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一人一人に寄り添う寺になるために ~築地本願寺の「伝え方」改革~

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本記事では、宣伝会議「編集・ライター養成講座」42期修了生の竹口麻衣子さんの卒業制作(2021年8月29日提出)を紹介します。

築地本願寺の僧侶たちが、現代人の感覚に馴染む仏教の在り方を模索し、お寺のイメージを変える大改革に挑んでいる。それまでの延長線上にない大きな転換のなかで、僧侶たちは何を感じ、どのように変化したのだろうか。

1943年に再建された築地本願寺本堂。設計は建築史家の伊東忠太。他に類を見ない特徴的な外観に加え、土足で入り椅子に座って参拝する珍しいスタイルの寺院である。

伝える内容はそのままに 伝え方を変える

「お寺が、どうしてここまでやるのだろう?」

近所の築地本願寺にふと立ち寄った際に、素朴な疑問が浮かんだ。

芝生とコンクリートで整えられた境内は現代的で、開放的な雰囲気だ。自由に散歩する人、買い物帰りの人、立ち止まって本堂に手を合わせる人など、多様な人が行き交う。敷地内にはおしゃれなカフェ。ウッドデッキの白いパラソルの下、フォトジェニックな和風スイーツの写真を撮る女性客の姿が目に付く。それらの風景が、古代インド様式の独創的な外観の本堂と違和感なく馴染み、調和している。

広々とした本堂に足を踏み入れると、本格的なライブ配信機器がずらっと並んでいるのが目に入る。傍らには、会員カードをかざす電子機器。参拝記念カードを手に取ると、デザイン、築地本願寺のロゴ、ともに洗練されていて、プロのクリエイターによるものだと一目で分かる。

「全部、お坊さんが仕掛けているのだろうか? お寺がどうして、ここまでやるのだろう?」

築地本願寺の安永雄玄(雄彦)宗務長の著書「築地本願寺の経営学」(東洋経済新報社)を読み、築地本願寺が10年かけた改革の途中であることを知った。「近寄り難さ」を払拭したカジュアルな雰囲気の醸成や現代的な取り組みの数々は、すべて改革プロジェクトの一環だった。改革の指揮を執る安永さんは、経営コンサルタント出身の僧侶。浄土真宗の教義はそのままに、「お寺の見え方」を変えようとするその取り組みは、企業でいうリブランディングに近い。

筆者は、IT企業でサービス構築やブランディングに従事してきた。それまでの業務の延長線上にない大きな転換の裏側では、現場の合意形成、推進する空気づくりに最も苦心した。長く続いたサービスなら尚更だ。

「境内の木を一本抜くのにも京都・西本願寺の確認が必要」という保守的かつ厳格なお寺社会に生きる僧侶たちは、改革で何を感じ、どんな変化を体験したのだろうか。

取材を依頼し、築地本願寺に関わる4人の僧侶から話を聞いた。これまで特に宗教に関心を持たず、浄土真宗の門信徒(信者)でもない、僧侶と話した経験すらなかった筆者だったが、気さくにインタビューに応じていただいた。

取材協力者
浄土真宗本願寺派 築地本願寺 代表役員・宗務長 安永雄玄さん
同 責任役員・副宗務長 東森尚人さん
同 伝道企画部主任 三谷智顕さん
浄土真宗本願寺派 超勝寺 住職 大來尚順さん

大規模改革はなぜ必要だったのか

築地本願寺は1617年に創建された歴史ある大規模寺院である。浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺を「本社」に例えると、唯一の「子会社」にあたる直轄寺院で、関東一都八県の寺を管轄する重要な役割を持つ。首都圏に住む人の認知度は89%(2018年築地本願寺に関する調査)に上る有名寺院で、著名人の大規模な葬儀や、ニコニコ動画とのコラボ企画「超テクノ法要」、ミュージシャンのライブ開催など、ユニークな取り組みでも知られている。

改革の目的は、地方のお寺を支援すること、既存の門信徒との縁を繋ぐこと、そして、首都圏の新たな門信徒を拡充することだ。

2017年に建設された「築地本願寺カフェ」。老若男女でいつも賑わう

宗教的浮動層と呼ばれる人々が浄土真宗と接点を持つために、従来の「お越しください」といった受け身のスタイルを改める必要があった。境内にカフェやギフトショップ、宗派を問わず申込可能な合同墓を建設。「サテライトテンプル」として築地本願寺GINZAサロンをオープンし、生きがい支援や終活相談など、生活に密着したサービスが充実した会員制度「築地本願寺倶楽部」をつくった。

改革の背景には、お寺の存続問題があった。核家族化や檀家制度の崩壊、宗教離れなどを理由に、現在全国に7万7000あるお寺のうち、今後20年で30%が消滅すると言われている(國學院大學神道文化学部・石井研士教授調べ)。経営難も深刻化し、年収300万円以下のお寺は45%にも及ぶ。「宗派の存続」のため、浄土真宗本願寺派は2012年に大規模な組織改革を行った。

2000年から築地本願寺で働く三谷智顕さんは、時代とともに宗教的な儀式の意味が薄らぎつつあると知りながらも、お寺がなくなる危機感はなかったと語る。
「いつも来てくださるご門徒さんを大切にして、そのご家族に縁をつなげていくのが最重要だと認識していましたが、新しい方々にもご縁を持っていただかないといけないと気づきました」

一方、超勝寺の大來尚順さんは、「現代人の感覚とお寺の在り方が乖離してしまっていた」と語る。ビジネスマンと僧侶、二足の草鞋を履く大來さんは、現代人の日常生活に役立つ仏教のあるべき姿を模索し、同じ思いを持つ僧侶と宗派を超えて繋がり、ビジネスマン向けの仏教講座「寺子屋ブッダ」を実施していた。「寺子屋ブッダ」の活動は、築地本願寺GINZAサロン着想の原点となり、大來さんは改革の推進会議に参加していた。
「安永さんが現れたとき、仏教の教えを現代に即したかたちにリニューアルしようとする方がやっと現れたと、個人的には安心感を持ちました。これで変わるんだな、と」

違いを認めるところから始める「異分子」安永さんの挑戦

現在の延長線上にイノベーションは生まれにくい。「以前に失敗した」「リソースが足りない」など過去の経験値が制限となり、障害になるからだ。切り口を変えるには、異なる価値観を持つ「異分子」の存在が必要になる。

800年の歴史を持つ浄土真宗本願寺派も、同じ課題に直面していた。通常、僧侶の多くはお寺に生まれ育ち、仏教系の大学を卒業して僧侶になる。結果、環境や考え方が似た「同質的」な集団になっていたと、西本願寺に長年勤務していた東森尚人さんは指摘する。
「内向きで同質的なグループの中で、過去の経験則で今までやってきたんです。それで、外部人材を登用することになりました」

改革の指揮者として選ばれ、初の民間企業出身の宗務長(代表役員)となった安永さんは、慶應義塾大学、ケンブリッジ大学を出て、銀行勤務、経営コンサルタントの経歴を持つ。2005年に通信教育を経て得度し僧侶となり、2012年から築地本願寺の評議員として、ビジネス目線での積極的な課題提起をしていた。
「儀式の重要性は非常に分かるし、人間にとってすごく大事なことを扱っている教団だと思います。でも、イメージを分かりやすく変えていかないと、伝わらないですよ。この教団が問われているのは自己変革能力。現状を客観的に見つめて、どうあるべきなのかという観点から見ないといけない」

しかし、安永さんと僧侶たちとのコミュニケーションは難航した。バックグラウンドの違いは「言葉が通じない」問題を生む。
「『そもそも安永さん、浄土真宗では門徒さんのことをカスタマーなんて言いませんから』って、まずはそこからでした。顧客って言うと怒られるんです」

価値観の違いも大きな課題となった。
「寺の価値は何か?と聞くと、『それは阿弥陀様のお力です』と言う。間違っていないかもしれないけど、それをどう伝えるかの議論がしたかった。でも、当たり前すぎて、そこからの話が通じないんですね」

どのように解決していったのだろうか。
「解決は、しません。違う文化や価値観の中にいる人に、その価値観だとうまくいきませんよって言っても、通じないです。だから、その違う価値観を認めることですね」

働く場所の提供価値によって、そこで働く人の価値観は変わる。多様な業務経験を持つ安永さんにも経験があった。
「決して、ここにいる人たちを馬鹿にしているわけじゃないんです。受けてきた教育も試練も違うから、仕方がない」

合意形成のために、安永さんは時間をかけて資料を作り、評議会で議決を取るプロセスを特に大切にした。批判的な意見があがると自ら出向き、粘り強く説明を重ねた。プロジェクトの協業先を選ぶ際は必ず複数社でコンペを行い、価格よりも「寺にとって本当によい提案かどうか」を吟味した。公平性を徹底し、自らが推薦する知人が落選することもあった。

外から見える改革と並行して、オンライン法要やライブ配信をスタート。

会議のオンライン化、押印撤廃やペーパーレス化など、内部の業務効率化も進めた。寺同士のコミュニケーションは郵送からオンラインに置き換え、築地本願寺内の情報共有にはグループウェアを活用した。

しかし、ツールが整っても「異分子」同士の溝は埋まらない。現場で「きちんと伝わって、人が動く」部分には、課題が残っていた。

安永雄玄さん。宗務長就任の打診を受け、経営している会社を理由に一度は断ったが、引き受けた。会社員時代に感じていた、「正しくないと思うことをして評価される違和感」は「人間的に成長したい、向上したい思い」に変わっていったと語る。

試行錯誤で見つけた寄り添い方 一人一人の多様性を尊重する

「安永さんの宗務長就任は、いわば黒船が来たようなものですよ」

東森さんはそう振り返る。築地本願寺の宗務長は、従来、宗門の重役経験者が務めてきた重要なポストだ。前代未聞の人事は、宗門内に大波乱を起こした。改革の内容を「突拍子もない」と批判する声もあり、現場はあまり良い状況ではなかったという。
「宗派事務トップの石上智康総長からの命令で、安永さんをサポートするために、僕が築地へ行くことになりました」

京都・西本願寺で浄土真宗本願寺派グループの企画部長を担当していた東森さんは、2018年に築地本願寺に異動。副宗務長となった。

東森さんは、僧侶の知識と経験をもって、安永さんの改革の推進をサポートした。安永さんの発信を分かりやすく変換し現場に伝える、いわば「翻訳者」となった。同時に、安永さんの傍らで様々なことを学ぶ。安永さんのアドバイスでグロービズ経営大学院に通い、ビジネスの知識を身に着けた。行動分析学を学ぶプログラムを導入し、中間管理職以上の僧侶が「伝え方・人の動かし方」を学べる体制をつくった。

外の世界との接点が増え、新しい価値観や考え方に触れた。IT面の支援を担当する外部人材のシニアマネージャーとの交流も転機になった。
「どうやって素朴なお坊さんたちから良さを引き出すか、アドバイスをいただいたり。社会常識や知見など、たくさん教えていただきました」

当時、築地本願寺で働くことを敬遠する僧侶も多かったという。
「本山・西本願寺で働くことが一番と考えられていたので。中には、モチベーションが落ちており、力を発揮できない僧侶もいました」

儀式や法話、寺の管理などの通常業務に加え、慣れない仕事が増えた混乱もあった。与えられた仕事の範囲しか理解しないこともあり、結果、コミュニケーションは難しくなっていた。

どうしたら伝わるか。東森さんは試行錯誤の中、「伝わるための発信」について考える。
「一方通行で伝えたつもりになっていても、だめなんです。職員が前向きに自ら考えるように、育てていかないと。一緒にやってきましょうよ、という謙虚さと協調性がないと、動かせないということを学びましたね」

相手の隣に座り、分からないところに一緒に立ち戻り、経験や状況に併せて説明を変えた。「浄土真宗を伝えていく同じミッションがあるのだから」と、肩を並べて寄り添った。
「お互いにリスペクトしながら良いところを引き出して、職員がやる気をもって能力を発揮できる環境づくりが大事なのだと、改めて思うようになりました」

経験や知識など、人の内面の多様性を尊重する考えは、一人一人を大切にする仏教の考えにも通じる。「翻訳者」から一歩進み、築地本願寺をよい環境にしていくことが、浄土真宗全体にもよい影響を与えていけるのではと考えるようになった。

やがて、東森さん自身の印象も変わっていく。
「『東森さん、来たばかりの時と比べて相談しやすくなった、すごく変わりましたね』と言われて。嬉しかったですね。職員に聞いても、築地本願寺の雰囲気が良くなったと言ってくれるようになりました」

東森尚人さん。大規模寺院である築地本願寺には、様々な人が訪れる。多様性を尊重し「お一人お一人に細かくどう寄り添うことができるか」を考える、ダイバーシティテンプルを目指したいと語る。(写真提供 築地本願寺)

認められ、頼られる存在へ

改革の結果、数字が動いた。参拝者数は2倍となり、合同墓の申込数は1万件を突破。築地本願寺倶楽部の会員数は2万5000人となった。築地本願寺カフェの「18品の朝ごはん」はインスタ映えすると話題を呼び、早朝から行列ができた。
「異色の僧侶が手掛ける大胆な改革」としてメディア取材が殺到し、テレビ東京の「カンブリア宮殿」では安永さんの経営手腕や先見性あるオンライン化施策が特集された。

阿弥陀仏の根本の願「第十八願」を由来とした、築地本願寺カフェの「18品目の朝ごはん」。お粥と味噌汁に加え、タコの塩麹和え、湯葉いくらなど16品のおかずが並ぶ。

東森さんは「まさかこんな右肩上がりで、皆さんからご好評いただくとは思っていなかった」と語る。
「僕たち職員は、お寺としての成功体験や高揚感を感じる機会が少なかったので、嬉しいですよね」

同時に、シニアマネージャーからは「こういう時こそ気を付けないといけない」とアドバイスを受けた。
「『世間さまからの信用は築城10年、落城1日。失墜は1日ですから』と。やはり仏教の教えにあるように、努力精進して、ゆめゆめ驕ってはいけないと思いました」

蓄積した知見や先行事例を外部へ展開することも開始した。
「浄土真宗、仏教をどう広めるかという視点に立てば、アイデアやノウハウをグループにも還元していく、懐の広い存在にならないといけないと思うようになりました」

外部との関係性も変化する。従来、築地本願寺は「グループ及び西本願寺から、支援される」図式だったが、2021年には「グループ及び西本願寺に、ノウハウをフィードバックする」関係になった。次第に、築地本願寺への配属、異動を希望する僧侶も増えた。

ライブ配信の機器を扱う僧侶たち。2020年5月からオンラインでの法要参拝を開始した。「コロナであきらめていたけれど法要ができてよかった」と好評だ。(写真提供 築地本願寺)

「脱皮し続ける蛇」になる

10年計画の改革は、残すところあと4年となった。これまでの取り組みを半年かけて評価し、リソースと効果のバランスを見ながら「選択と集中」をおこなう。

リアルの充実をしていく、ここからが本番、と東森さんは言う。
「一人一人が柔和性と謙虚さをもって僧侶としての本分を深めて、みなさんに『築地本願寺なら安心だね』と言ってもらえるようにしないといけません」

安永さんは7月の評議会で宗務長に再任され、任期は史上最長の6年となった。周りで応援してくれる人も、徐々に増えた。
「まだまだ戦いの途中。アウェイ感は、今も消えないですよ」
そう言って安永さんは笑う。それでも、こうして長い間リーダーシップを発揮できるモチベーションの源はなんだろうか。
「やりきって初めて、良かったのか悪かったのか、分かるじゃないですか。こうすべきだって筋道が見えているんだったら、そこに少しでも近づけていくのが、僕自身がここでやるべきことなのだろうなって思っています」

トップの仕事は、守りつつ新しいことをやることだと、安永さんは続ける。
「脱皮しない蛇は死ぬというけど、まさにそのとおり。それが常態になるまで、頑張らないとだめですよね」

築地本願寺には現在、150人の職員がいる。様々なバックグラウンドを持つ外部人材が、プロフェッショナルな領域で活躍しながら、僧侶と協業してプロジェクトを推進している。改革をきっかけに「異分子」が呼び込んだ様々な人や仕組みや価値観は、いま築地本願寺のなかで化学反応を起こし、活気に満ちている。そしてコロナ禍の今は、「不安を抱える人たちのために、お寺が何をできるか」を考えながら、日々新しいトライを繰り返している。

築地本願寺に立ち寄るたび、忙しそうに働く僧侶の姿を見かける。カフェのスタッフと打ち合わせをする僧侶。インフラ構築の現場に立ち会う僧侶。本堂の大階段を高圧洗浄する僧侶。テレビクルーに囲まれて取材対応をする僧侶。その表情は一様に、いきいきと明るい。

世の中の価値観が目まぐるしく変わる現代、「一人一人に、どう寄り添うか」を探す僧侶たちの挑戦は、終わりのない旅ともいえる。改革の期限を迎えたあとも、日々の小さな「脱皮」を繰り返しながら、僧侶たちの挑戦は続いていく。

月替わりの参拝記念カードには、仏教にちなんだ一言がデザインされている。デザインを手掛けているのは現代美術作家でデザイナーの中山ダイスケ氏。
8月の言葉は「すべてのいのちに金メダル」

参考文献:
「築地本願寺の経営学」 安永雄彦著(東洋経済新報社)

竹口麻衣子

福島県福島市出身、東京都中央区在住。2006年ヤフー株式会社にデザイナーとして入社後、企画、編成、PRを担当。現在は自治体DX支援コンテンツの企画や
ヤフー内外のサービスを掛け合わせたコラボレーション企画などを担当。

編集・ライター養成講座の受講は、単に文章を書くだけではない、集中して自分と向き合うエキサイティングな体験でした。貴重な機会を本当にありがとうございました。

先生方から課題のフィードバックを頂くたびに、「少し経験があるつもりだったけれど、知識もスキルも全く足りていない」と痛感しました。初心に帰り、地道に学びなおすきっかけになりました。印象的だったのは、卒業制作の企画レビュー会です。品田先生、山口先生からの指摘は鋭く説得力があり、他の受講生へのコメントも含め全てメモを取りました。それまでの集大成の内容でした。

卒業制作は、毎週通う大好きな築地本願寺にテーマを設定し、私の身近な同僚が読んで「面白い」と思ってくれる記事を目指しました。仏教や浄土真宗の知識がなかったので、予習に加えて、年表、インフォグラフィックス、発言録、人物相関図を作って取材に臨みました。執筆の目安の6,000字に対し、4名のお坊さんのお話の書き起こしは71,300字。感動、驚き、ユーモアありの面白いエピソードばかりです。「書き手の実力に見合わない、極上の素材をたくさん集めてしまった」と悩み、実際に文章を書き始めるまでに数週間かかったほどでした。盛り込めなかったエピソードも、いつかどこかで発信したいと考えています。

取材にご協力くださった築地本願寺、超勝寺の方々に心からお礼申し上げます。受賞をご報告したところ、たくさんの方が大変喜んでくださいました。コロナ禍で戸惑うことも多いなか、新たに大切な繋がりができたことを本当に嬉しく思っています。今ではすっかり「ホーム」のような感覚の築地本願寺に、今後も楽しく通いたいと思います。