政治キャンペーンのための広報PRを本格的に実践
アメリカ初の政治コンサルティング会社Campaigns, Inc.を1933年に設立したクレム・ホイッタカー(右)とレオーネ・バクスター(出所: Institute for Public Relations)。
政治や国際紛争と広報PRキャンペーンとの関係を表す用語として、プロパガンダを思い出す方は多いと思います。
また、湾岸戦争時の「ナイラ証言」(1990年)とヒル・アンド・ノウルトン社、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-1995年)時にボスニアの政治広報を担当したルーダー・フィン社など、大手PRエージェンシーが国際紛争を舞台に活動しているのも現実です。
政治キャンペーンにおいて広報PRを本格的に企画実践したのが、アメリカ初の政治コンサルティング会社「Campaigns, Inc.」(以下、キャンペーン社)を1933年に設立したクレム・ホイッタカーとレオーネ・バクスターでした。
2人はメディア広告の購入やダイレクトメールキャンペーンといった、今日でも広く使われている戦略や戦術を開発しました。
エネルギー会社による公共事業反対キャンペーンを支援
2人の最初の成功は、1933年にカリフォルニア州議会が可決したセントラル・バレー・プロジェクト(CVP)を認可する法律を、住民投票によって覆すという極めて野心的なプロジェクトの広報キャンペーンでした。
この巨大な公共事業は、サクラメントおよびサンホアキン渓谷で水と電力を開発、配布、販売することを目的としていました。
CVPによって発電された電力が、公共機関に売却される可能性を懸念したのが、サンフランシスコ・ベイエリアを中心とするカリフォルニア州北部地域で天然ガス、電力供給を手がけていたパシフィック・ガス&エレクトリック社です。
同社はこのプロジェクトに対して住民投票を強行し、州民の支持を得て法律を覆そうとしました。
パシフィック・ガス&エレクトリック社に雇われた弁護士は、クレム・ホイッタカーとレオーネ・バクスターに反対キャンペーンの支援を依頼しました。
2人は、4万ドル未満という少ない予算で最初のキャンペーンに取り組み始めました。政治広告、社説、漫画、ニュースリリース、ラジオ用原稿など、さまざまなニュースメディアを多用したキャンペーンを展開し、住民投票では3万3603票の差で賛成派を打ち負かしました。
州知事選でも勝利、米国内主要都市へ事業拡大
また、1934年のカリフォルニア州知事選挙では、民主党候補のマックレーカーであり社会主義者のアプトン・シンクレアに対して、極めて効果的な広報キャンペーンを行い、現職のフランク・メリアム知事の再選に貢献したことで、彼らは広く知られるようになりました。
当初、サクラメントを拠点に活動していたキャンペーン社は、後にサンフランシスコにオフィスを構え、必要に応じてロサンゼルス、シカゴ、ワシントンD.C.などの都市にもオフィスを開設しました。
同社は政治キャンペーンを専門とし、1935年から1958年までの間に担当した80件の主要キャンペーンは実に74勝6敗だったとのことです(出典: スコット・M.カトリップ、アレン・H.センター、グレン・M.ブルーム『体系パブリック・リレーションズ』桐原書店)。
さらに、彼らは、Clem Whitaker Advertising Agencyや、カリフォルニア全土の数百の新聞に記事、社説、漫画を提供する新聞ワイヤーサービス「California Feature Service」も設立。全米規模の政治キャンペーンに対応していました。
彼らは、企業のマーケティング手法を政治の世界に応用し、世論操作や現在の「ネガティブキャンペーン」の先駆けとも言われる対立候補の批判や、イメージダウンを図る手法を数多く実践しました。
その意味で、現代政治のキャンペーン活動に革命をもたらしただけでなく、現在もなお重要な政治課題に深い影響を与えています。
