児島令子さんに聞くコピーの裏側 第2回:「私、誰の人生もうらやましくないわ。」で見せたコピーの実験劇場

近年、AIの登場により、広告コピーが新たな局面を迎えようとしています。広告会社では「コピーライター」という名刺を持つ人が減った、という声も聞きます。しかし、どんなに時代が変わろうと、コミュニケーションや表現の手法が変わろうと、広告コピーの基本は変わりません。だからこそ若い世代の皆さんに知っておいてほしいコピーがたくさんあります。
そこで本企画では、過去から現在にいたるまで、時代と共にあり、これからも「未来につないでいきたいコピー」について、制作者であるコピーライターの皆さんにお話を聞いていきます。
児島令子さんへのインタビュー第2回目、今回は交通広告で話題を集めた松下電器(現パナソニック)「私、誰の人生もうらやましくないわ。」他、児島さんが試みた「コピーの実験劇場」について、コピーライター三島邦彦さんが聞きます(第1回から続く)。
写真 人物 個人 児島令子

コピーを書くときは、いつも既視感のない「実験劇場」を目指す

私、誰の人生も
うらやましくないわ。

本当に愛してるなら、部屋が散らかってても中に入れるべきか?/「みんなで食べるとおいしいねっ」にはハハハ。/みんなで食べてもマズイものはマズイ。/夜中に電話して悪うございました。/悪うございました。/ひとりではない、クマちゃんがいますから。/クマちゃん、それは大人の女のあかし。/会話が飛びかわないカウンターキッチンもよい。/実のあるミレニアム恋愛を!/やはり女性はハンターでは幸せになれない。/うさぎちゃん計画続行中。/人生の個人的な部分は、さらけ出さない。/同情を求めると同情は集まらないのです。/りりしく、かっこよく、ユーモアを大切に。/愛と知性のシングルウーマン’ズ人生。

(松下電器/SIGNGLE STAGE/2000年)

児島:これは個人的に好きなコピーです。私はどの仕事も既視感のないアプローチ、こういうのってコピーになるの?という「実験劇場」みたいなことをやりたいと思っていて、このコピーもその一つです。

春になると、よく1人暮らしに向けた家電キャンペーンが始まるでしょう。これもそうした流れの家電のコピーですが、大きく括るワードとして「私、誰の人生もうらやましくないわ。」というコピーを書きました。

というのも、これはメインターゲットがフレッシュマンではなく、社会人になって数年目以降の1人で生きている都会の女性。そのため、一人暮らしの女性のインサイトみたいなものを書きたいと思いました。ただし、いかにも広告会社やコンサルが考えたようなインサイトじゃなくて、もっと個人の生な感じを出したかった。そういう意味では、これは当時、自分が思ったことを全部書いたと言えるかもしれないですね。間違いなく、当時の自分が思ったことを全部書いていると思います。

三島:ボディコピーや文章の形が、本当に実験的で新しい。まさに実験劇場ですね。

児島:これはスラッシュでコピーを区切ったのが、まさに実験劇場でした。スラッシュで生身の思いを弾丸のように書いていく。これは東京の交通広告で展開していたので、一人暮らしの女性の叫びをみんな読んで!みたいな気持ちでした(笑)。

三島:このコピーは形も新しいけれど、これを読むと家電がどう便利かよりも、この商品は「自分たちのものだ」という気持ちになれる気がします。

児島:アウトプットのイメージをどう考えるか、そこが大事ですよね。普通に考えていったら、「1人でも楽しく綺麗に暮らしたい」的な、シングル家電のコピーになっていくじゃないですか。でも、 私はそういうことではないなと。もっと俯瞰しているというか。でも、ボディコピーは本当に自分のことを書いていますよねとみんなに言われる。「夜中に電話して悪うございました。」とか、2回言っているけれど実は全然悪いと思っていないという(笑)。

三島:このコピーが後に生まれるearth music&ecologyのコピーにつながっている感じがします。

児島:そう、つながっていますね。基本的に私のコピーって全部つながっていると思うんです。そして、このコピーはのちにリメイクしました。当初はシングルウーマンに向けたものでしたが、6年後にすでに結婚をしている働く女性に向けて同じキャッチコピーを使いました。広告のリメイクですね。最初の広告を出したときにシングルだった女性たちが、いまは子育てをしていたり、なんらかの環境の変化があるのかもしれない。人の気持ちの普遍性を思いつつ、その変動性を楽しみつつ、ボディコピーを書きました。

三島:「私、誰の人生もうらやましくないわ。」は、時代が変わっても永遠に古くならないですね。

「自分の日記」ではなく、「みんなの日記」を書く

キスというものを、
ここしばらく、してない。

世の中の若い女性みんなが、
いつでも恋をしているわけではないのです。
世の中の若い女性みんなが、
いつでも、キスをしているわけでもないのです。
この前キスしたのはいつだったろう。
覚えてますか。忘れましたか。
今度誰かとキスするのはいつだろう。
もしかしたら、もうこのまま無いのかも。
そんなネガティブな想いに
襲われることはないですか。
私はあります。
ごめんね。朝から暗い話で。
同じ車内で見かけるあなたに、
同じ年頃の女性として
一度話してみたかっただけ。
もう、都会の秋がはじまってるね。
 
この街で、いい恋を、してください。

(尼崎市総合文化センター結婚式場/1995年)

児島:1995年に書いたコピーですが、これも同じ流れで実験劇場です。この結婚式場の広告を担当して5年目。面白いことをすべてやり尽くして、「5年目はどうしようかな」と思っていたとき、1月に阪神・淡路大震災が起きたんです。

阪神・淡路大震災の、まさに被災地を走る阪神電車の車内広告をメインに出していたシリーズだったから今年はもう広告はつくらないだろうと思っていたら、クライアントから「春からやります」と言われたんですね。

そういう状況下で、何を言えば広告になるのかと考え、結婚から一番遠い女の子たちを書くことにしました。「この街で、いい恋を、してください。」と書いたように、いつかこの街で結婚する日が来たら、そのときはよろしくね、みたいな気分を込めて。今はまだ結婚未満で揺れる女の子たちの気持ちを、中島みゆきのような世界でシリーズにしました。

一見、どこかにいる1人の女の子のモノローグだから、このコピーを見ると「自分の日記をそのまま書いているんじゃないの?」と思われるかもしれないけれど、そこは違って自分としてはコピーとして書いています。そこには「みんなの日記になりますように」という願いをこめて、言葉を選んで書いています。

三島:「みんなの日記にする」って素敵ですね。ここには自分のことが書かれていると思えるから、「これは自分だ」と共感する人がたくさんいるのかなと思いました。

児島:時々、若い人がこのコピーに触発されて書いてみました、と見せてくれることがあるんだけど、やはり自分の日記、自分のブログになっていることが多いんですね。こういうのを書いてみたいという気持ちはわかるけれど、「自分の日記」じゃなくて「みんなの日記」まで書いて初めてコピーになるから、若い人にはそこを掘り下げてほしいですね。

このコピーを思い浮かんだ起点はテレビで、若い女の子がおばあさんの手を握ったときに、人の手のぬくもりなんて久しぶりとおばあさんがつぶやいたのを見て、ぐさっときました。そのとき、一人暮らしをしていると、人のぬくもりを感じることがないなと思ったんです。そういう感覚はリアルな感覚で、確かにあるなというところからキスに変換しています。それから、眞木準さんの「恋を、何年休んでますか。」(伊勢丹)のコピーが好きで。でも、あれはやはり眞木さんのコピーだし、自分だったらどうするかと言うことを考えて、そこへのオマージュもありました。

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