マーサ・ラウントリーは、アメリカのジャーナリズムとテレビ放送の黎明期において活躍した、極めて重要な人物です。
アメリカの政治家にとって、出演は避けて通れないNBCの公共討論番組『Meet the Press(ミート・ザ・プレス)』の共同創設者、かつ初代司会者として知られています。テレビ番組としては1947年に始まり、現在も日曜朝に放送中です。以下に、彼女の人物像と功績をご紹介します。
ラジオ番組からスタート、1947年にNBCのテレビ番組へ
ラウントリーはフロリダ州ゲインズビル生まれで、その後サウスカロライナ州コロンビアで過ごしました。サウスカロライナ大学に進学しましたが、家庭事情により中退。生まれ故郷のルフロリダ州に戻り、『Tampa Tribune』に就職。新聞記者としてジャーナリストのキャリアを始めます。
1938年にニューヨークに移り、フリーランスや広告コピーライターとして活動後、姉アンと共同でプロダクション会社「Radio House」を設立 します。ここで、『Leave It to the Girls』という最初のラジオ版パネル番組を考案し、注目を集めます。
業界関係者や『American Mercury』誌の支援を受け、1945年6月に番組『The American Mercury Presents: Meet the Press』をラジオ局で開始し、ラウントリーは番組の創設者件モデレーターとして参加します。
『The American Mercury Presents: Meet the Press』は、政治家や有識者に事前準備のない質問を生放送でぶつける画期的なもので、多くの視聴者から支持を集めます。この人気に注目したNBCが、1947年11月6日から『Meet The Press』と改名し、テレビ放送を開始します。
当初は毎週土曜の夜19時から30分の放送でしたが、後に毎週8時からとなりました。ラウントリーはモデレーターとして多くのゲストに鋭く切り込み、女性として初めて、政治家を公に問い詰める立場に立ちました。この当時、女性が報道番組の司会を務めることは極めて異例であり、ラウントリーは女性モデレーターのパイオニアとなりました。
ラウントリーは、政治家から恐れられつつも尊敬された存在であり、歴代大統領を含む多くの有力者が、彼女のインタビューに緊張を覚えたと伝えられています。1990年代に同番組の司会者として活躍したティム・ラッサートは、ラウントリーについて「番組に知的骨格を与えた人物」と評価し、称えています。
「女性が報道をリードできる」ことを初めて体現した人物
『Meet The Press』を1953年に降板したラウントリーは、自身の制作会社「Radio House Productions」を設立しました。
また、1955年には雑誌『Know the Facts』を創刊し、同年バージニア州北部にラジオ局WKTFを設立、1956年夏から『Meet the Press』と類似した形式のインタビュー番組『Press Conference』(後に『Martha Rountree’s Press Conference』と改題)の司会者としてテレビに復帰しています。1960年代には、ニューヨークのWORラジオ局および他の放送局のワシントン特派員を務めていました。
ラウントリーは、「女性が報道をリードできる」ことを初めて体現した人物です。彼女の功績は、単なる番組創設にとどまらず、女性ジャーナリストの社会的地位を押し上げ、政治報道の新たな基準を打ち立てた点にあります。
『Meet the Press』創設50周年(1997年)に際し、彼女の功績が改めて評価されたのをはじめ、全米女性ジャーナリスト協会(AWRT)などによって、女性ジャーナリストの先駆者として称えられています。
『Meet the Press』は、ゲストの発言がそのまま全米ニュースになることも多く、今でも政治家にとっては「避けて通れない発言の舞台」として知られています。特に大統領選前後や外交的危機の時期には、出演の有無自体がニュースになることもあります。
『Meet The Press』の貴重な映像が残されています。
番組初期の様子や、ラウントリーが公共討論番組としてのスタイルを開拓した放送が映像をご覧いただけます。彼女は、ラジオからテレビへとメディア転換する時代に大胆な革新をもたらした立役者であり、彼女の功績は現代の報道スタイルの礎として今も生き続けています。
