、「仕方ない、オレがやる」とデスク役を買って出た。そして、自ら原稿執筆や図版作成を担当し、そのひとつがあの表だった。

ちなみにあの特集では、銀行・証券・生損保など5業界全340社の統合・再編や社名変更の歴史をまとめた「30年間の業界再編マップ」、国勢調査(人口調査)から割り出した「30年間で増えた職業、減った職業」、家計調査から抽出した米、背広、下着、通信費、世帯主の小遣い……などなど「30品目別・支出金額の推移グラフ」など、とにかく山のようにデータを載せた。どれも相当な手間をかけた自信作なのに、バズったのはネットに転載した時価総額表だけだったが……。

なぜこの話をしているかと言うと、当コラムを担当してくれているM編集長から「今回は『編集者のスキルは、果たして事業会社で活きるのか』をテーマに書いて」と、お題をもらったからだ。

自分は編集者代表として何か偉そうに語る立場ではない。でも、ご用命とあらば、この時価総額表を題材に「編集者のスキル」について考えてみようと思ったのである。

スキルアップの早道は「模倣すること」だが……

別に編集者がさほど特殊な職業であるとは思っていないが、編集者の仕事とは何かと聞かれれば、こう答える。自分が取材した事実や、作家や研究者の知的成果物など、世の中に対して何か伝えたいことを、いかに魅力的なパッケージにして届けるか――。突き詰めれば、それに尽きる。

週刊ダイヤモンドの編集部員は、自ら取材し記事を執筆する記者と、それを雑誌のパッケージに落とし込む編集者の役割の両方を求められる。その仕事に就いて間もなく、私はあることに気付いた。「この職業、社外に先生がいっぱいいるな」。

普段読んでいる書籍や他誌紙から、読者を引き付ける原稿の書き方などはいくらでも学べる。一流のインタビュアーの質問の仕方も、写真やグラフの効果的な見せ方も、わざわざ社内の上司や先輩に教えを請わずとも、いくらでも手本が転がっているのだ。取材を通じて、ビジネスの第一線にいる人々にも会える。ことスキルアップにおいては、実に有利な仕事だと思い至った。

言うまでもなく、スキルアップの早道は「模倣すること」である。雑誌の企画や、書籍のタイトルなど、出版業にはパクリや二番煎じが横行しているが、その根っこには「手本は社外にあり」というメンタリティがあるのかもしれない。

しかし、ただ単にパクるのではなく、先例を模倣しつつもそこに自分の色を加えてオリジナリティを発揮するのが、矜持ある編集者の姿勢といえる。

オリジナリティといっても、編集者の仕事は必ずしも自ら0から1を生み出す類のものではない。すでにあるものを発掘し、既存のものと組み合わせて新しい価値を生み出すという作業がほとんどだ。冒頭の時価総額表で言うと、平成元年と平成30年の2つの表それぞれは特に珍しさはないが、2つを並べたことで見えてくるものに意味があった。

ビジネスも同じで、いまどき0から1を生み出せる事業分野はそう多くない。ザンクトガレン大学(スイス)のオリヴァー・ガスマン教授らの著書『ビジネスモデル・ナビゲーター』(翔泳社)によると、「ビジネスモデルイノベーションの90%以上は、単に他業界における既存のアイデアや概念の組み合わせに過ぎない」という。

既存のものを組み合わせるにしても、誰もが思いつく組み合わせでは意味がない。組み合わせの幅を広げるためには、数学の「順列・組み合わせ」ではないが、手持ちのn個のアイデアの中から、いくつ取り出して何通りの企画をつくれるかという勝負になる。ベースとなるアイデアの量が肝心なので、知的好奇心は常に旺盛でなければならないし、一見異なるものの意外な共通点を見つけたり、一段飛躍させてみたり、実情に合わせてカスタマイズしたりといった柔軟な発想も必要だ。

そう考えると、こうしたセンスに長けた人は、編集者に限らず、どんなビジネスでも通用するだろう。


他人の労働についてどこまで敬意を払えるか

ただ、仕事の本質が「模倣」や「既存のものの組み合わせ」にあるとしたら、そこで必要なのはセンスや発想力だけでなく、「既存のものへのリスペクト」だと考えている。パクリとか、二番煎じと言われてしまうものには、そのリスペクトがない。使わせてもらうからには、しっかりと敬意をもって向き合い、十分に理解しなければならない。

いまどき車輪をわざわざ1から発明する人はいない

「車輪の再発明をするな」というプログラミングの世界でよく使われる言葉がある。車輪のように「古今東西ですでに使われている技術や解決法を、わざわざ1からつくる無駄な行為」を戒める慣用句だ。

これについては10年前、中高生向けのIT教育事業を行うLife is Tech!が主催するiPhoneアプリ開発の親子体験会に、当時中学生だった長女と参加したことを思い出す。体験会では、+や−ボタンを押すと数字が増減するカウンターアプリ(街角の通行人調査などで使われるやつ)をつくった。

言われるがままに作成ツールを操作し、一旦は完成したのだが、ランダムで増減するボタンもあると面白い(実用性は全くないが)と考え、指導役の大学生に「どうすればいいですか」と尋ねたところ、「『ObjectiveC random』でググってください」と言われた。やってみると確かに、そのまま使える乱数生成のコードがごそっと表示された。プログラミングという作業の大半は「検索とコピペ」なのだという。なるほど自分は車輪の再発明をしようとしていたのか、と実感したものだ。

しかし私の場合、ただコピペするのでなく、そのコードがどういう構成になっているのか理解しないと気がすまない。なのに、じっくり見てもまるでわからなかった。今もって無念である。

iPhoneアプリの仕組みについてソースコードまで遡って確かめる機会は、その後もさすがになかったが、面白いネタに出会ったら、その原典にあたる――基本的にはそれを信条にしてきた。

例えば、SNSで興味深い事実を示すグラフが流れてきて、データの出典元が記してあれば、その元データを取り寄せて、同じ計算をしてみるのだ。実際に自分も同じグラフがつくれたら、なるほどそういうことかと理解が深まる。また、その過程で自分だけの新しい発見をすることもあるし、ときには作者が恣意的に操作した痕跡を見つけてしまうこともある。ネットで拾ったグラフを脊髄反射的にそのままシェアしたり、プレゼン資料にペタッと貼って、わかった風に語ったりするのとでは、その現象に対する理解の深さが全く違うのである。

例の時価総額表についても、実際にエクセルで直近の時価総額を計算し、自分でランキングをつくった。試しに「世界時価総額 最新」とググれば、それらしいサイトがいくつも出てくる。しかし、それをそのままパクるわけにはいかない。何より、その手のサイトをいくつか見比べると、ちょこちょこ抜けている企業があったりして、どれも少しずつ違うことに気付くはずだ。

企業によっては上場している国が違ったりするので、各国の株式市場の最新株価を確認し、最新の発行済株式数とその日の為替相場と共に、ドルベースで時価総額を比較できるよう、自分でちゃんと調べ直して、計算し直さなければならないのである。やったことがある人なら分かる、とても面倒な作業だ。この作業を、実際に自分でやったからこそ、自信を持って「アレオレ」と言えるのである。

ちなみに、1989年の時価総額は、当時の米ビジネス誌『Business Week』からの引用だ。そこはきちんとルールに沿って出典を明記しているが、あまりにバズったので、念のため現在の発行元である米ブルームバーグ社に「使わせてもらってます」という連絡も行っている。

知識労働、肉体労働、感情労働……その内容にかかわらず、他人の労働についてどこまで敬意を払えるかは、自分でどこまで手を動かしたことがあるかという経験の量で決まる。自分の仕事に真摯に向き合っていれば、他人の仕事を軽んじるべきではないことは自ずとわかるはずだ。これも、編集者に限らずあらゆるビジネスに通じるだろう。他人の仕事に敬意と興味を持てなければ、その業務量の見積もりすらできない。ということは仕事の発注ができない。すなわちチームプレーもマネジメントもできないに等しい。

自分の仕事に真摯に向き合っていないと、他人の仕事に対する敬意は生まれない

M編集長に返す身も蓋もない結論

さて、世界の時価総額表はとっくに私の元を離れ、さまざまなかたちで消費されている。

前職時代、いずれも著名なベンチャー経営者とコンサルティング会社の社長を招いたパネルディスカッションでモデレーターを務めた際、2人とも用意したプレゼン資料の中にこの表が入っていて、思わず苦笑したことがある。

それはそれで構わない。この表が平成30年間の日本経済の停滞を象徴するツールとして、「車輪」のような存在になっているのだとしたら本望だ。

ただ、TBMに移った後、社長の山﨑敦義が某経済番組に出演するにあたり、広報担当として立ち会ったのだが、事前の打ち合わせで共有された台本に件の表があり、あろうことか出典が別のメディアになっていた。このときはさすがに看過できず、経緯を説明して修正してもらった。

出典元となっていたメディアは、掲載当時の平成30(2018)年の表を直近データに差し替え、「最新版」と銘打っていかにも自分たちの仕事のようにうたっていた。あの表の本質は、平成の30年間の推移を並べて見せたことであって、最新版を更新していくことに大した価値はないと個人的には思う。

それでもまあ、最新版に差し替えていくことを自らの使命とする編集者がいてもいい。しかし、であるならば少なくとも自分の手で計算すべきところだが、そういう人に限って最新データもどこかからの孫引きだったりする。プロの編集者であれば、オリジナルへのリスペクトを持っていてほしいものだが、ネット時代の編集者とはそういうものなのだろうか。いや、さすがに違うだろう。

ダイヤモンド・オンラインで以前、ある連載著者の原稿の中から、よその記事からごっそりコピペしている部分が発見されたことがある。担当編集者が「なんか、この数段落だけ文体が違うな」と違和感を覚え、まるごと検索にかけたところ判明したものだった。担当編集者グッジョブである。しかし、それを指摘すると、多くの著書を上梓しているその著者は「ネット記事なんてそんなものだろう。記事を量産する上で、ある程度は仕方ない」と開き直った。そんな常識は私にはない。一発退場で連載は終了してもらった。

これをよしとする編集者がいるとすれば、おそらくどの業界に転じてもろくな仕事はできないに違いない。

というわけで、編集者として必要なスキルは、必ずしも特殊なものではない。オリジナリティへのこだわり、知的好奇心や発想の柔軟性、そしてなにより他人の仕事へのリスペクト……いずれも、あらゆるビジネスに必要なものだ。それを持ち合わせている人もいれば、そうでない人もいる。

「編集者のスキルは、果たして事業会社で活きるのか」というM編集長からのお題。身も蓋もないが、「人による」が答えなのである。

4月27日、TBMで記者発表会を実施した際の筆者