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「空間戦略」の転換により脱・作業着を果たしたワークマンの業態改革とは

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作業着、および作業関連用品を販売するチェーンストア「ワークマン」のフランチャイズを運営するワークマン。創業以来、建設現場などで働く作業員向けに事業を展開してきた。近年は作業現場の過酷な環境でも通用する防風性や防水性を持つ高機能・低価格なプライベートブランド(PB)が注目され、一般消費者からの支持も集めている。こうした流れを受け、扱っているのは作業着と同じPB商品ながら、一般消費者を意識した店舗設計の「ワークマンプラス」を2018年にオープン。以降「ワークマンプラス」業態での出店も拡大させている。機能を訴求するための「過酷ファッションショー」や、2020年3月には時間帯によって看板を「ワークマン」から「ワークマンプラス」へ掛け替えて変身する実験店舗をオープンする予定だという同社の土屋哲雄氏に話を聞いた。

対談者
ワークマン 専務取締役 土屋哲雄氏
ジェイアール東日本企画 上級執行役員 デジタル・ソリューション局 局長 萩原浩平氏

商品はそのままに店舗の「空間戦略」を変えた「ワークマンプラス」誕生

萩原:土屋さんは三井物産のご出身で、アパレル業界の経験もないというユニークなプロフィールをお持ちですね。

土屋:三井物産では、35歳から約10年間社内ベンチャーを立ち上げ、秋葉原でレーザープリンターの制御装置やボウリングの自動採点装置などの開発をしていました。

その後復帰し、経営企画を担当したのちに三井物産を退社。IT企業を2社挟み、創業者(元会長)から声をかけていただいて、2012年にCIOとしてワークマンに入りました。

萩原:一般消費者向けの店舗形態「ワークマンプラス」を立ち上げるために入ったわけではないのですね。今の動きにつながるようなきっかけは何かあったのでしょうか。

土屋:当初は企業ガバナンスを見てほしいということだったのですが、1年くらい経った頃に社内にただよう逼迫感に気づきました。CIOとして入っていたので、3年、5年先を見たときに組織として店舗数が3桁なのか4桁なのか、ということは非常に重要な視点になります。多方面から分析してみると既存の事業には「取り尽し」感があった。社内のヒアリングでも、事実そうだということがわかりました。

入社当初のジョブアサインはCIOだったので事業の変革については考えていませんでしたが、事業をさらに発展させるポテンシャルのある会社だとは感じていました。そこに社内の天井感に気づき、当初の役割からジョブを増やして新規事業もやってみようと考えました。

アパレル事業の経験はなかったものの、ベンチャー時代に海外のパソコンメーカーの販売代理店として通販をしていたことと、秋葉原でパソコンショップもやっていたので多少小売の知見はありました。

商社時代に新規事業ををやったときに、売上100億円、利益10億円規模までは企画力ですぐに成長させることができましたが、1000億、2000億円規模へ成長させるには突出したオペレーション能力ないと難しいことに気づいていました。そこで、自分が企画し、オペレーション能力の高い企業と組むことが最適な組み合わせなのではないかと考えていました。

2014年に中期業態変革ビジョンを策定しました。従来の作業着、作業道具の専門店から、一般消費者向け衣料品の販売への参入も含む、市場を拡大し売り上げ、店舗数を拡大するための改革をスタートさせました。

もともと、ニッチな市場のナンバーワンで2位の企業とも大きく売上、店舗数ともに差があるので競争はないに等しい。そのため「変革」といっても期限はありません。そのかわり、やると決めたらできるまでやる。改革を実行するための組織へと移行するための準備として、社内文化についても、変えるべきもの、守ることを取捨選択しましたが、6割近くは変える必要はありませんでした。

社員に対しては、事業内容の変革にともなって、改革で価値観や業績評価も変わることになるので5年間で100万円のベースアップをすると宣言しました。成果報酬を先に出して会社としての決意を表現し、変革の機運を高めました。

ワークマン 専務取締役 土屋哲雄氏

萩原:ワークマンプラスは、それまでのワークマンの吉幾三さんのテレビCMや作業着のイメージから大きく変化しました。

土屋:テレビCMを変えたのは2014年です。リーマンショックをきっかけに、企業が作業着を支給することが減って、個人で買うことが増えました。これにともない、作業着にもファッション性が求められるようになりました。業界全体にスタイリッシュ化の波が来ていたにも関わらず、ワークマンの作業着は「ダサい」「許せる」「カッコいい」で分類すると8割商品が「ダサい」というものでした。こうした状況も社内の危機感につながっていた理由のひとつです。

当社は製品よりもオペレーションの会社で、PBの在庫をキャリーして翌年も売るという今のやり方は発想にありませんでした。商品在庫を持たないなど、創業者が作り上げた方針を39年守り続けて、成功した会社です。そこから意識を変えて、在庫をかまえても売れ続けるような商品力を身につけることは改革の第一歩でした。

ただ、作業着がスタイリッシュ化し、そこに一般消費者が先に目をつけていると気づくまでには1〜2年かかりました。店舗で派手な色が売れていることがわかり、購入者の属性を調査したところオートバイのライダーや釣りをする人が多かった。「ワークマン」のPBは作業員だけではなく、一般の消費者にもニーズがあった。

これが一般消費者向けの店舗設計を意識した「ワークマンプラス」誕生や、現在取り組んでいる「アンバサダー」と呼ぶさまざまなジャンルの愛好家の意見を聞いて進める商品開発にもつながっています。

ファンをアンバサダーとして商品開発に活用

萩原:ワークマンプラスの商品開発は、売れているものの傾向を分析して、そこからニーズを見つけたということですね。

土屋:最後に市場調査的なことをしたのは売り方を変えたとき、「ワークマンプラス」を立ち上げる前のことです。PBの製品を一般消費者にも使いやすいものにしたにもかかわらず、売り上げは4〜5年前から3〜5%しか伸びなかった。商品は良いので、問題は売り方ではないかと考えた。当社で「空間戦略」と呼んでいる出店場所や店舗内の設計などを180度転換しました。

従来のワークマンらしくない場所へ出店し、見せ方と顧客体験(UX)を変えることで消費者の意識を変えようとした。それがショッピングモールへの「ワークマンプラス」の出店です。路面店の建設費と同じくらい内装にも予算を投じ、既存店の「らしさ」をなくした店舗にしました。販売する商品は、従来の「ワークマン」と同じものです。

このモールの店舗が好評だったので、「ワークマンプラス」の2号店は路面に100坪の店舗を出しました。特に戦略があったわけではなく、仮に売れなくても通常のワークマンに戻せば良いという考えでした。通常アパレルの路面店は150坪から200坪くらい必要で100坪は絶対ダメだと言われていたのですが、2号店はショッピングモールの店舗より売れた。

「ワークマンプラス」の路面店の成功は、既存店舗の改善のヒントになりました。これまでワークマンは路面店でも一般消費者をカバーしてきましたが、そのうちの数店舗に「ワークマンプラス」の雰囲気を取り入れる“ミニ改装”を行うことで、さらに一般消費者も入りやすくしました。最近は、この「ワークマンプラス」仕様の店舗が増えていて、朝晩はプロ顧客、昼間と土日は一般消費者と回転率が2倍になる、二毛作的な店舗になっています。この店舗形態を今後の標準にする方針です。

2020年にはワークマンからワークマンプラスに看板が変わるコンセプトストアを出したいと考えています。今は、ワークマンプラスでないとアウトドアウェアは置いていないと思う消費者もいるので、この変身する店舗で商品が同じであることの認知を獲得したい。

萩原:ワークマンの商品は高機能でありながら低価格。これは他社に真似できないポイントです。そこにはどのような秘密があるのでしょうか。

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