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内なる偏見と向き合う

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「本記事では、宣伝会議「編集・ライター養成講座」41期修了生の佐倉イオリさんの卒業制作を紹介します。

長らく「身体の性と不一致感」を自覚しながら、「自分は性的マイノリティではない、普通だ」と、違和感から目を背けてきた私、佐倉。しかし、年齢を重ねる中、その違和感は大きくなり、追い詰められていきました。そんな私が、様々な人との出会いを通し、自身のアイデンティティと向き合ったおよそ7年の記録を見つめていきます。その中で私は、自らの中にあった無自覚な「偏見」にも気づいていくのでした。
「普通」とはなにか?答えを掴もうとあがき続ける人の自問自答を見つめます。
(個人を特定されないよう、登場人物には一部フェイクを交えていています。)

自分を殺して、母になるか? 子供は諦めて、男になるか?

2020年、37歳の私は、自分自身に、ある究極の二択を迫っていた。母になるか、男になるか。妊活のための産婦人科医、性同一性障害の診断をもらうための病院に、同時に通っているのだ。

妊活と男性化、同時に進める

30歳で結婚。以来6年間、何度妊活をしても、子どもは授からなかった。

「科学に頼るべし」と友人たちの後押しもあって、昨年6月、産婦人科の門を叩いた。そこで、私はありえないウッカリを犯す。初診の際「検診結果などあればご提出ください」と言われ、何気なくジェンダークリニックで受けた検査結果を提出したのだ。

それは性同一性障害の診断のための血液検査だった。細かいことは聞かれないだろうと、高を括っていたのだが…検査理由を聞かれてしまった。素直に「性同一性障害の診断のためです」と答えると、質問した看護師はパニックに。

「え?男性になりたいのに、母親になりたいんですか???」

かなり警戒した声。

妊娠したい思いはある、怪しい者でもない、治療を前向きに受けたいと思っています!と必死に言葉を重ねた。看護師は腑に落ちない顔をしながらも、納得してくれた。

初診を終え、帰りの電車の中で変な疲れがどっと出た。
 
自分がなぜ、このようなことになっているのか?閑散とした電車中で、私は記憶を紐解いていった。

「私は普通だ」という呪縛

女ではない、という感覚は幼稚園の頃からあった。性同一性障害の報道を見て、共感することもしばしば。自分の女性らしい声や、顔、胸を引き裂きたい衝動が起こることもしょっちゅうだ。それでも、私は「『彼ら』とは違う、私は普通だ」と目を背けてきた。身体を変えたいのも一種の自傷行為と、言い聞かせた。

実際、私は普通の女性と同じように、男性と交際し、結婚している。結婚すれば、違和感も消えると期待していた。

しかし、むしろ葛藤は増した。
嫁、妻、奥さん…それら全ての肩書は「女」でなければ呼ばれないものだからだ。一種のマリッジブルーだと自分を納得させても、気持ちは収まらなかった。

遂には昼間の住宅街を歩くことも、台所に立つことも、まともに出来なくなった。世界が私を女だと指差し、侮辱しているように思えてならなかった。それでも、自分を性別に悩む性的マイノリティ当事者とは思えなかった。トランスジェンダーの人が性別を変えるのは「同性愛を解消するため」と思っていたからだ。私は男性しか好きになれない。だから、自分を性的マイノリティではない、「ニセモノ」だと決めつけていた。

「ゲイ」と呼ばれる元女性たち

私は、男性である証拠に「女性を好きになれなければ」と、思っていた。性別を変えるのは、同性のパートナーがいて、その人と法律婚するため……同性愛者という肩書から脱するためのものだと思っていた。だが、好きになる相手が男性でも女性でも、自分自身の性別を変える人はいる。どの性別の人を好きになるかは、本人の性別の自認には関係ないのだ。その考え方を、私はすぐには受け入れられなかった。

自認と性別が一致していなくても、相手が異性なら、結婚もできるし、後ろ指をさされることもない。それならば、体の性別を変更しない方が、社会で生きるメリットは多い。そのメリットを投げ捨てまで、性別を変える選択をする人が本当にいるのだろうか?その選択は、許されるものなのだろうか?困惑とともに、希望が胸に湧き上がった。男性しか好きになれない私も、自分を「男性」と思ってもいいのかもしれないーー。ざわめく心を抑えられなくなていった。

“LGBT”に収まらないXジェンダー

しかし、その事実を確かめたくても、トランスジェンダーに会う勇気はなかった。私の気持ちを分かってくれそうな人はいないか。インターネットで検索すると「X(エックス)ジェンダー」という言葉が引っかかった。男性でも女性でもない、第3の性を謳う人々だ。近いうちに交流会があるようで、参加してみることにした。

交流会は古いアパートの空き部屋で行われた。女性なのか、男性なのか。はたまた女装や男装か、元の性別がよく分からず、男女比は掴めなかった。年代は10〜50代超の人といったところか。周りの様子を見ながらも、私は人と目を合わせるのが怖くて、スマホばかり眺めていた。

定刻になり自己紹介が始まった。それぞれ呼ばれたい名前と、ジェンダー・アイデンティティを発表していく。
「男性でも女性でもない」
「男女どっちでもあります」
「男性の日、女性の日、自認は日替わり」など。

私は居心地の悪さを覚えた。男は男で、女は女ではないのか?私の理解を超えた話ばかりだった。

そんな中、トランスジェンダーと思われる人が目に入った。30代半ば。戸籍上は女性だが、男性として会社勤めする人だった。数年前から男性ホルモンによる治療を始めたという。華奢ではあるが、声も低く、街中で会えば元女性とは考えもしなかっただろう。

彼は自分の恋愛対象を、男性だと教えてくれた。同性愛者のトランスジェンダーは本当にいたのだ。しかし、男性として生きているのに、なぜXジェンダーの集まりにやってきたのだろう。
「僕は、今までXジェンダーを名乗っていたんだ。男と言い切れなかったのは、男として生きる自信が持てなかったからだと思う。」
自信…性自認に自信が必要なのだろうか?私は自分のことを棚にあげて、ひどく意地悪なことを思った。そんなに悩むなら、結局やっぱり女じゃないのか?と。
「男になる自信がない」
今もその言葉は、今も私の胸につっかえたままだ。性とはなんなのか?謎はますます深まった。

ジェンダーやセクシュアリティは多種多様

改めて、性の多様性とは一体何なのか?根本から学び直そうと考えた。よく言う「LGBT」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字から造られた言葉だが、性的マイノリティはその4つでないという。最近「Q」や「+」などが付け加えられた報道を見たことはないだろうか。Xジェンダーなど多様な人たちを明確に表現しようとしてのものだ。Xジェンダーは日本で生まれた言葉で、英語ではクイア(Queer)やノンバイナリー(non-binary)といった表現もある。どれも微妙に定義が違い、それ以外にも言い方は様々だ。

私は全部覚えるのは挫折したのだが、画像で、記憶できた言葉を紹介したい。

ジェンダーやセクシュアリティを表す言葉は多岐に及ぶ

それにしても、なぜここまで事細かな呼び名があるのだろう。

それは、性は境界線のないグラデーションだからだ。

パロメータの指す場所でアイデンティティを表す(著者の場合)

 
皆一人ひとりの性の形があると考えられる。現在、戸籍上性別の判断はシンプルだ。産まれた時の外性器の形で、その後の性別が決まる。しかし、そんな戸籍上の性別を見るまでもなく、私達は声や服装、仕草などの情報を元に人の性別を判断している。
図を見てもらいたい。「戸籍上(身体)」「好きなる性」「自認」「服装、話し方など表現」という性別の4つの側面があると考えられている。私自身、こういったポイントから、人の性別を判断しているように思う。「女ではない」とずっと思う私は、どう自分の性を捉えているのか当てはめてみることにした。私の場合、戸籍上(割り当てられた性別)は女性。好きになる性、性自認は男性で、性表現はどちらでもない。

性自認以外は女性として生きられているのに、性自認が女性でないというだけで、ずっと悩まされているのだ。

(余談だが、性的に好きになる度合いも人によってグラデーションがあるという。男性だろうが女性だろうが、誰にも性的指向が向かない人もいて、アセクシュアルなどと言われている。)

トランスできない私は「ニセモノ」?

1つ1つ性別の要素を切り分けることで、男が好きでも、女が好きでも、トランスジェンダーということになる。この考えに触れたことで、私は自分の中の男女観の偏りに気が付かされた。男性ならば、女性を好きになるはずだと、決めつけていたのだ。

そんな偏見に気がついても、自分の状態を受け入れられなかった。仮に自分がトランスジェンダーだとしても、実際に性別を移行できる『彼ら』と私では、きっと何かが違うはずだ。

その後も、私はいくつかの交流会に顔を出すようになった。色々な人の「性」を見聞きしてきたが、誰の話を聞いても、皆どこか自分と同じ「普通」の人だった。

そんな中、男性から女性へ戸籍変更した人と出会った。性別移行に関わるあらゆる治療と手続きを済ませた「完全な女」になったはずだが、その人はXジェンダーを名乗っていた。
戸籍上の性別を変えるには、生殖腺(精巣や卵巣など性に関する臓器。外見上に大きな変化がない)を切除する必要がある。だが、当然身体、経済的負担が大きい。そのせいか、戸籍変更までする人には、あまり出会えなかった。

そこまでやったのに、なぜ女性ではなく、Xジェンダーを名乗るのだろう?素朴な疑問をぶつけると、

「そこまでやりきらないと自分は、自分の性に気づけなかっただけ。そういう性格なんだ」。

後悔を含んだような、諦めたような、複雑な思いが感じられた。メディアで見るような分かりやすい答えではなかった。その人も、人生を迷いながら歩む、私と同じ「普通」の人だった。

それを聞いても、私は腑に落ちなかった。

『あなたから見て、私の違和感はニセモノ?』

そう問うと、少し困ったような顔で答えた。

「それが、あなたの性格なんだよ」。男か女か、ニセモノかホンモノか。決めるのは、あなた自身だと、言われた気がした。

男でも子供を産める?

男性になるか否かの前に、私には大きな葛藤があった。

それは、夫との間に子供を持ちたいということ。

彼と子供を育てられたら、人生はもっと豊かになる。夫は、そう思える人だ。もし私が男性として生きるとなれば、子供は諦めなくてはならないだろう。ある日、そんな悩みを吹き飛ばすような写真を見つけた。

それは髭面の男性が、臨月になったお腹を出し、微笑むもの。

男でも子供を産める?

ディープフェイクや、フィクションかとも思ったが、記事を読むとそうではなかった。女性から男性に移行したトランスジェンダーが、子供を身ごもったというのだ。

生殖機能は回復する

性同一性障害の治療である性ホルモンの投与は、人工的に思春期の第二次性徴期を起こすようなものだ。中学時代を思い出してもらいたい。体毛が濃くなる人もいれば、たいして変わらない人もいただろう。治療の効果も個人差が大きく、思うように性別移行できない人もいる。一方で、必ず起こる変化もある。男性ホルモンを投与すれば声変わりし、女性ホルモンであれば乳房は膨らむ。それらは一度変化すれば元には戻らないそうだ。

しかし、妊娠機能は違う。ホルモン治療をやめれば回復するというのだ。それどころか、治療中でも妊娠は起こりえる。

メディアで扱いがなくとも、子供を産んだ「男性」は、きっと日本にもいるはず。私は躍起になって探した。

そして、「あの人なら分かるかも」「彼なら答えてくれるかも」と、幾度かの紹介を経て、匿名のSNSアカウントにたどり着いた。DMを送ると、会って話を聞かせてくれるという。

その人は、子供一人を子育て中で30代前半。見た目は確かに、女性とも男性とも言い難かった。はじめてあった時、季節は初夏。薄手のシャツから、胸は抑えて隠しているのではなく、真っ平らだった。少年のような声で、まるでエヴァンゲリオンのカヲルくんのようだった。

「男にならなかったら産まなかった」

その人は、20代のころ、男性として働く中、夫となる人と出会い、結婚し、身籠ったそうだ。私が、子供を持つことに悩んでいると打ち明けると、独り言のようにつぶやいた。

「あなたは未治療のまま、子供を持とうとしてるんだね。僕は…男にならなかったら、子供を持つなんて選択、絶対しなかったなぁ…」。

その言葉に胸がギュッと痛んだ。私だって、結婚しただけで気が狂いそうになっているわけだ。ましてや母になるだなんて。

当時、私は34歳。男性化した後の妊活も頭をよぎったが、年齢的に可能か、想像がつかなかった。そもそも男になんてなったら、夫との関係にヒビが入りやしないのか。

夫には、女性じゃないという違和感や当事者たちとの交流を逐一伝えていた。隠していては説明できないことばかりだったからだ。

彼は、困ったような笑顔で受け入れてくれた。単純にどんな表情をしていいか、わからなかっただけかもしれない。ただ、男性ホルモンの投与には「オレには、男性になったあなたを好きでいられる自信がない」
と、素直な気持ちを打ち明けてくれた。

子供を持つこと、夫との関係。答えが出ないまま自問自答を続けるうち、2020年になってしまった。

気づかなければ悩まなくてすんだ?

私の年齢も、四捨五入したら40歳だ。もう、悩むより動こうと、産婦人科とジェンダークリニックに通い始めたわけだ。

通院を始めて、およそ半年、私の中である疑惑が大きくなってきた。

もし私がLGBTの知識を得なければ、こんなことで悩まなかったのでは?

実際、自分の違和感を自覚してから辛さが増していた。髪型や服装を男性っぽくしていることもあり、不審者に思わそうで、女子トイレを避けるようにもなっていた。

私は「普通の幸せ」を、自ら捨ててしまったのだろうか?そんな疑問を私はある人にぶつけたいと思った。
 
私と同じように、結婚後に自身の性別の違和感に気づきた人だ。私と同世代の30代半ば。初めて会ったのは、その人がホルモン治療をスタートしていた頃だった。

その人が今年、離婚したと風の噂が流れてきたのだ。今は男性として暮らしているそうだが…離婚までしてしまったことに、後悔はないのだろうか。私は思い切ってコンタクトを取ることにした。

「寝てる子を起こすな」はウソ

久しぶりにあったその人は、穏やかな表情で再会を喜んでくれた。私が不躾な疑問をぶつけると、私が言い終える前に、力強く答えた。

「めちゃくちゃ今幸せですよ」

その様子は、以前とはまるで違った。2年前は、言葉選びに慎重で、いつも感情を抑えるような語り口だったからだ。

「『寝た子を起こすな』って言葉がありますが、もし、子供の頃からジェンダーやセクシャリティの多様性を知っていたら…もっと早い段階で、自分らしく生きられたと思うんですよね。全く後悔もしていないですし、今が人生の中で一番幸せです。」

迷いがなく、はつらつとしていた。これが本来の姿だと感じさせられた。

私は、もう一つ、どうしても聞きたかったことを口にした。

「気づかない方がよかった、とは思いませんか?」その答えは、一層強い語気で返ってきた。

他人の尺度で選択肢を奪うのは差別

「『気づかない方がよかった』って考えは、差別に加担することだと思います。それって、性別を理由に、誰かが誰かの人生をジャッジするってことですよね?性的マイノリティには、そもそも他に選択肢がないと気づいていなんです。それって、特権のあることだと思うんですよね。すごく」

「差別」――。

はっとした。私は結局、男か女かの二択に自分を当てはめようとしていただけではないか。無自覚ではあったが、私は幼少期から、ずっと自分を女と思えなかったのだ。いつも、ただ、自分の気持ちを抑え込んでいただけだった。
 
もしも、男性同士の恋愛が、冷やかしの対象でなければ?もしも同性婚が、認められていたら?「女を好きになれなくても大丈夫」と、自分を肯定して生きられたかもしれない。

より生きやすい社会をチューニング

私は様々な人と出会い、自分の中に眠る偏見を発見してきた。性的マイノリティ当事者たちの気持ちが分かるからと言って、差別意識がないわけではない。それに気づくまでに、5年以上の時間がかかってしまった。

もちろん、偏見を自覚できたところで、即座に変化があるわけでもない。

夫には閉経を機にホルモン治療を受けると話している。老齢期は男女の境が曖昧になり、肉体的にも社会的にも負担が少ないと考えたからだ。とはいえ、やっぱり女性で見られることに耐えきれなくなり、すぐに治療を初めるかもしれない。

妊活も、どうするか正直分からない。半年間のタイミング法では子供ができなかった。結局、また結論を先送りしてしまう気もする。だが、その時々、無理せず生きられるよう調整していくだろう。

それは、社会も同じではないだろうか。価値観は常に代わっていく。時代時代に合わせ、制度もチューニングが必要だろう。そんな試行錯誤の先にこそ、豊かな未来があると、私は信じている。

佐倉イオリ

1983年生まれ。映像ディレクター業の傍ら、
編集ライター養成講座の受講をきっかけにライター業もスタート。
主に性的マイノリティ当事者へのインタビューなど、ジェンダーに関わる記事を手掛けることが多い。