アドタイでは2024年、19世紀後半から20世紀にかけて、広報・PRの礎を築いた「伝説のPRパーソン」たちの功績を振り返るコラムをお届けしてきました。
これまで、記者会見やプレスリリース、パブリシティ、世論の形成、社内広報など、現代まで受け継がれてきた広報・PR(Public Relations)の手法・原理原則のルーツに迫りました。
2025年1月20日からアドタイでスタートするコラム「伝説のPRパーソン2~20世紀後半に活躍した広報の巨人たち~」では、さらに歴史の歩みを進め、20世紀前半から後半にかけて活躍したPRパーソンを独自の視点でご紹介します。
筆者は前シリーズに引き続き、20年以上にわたり広報コンサルタントとして活躍し、アカデミズムの見地から広報史を研究してきた河西仁さん(ミアキス・アソシエイツ 代表)です。
19世紀のアメリカは、印刷技術の向上と鉄道に代表される全国的な交通網の発達によって新聞と雑誌という紙メディアが広報・広告の発展に大きく貢献しました。20世紀に入り、新聞・雑誌に加えて、ラジオ・テレビといった新たなメディア(マスメディア)が誕生し、急速に普及しました。
アメリカにおける初のラジオ商業放送は1920年11月2日で、ラジオがニュース、娯楽、教育、広告など多岐にわたる情報を提供するメディアとしての可能性を示しました。その後、ラジオは急速に普及し、1920年代から1930年代にかけて「黄金時代」と呼ばれる成長期を迎えました。
テレビの初の商業放送は1941年7月1日で、5年後の北米でのテレビ普及台数は約6,000台、それが1950年には推定400万台と急成長。1955年には約3200万台のテレビが北米の一般家庭に普及したといわれています。
マスメディアは、一般大衆に対する新たなメッセージ伝達手段となり、広報PR業界に新しい力をもたらしました。
パート2でも、多数の偉人たちが登場予定です。パート1とあわせてご期待ください。
かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。
かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。
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