いきものがかりが「男性2人、女性1人」になったのは、マーケティングの結果だった!?(ゲスト:水野良樹さん)【後編】

ゆずがいなかったら、いきものがかりは生まれなかった

水野:ゆずさんがいないと僕らはたぶん生まれてません。僕がちょうど高校1年生ぐらいの頃にゆずさんがデビューして、大ブームになりました。それまでの路上ライブは長渕剛さんや尾崎豊さんのファンがやるものだったんですよ。わりと精神的にハードなものを、その意識を持っていないと。だから、路上ライブをやる人はストイックな人みたいなイメージがあったんです。

でも、ゆずさんが出てきたことで、そこらへんの高校生が「女の子にモテたい」というフランクな気持ちでも出られるようになったんです。僕らも暇だったからそれに乗っかって。相方の山下が「ゆずっていうのが今流行っていて、路上ライブ面白そうだから、お金もかからないし、ちょっとやってみようよ」と言って、わざわざ女子高のある駅に行って、それではじめたのがスタートだったので、ゆずさんがいないと。

権八:僕も実は横浜出身なので、何となくわかるんですよ。ゆずの北川悠仁さんの同じ高校の後輩の子と僕は付き合っていて。

水野:マジっすか(笑)! すごい。

権八:だから、彼女がしょっちゅう「悠仁、悠仁」って言っていて。でも、ゆずはその頃まだ全然有名じゃなくて。いきものがかりは99年に結成されてますよね。僕は98年入社なんですけど、学生の頃ですね。あの頃のあのへんの気分って何かわかるんですよ。路上ライブをやってるから見に行くというのが聞こえてくるというか。

澤本:水野くんが最初に路上ライブをやった駅はどこなんですか?

水野:相模大野です。相模女子大ってあるじゃないですか。相模女子大の付属の高校生がいるんですよ。これはいいと思って。高校生なりの考えでしたけどね。

澤本:まぁまぁ大きい駅ですよね。

権八:大きいですね。小田急線かな。主にテリトリーはそのへんですか?

水野:だいたいそうですね。僕は海老名、厚木が出身地なので、最初は海老名、厚木でやると友達に会っちゃうから恥ずかしいと言って、2、3駅離れた相模大野で。

中村:ターゲットが女子だったのは、やっぱり路上ライブのファン層というのは基本、女子ということですか?

水野:そのときは女子高生のゆずファンが多かったんです。それでゆずをコピーしている男の子たちに女子高生も“ファンとアーティストごっこ”をするみたいな。小さなコミュニティで、そういうのがあって、コピーをしている子たちに女の子たちが集まってくるという風景がありました。だから、どこの駅に行っても、みんなゆずをコピーしている(笑)。僕は高校生だったので、女の子の友達を増やしたいとか、無邪気な気持ちでやってましたね。

澤本:そのときは吉岡さんはいたんですか?

水野:いや、いなかったんです。

澤本:じゃあ2人だったの?

水野:2人です。

澤本:ゆずだからね(笑)。

水野:ゆずです。全くゆずです(笑)。

澤本:吉岡さんはどこから入ってきたの?

水野:高校の同級生の妹だったんですけど。吉岡くんというお兄ちゃんがいて、僕の同級生だったんです。彼はパンクバンドのボーカルをやっていたんですけど、妹に歌のうまい子がいるというのを聞いていて。男子2人でやっている奴らばっかりで、半年ぐらいすると、高校生なので飽きてくるんですよ。女子高生しか集まらないし、みんなゆずをやってるし、ちょっとなんか目立ちたいな、新しいことをやりたいねと。

その頃はドリカムさんやELTさん、デイ・アフター・トゥモローさんなど、男子2人と女の子1人というグループが何組かあって。僕らも真ん中にもっと歌のうまい女の子を連れてやったら、ちょっと目立てるかもと。近所の駅にはそういうグループがいないから、これは目立てる、考えようと言って。吉岡くんの妹が歌うまいというからちょっと誘ってみようというところからスタートしてます。

澤本:マーケティングだ(笑)。

権八:そうですね、完全に(笑)。市場を見て。

中村:吉岡さんはあるときから路上ライブにいきなり飛び入り参加と書いてますね?

次ページ 「吉岡さんが飛び入り参加した最初のライブで、お客さんがドン引き!?」へ続く

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