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大きな物語の時代が終わり、無数のナラティブが生まれた

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ビジネスの現場で「ナラティブ」というキーワードが注目されつつあります。ナラティブとは、人びとが自分自身の体験から紡ぎだす言葉(物語)であり、語る人と聞く人がともに創り出す物語ともいえるもの。では、なぜ企業のコミュニケーションにナラティブが求められるのでしょうか。マスメディアを通じた発信に慣れたマーケターにはしっくり来ないかもしれません。

本稿では、書籍『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力』の著者でPRストラテジストの本田哲也氏と、マーケティングや広告・メディア事業のコンサルタントで社会構想大学院大学特任教授として教壇にも立つ高広伯彦氏が、2回にわたって「ナラティブ」をテーマに語り尽くしました。話題は社会学から哲学、人気アニメ、パーパス、と縦横無尽に広がって……。

ナラティブには語り手の人生が表れる

本田:『ナラティブカンパニー』の刊行がおよそ1年前のことですが、ここ最近マーケティングやブランディングの文脈で「ナラティブ」が話題に上ることが増えていると感じます。ナラティブ(narrative)は「物語」とか「語り」と訳されますが、一方で色んな解釈がされやすい言葉でもあります。

注目されつつある今だからこそ、改めてナラティブの本質について高広さんと掘り下げていきたいと考えています。

ナラティブという言葉は1990年代ごろから出てきていますが、当初は主に医療や教育の分野で使われてきました。ビジネスの世界で注目されてきたのはここ4~5年のことではないでしょうか。行動経済学の権威でノーベル賞受賞のロバート・シラー先生(イェール大学教授)による『ナラティブ経済学』(2019年)はその契機のひとつと思います。

高広:今回の主旨を聞いて、ナラティブに関連する書籍を持ってきました。

高広伯彦氏(左)と本田哲也氏

高広:まず「ナラティブ」は身体性を伴うもの。書き言葉との対比でいうと話し言葉の側にある概念といえます。

本田:やまだようこ先生(心理学者・京都大学名誉教授)の『ナラティヴ研究』でも指摘されていますね。語られた内容を、語りの要素を残しながら再構築するのがナラティブ。語りの身体性が重視されるのは経験や考え方など、語り手の人生が表れるからでしょうね。

高広:野口裕二先生(東京学芸大学教授)の『ナラティヴ・アプローチ』でも、そこをどうピックアップするのかがポイントになると指摘しています。ナラティブには、語られているものの中に必ず経験が入っているはずで、重要なポイントです。

本田:だから産まれたばかりの赤ちゃんにはナラティブはない。

高広:『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』(ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン著)で取り上げられている社会構成主義は、人が相互に関係しあうことで意味が生まれていく、現実の社会が構成されていくという考え方です。その流れでも人間関係や「社会」が存在しないとナラティブは生まれないというのは間違いないですね。

大きな物語の中に正解が無くなった

高広:近年、ナラティブが話題になっている背景には、二つの視点があると考えています。ひとつはマーケティングの視点。もうひとつは少し大きな、現代思想というものが注目を浴びていた頃にも挙げられていた哲学的な観点です。

哲学的な観点から説明します。ジャン=フランソワ・リオタールが1979年に書いた『ポスト・モダンの条件』の中に「大きな物語の終焉」という概念が出てきます。

科学などわたしたちが正しいと考えるあらゆるものを支えるために「大きな物語」としての哲学を必要としてきた時代が「モダン」であり、一方でポストモダンというのは、その「大きな物語」が崩れて、小さな物語がたくさん出てきた結果だと考えられています。

大きな物語にはある種の普遍性が求められるのに対して、小さな物語はそこら中にある。ある種の異質性が担保されていて、小さな物語は大きな物語になることを目指していません。

リオタールが指摘したのは1970年代でしたが、ナラティブについても「大きな物語と小さな物語」と同様の構造のことが起きているのではないかと思います。不確実性が高いといわれる現代、経営学やマーケティング・コミュニケーションの分野でもたくさんの研究が生まれています。これまではそれらを支えている大きな物語のようなものがあった。現代はそれが崩壊して、企業や組織それぞれの物語が必要になっている。マーケティングやコミュニケーションにおける大きな物語の中に解は無くなった。こうした状況がナラティブに注目が集まる哲学的観点での理由と考えられます。

ストーリーテリングとナラティブは別物

高広:マーケティングの観点では、哲学者・思想家ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(1970年)以来、「記号消費」という考え方が一時流行りました。物を買う行為自体が記号を消費すること、つまりコミュニケーションだという考え方です。

記号消費が日本でブームとなった少し後、1989年に大塚英志の「物語消費論」が出た。物を買うとき、物質そのものを買っているのではなく、その背景にある「物語」を買っているという考え方です。その事例として「ビックリマンチョコ」や「シルバニアファミリー」のように世界観が売れたものが挙げられています*1)

ナラティブの文脈で見ると、今のブームは社会や世間の中で企業が顧客と対話することを「ナラティブ」と呼んでしまっている人たちもいるように見えます。ですが、これはいわば「ストーリーテリング」と呼ばれるもので、実態は「物語消費論」と変わらない。

本田:消費されることが前提で、「物語」をつくろうとしている。または引き出そうとしている、ということですね。

ナラティブはいわゆる「ストーリーテリング」とは違う、ということは強調しておきたいところです。ブランド側だけがつくった「物語」はナラティブではない。

高広:そもそも社会というのは企業と顧客の関係も含めた人間関係、異論ある人たちのネットワークの中で現実が作られている。その全体を決定づけるようなものはもう存在しなくて、つながりの中にそれぞれのナラティブがある。「大きな物語」のようによって立つものがなくなった。

本田:その話はとても分かりやすいですね。今、社会のあらゆるものがフラット化しつつあります。働き方改革の流れも、企業と労働者がフラットな関係性であることが求められている。そのため、多様なそれぞれの物語の方が重要になってくるということでしょうね。

高広:大きな物語には客観的で確実性の高い現実の存在が前提にあります。でも、現実というものは一つではなく、多様な形で構成されている。しかもますます不確実性も高くなってきている。その変化の激しい、多様で動的な現実をそれぞれの当事者が自らの語りとして表現することがナラティブなのだと思います。そして、企業や個人も社会の一部。その中でいろいろな人と関わりの中でナラティブが紡がれている。

本田:ナラティブは消費される物語ではなく、常に紡がれ続けていくもの、ということですね。

高広:そう。なのでストーリーテリングとナラティブを混同する人は対象を「消費者」として見ているのではないかと思います。商品を消費することと、その背後にあるストーリーを消費することも結局は同じ。消費者と捉える限り共創関係にはなれない。

本田:ナラティブにおいては共有し共創することが非常に重要なポイントだと思います。

後編はこちら

*1)1980年代に爆発的ヒットとなった「ビックリマンチョコ」で子ども達が求めていたのは、チョコレート菓子ではなく〈オマケシール〉だった。大塚はこうした現象について、商品そのものではなく背後にある「大きな物語」が消費されていると指摘した。女児に人気を博した玩具「シルバニアファミリー」も同様に例に挙げ、ドールハウスとミニチュアの存在が物語を発生させると述べた。

 

高広伯彦氏(たかひろ・のりひこ), Ph.D.
マーケティング及び事業開発アドバイザー、実務家教員(社会構想大学院大学特任教授)、京都大学博士(経営科学)

博報堂、電通、Googleを経て独立。実務における広告テクノロジー、マーケティングテクノロジー、顧客視点での事業・プロダクト開発についての知見と経験をもとに、現在はB2C/B2B、ベンチャー、大手上場企業問わず、各種企業のマーケティングや事業開発支援を行っている。主な著書『次世代コミュニケーションプランニング』、『インバウンドマーケティング』など。他論文・寄稿に「コンテクストを重視した企業コミュニケーション活動への視点」『広報研究』25号2021年、「デジタルマーケティング~マーケティングの民主化」『一橋ビジネスレビュー』VOL.64 NO.2 2016年など。

 

本田哲也氏(ほんだ・てつや)
株式会社本田事務所 代表取締役/PRストラテジスト

「世界でもっとも影響力のあるPRプロフェッショナル300人」に『PRWEEK』誌によって選出されたPR専門家。1999年に世界最大規模のPR会社フライシュマン・ヒラードに入社。2006年にブルーカレント・ジャパンを設立し代表に就任。2009年に『戦略PR』(アスキー新書)を上梓。P&G、花王、ユニリーバ、サントリー、トヨタ、資生堂、ロッテ、味の素など国内外の企業との実績多数。2019年より株式会社本田事務所としての活動を開始。
著書に『戦略PR 世の中を動かす新しい6つの法則』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ナラティブカンパニー企業を変革する「物語」の力』(東洋経済新報社)ほか。