なぜホッチキス水口さんとCENDO宮田さんは「金沢」にオフィスを開設したのか?クリエイターの地方移住を考える

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これまで東京への一極集中だったクリエイティブ業界で、クリエイターの地方移住が増えている。中でも注目を集めているのが、昨年、北陸新幹線が開通した石川県金沢市。クリエイターが移住するための制度を整え、ホッチキス 水口克夫さんも昨年、金沢支社を設立した。そこで、2010年に金沢市に移住し、地方でのオフィス開設の先駆者であるCENDO 宮田人司さんと水口さんの二人に、なぜ金沢を選んだのか、そして地方でクリエイティブな仕事をすること、その土地でキャリアを切り拓く方法について、語ってもらった。
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水口克夫 氏(写真左)
株式会社Hotchkiss代表/アートディレクター
金沢美術工芸大学卒、1986年電通入社。2003年シンガタ設立に参加。12年Hotchkiss設立。主な仕事は、サントリー響「若冲」篇、JR東日本北陸新幹線開業、森アーツセンター岸本斉史 NARUTO展、明光義塾、野村不動産(他JV3社)Tomihisa Cross、すかいらーく「ガスト、ジョナサン」、オリンパスSTYLUS、工場野菜「808 FACTORY」、NHK大河ドラマ「真田丸」ポスターなど。受賞歴はADC賞、カンヌ国際広告祭、アジア太平洋広告祭ベストアートディレクション広告電通賞、朝日広告賞、毎日広告デザイン賞など多数。

宮田人司 氏(写真右)
株式会社センド代表
1989年に音楽家として起業し、マルチメディア時代にコンテンツ産業に関わるようになり、作・編曲やプロデュースを手掛けた。インターネット黎明期にISP事業を創業し、モバイル事業にも早くから参入。世界初の音楽配信となるi-modeの着メロ事業を成功させる。クリエイティブ活動として、3DCGアニメーション・スタジオや、iOSアプリ開発等も手掛ける。2010年に東京から金沢に移住し、クリエイティブ事業及びベンチャー支援事業を開始。また、デザインとテクノロジーで地域課題を解決する非営利組織Code for Kanazawaを立ち上げ、ゴミ収集問題の解決プログラムをオープンソースとして公開し、全国80都市以上への広がりを見せ、民間によるオープンデータ活用の成功事例として導く。直近では子どものための創造企業PICCOLO社を創業。

大人目線だと面白い「金沢」

—宮田さん、水口さんのお二人はなぜ、金沢を選ばれたのですか? まずは、その理由から教えてください。

宮田:ぼくの仕事はデジタルが中心なので、PCがあれば一台でほぼ仕事が完結します。もともと働く場所を選ばないのですが、東京にいると打ち合わせがすごく多くて、昼間だろうが深夜だろうがおかまいなし。あるときは深夜2時に「今から六本木に来られませんか?」という電話が掛かってきたことも。そんな状況では、頭も回らなくなるし、効率がいいとはけっして言えなかった。

金沢に興味を持ったのは、2001年にeAT金沢(イートかなざわ)に呼んでいただいたこと。これは金沢市民芸術村で行われているエレクトロニックアートのイベントで、ゲストが毎回凄い人たちばかり。それまで金沢に縁はなかったですが、ここなら東京ではできないことができるかもしれない、それに時間をもっと有効に使えるな、と。

水口克夫 氏

水口:ぼくは東京を拠点に広告の仕事をしてきていますが、実は金沢出身なんです。ぼくも2004年にeAT金沢に出ましたが、毎回、宮田さんやCMディレクターの中島信也さんが嬉々として金沢に行かれるのを不思議に思っていました(笑)。

それで、彼らについて行くと、小さい頃に「子ども目線」で見ていた金沢ではなく、大人目線の面白い金沢が見えてきた。そんななかで、金沢の伝統の奥深さとテクノロジーの革新性に上手に融合していると感じたんです。それって、とても面白いなあ、と。

—クリエイターにとっての魅力が、金沢にあったということですか?

CENDO 宮田人司 氏

宮田:そうですね。「ものづくり」をするためには、まず環境を整えることがとても大切です。金沢は「食」が充実していて気持ちが豊かになりますね。器をひとつとっても素晴らしいし、盛り付けや味つけに関しては芸術の域。食に関しては、日本で一番じゃないかなあ、と思うぐらい気に入っています。

子育てにしても、さまざまな育児書に「子どもは3歳までの教育が大切」と書いてある。つまり、3歳までにどこで育てるのかということですよね。僕は、家族が幸せであれば、仕事に集中できるので、家族の環境という面も考えました。

あとは、やはり北陸新幹線の開通ですよね。より外部に開かれた印象を受けます。水口さんもお話された、伝統工芸とハイテクが違和感なく存在する感覚は、枠にはまらないタイプの人を歓迎するムードにつながっていますね。

水口:街が変わると、人も変わりますよね。いまのお話を聞いて、ぼくの小さい頃と比べて、金沢は多様な人材を受け入れる街になったんだなあ、と思いました。そうなると、宮田さんのようなIターンのクリエイターだけじゃなく、ぼくみたいなUターンも増えてくる。そうやって街自体が、クリエイティブな場所へと変わっているんだと思います。

—最初にオフィス開設を決めたとき、不安はありませんでしたか?

水口:ぼくは思いついたらすぐ行動するタイプ。電通、シンガタを経て独立し、東京で「ホッチキス」を立ち上げたのが2012年。当時すでに47歳でしたので、僕としてはそれまでの人脈や友人という財産がありました。家族の不安は強かったかもしれませんが、仕事がまったく無くなることはないだろうと。

金沢支社についても、独立から3年で開設するというのは性急に思われるかもしれないけど、ぼくは当初から設立を見越していました。だから、不安というよりも、新幹線の開通に間に合ってよかった、という感覚ですね。

宮田:ぼくも不安はあまり無かったですね。クライアントやパートナーとのコミュニケーションについては、電話もあれば、メールもあるので問題ない。

それに、今は誰もが情報発信できる時代ですよね。簡単にWebもつくれますし、制作物をFacebookやTwitter、Instagramに載せれば見てもらえる。かえって東京にいるときよりも注目されて、活動を知ってもらえるような気がします。
 
—働く拠点を変えると仕事が無くなると心配するクリエイターもいると思います。特に、若手クリエイターは営業活動をしなければいけません。

宮田:それは当然でしょう(笑)。経験豊富であれば、指名で仕事も入るでしょうが、そうでなければ、自分でとりにいかなければいけない。それは東京に居ても、地方に居ても同じだと思います。

ただ、地方は今までにないほどアイデアを欲しがっている。ぼくの会社でも金沢市のPR映像を制作させてもらいましたが、ぼくたちのような外部の視点が入るとガラッと中身が変わり、伝え方も変わる。今までのものを見慣れている人は、その違いが分からなかったりするのですが、Youtubeで公開すると視聴者数が圧倒的に違うんです。その土地のいいと思ったものをなぜいいのか、説明できる力が重要だと思いますね。

水口:ホッチキスの金沢支社に常駐しているスタッフは、もともと金沢には何の縁もなく、長崎出身。ただ、自分からどんどん動いて、いろいろな人とつながり始めて、「ホッチキスさんがそんな面白いことをしているのであれば、ちょっと手伝ってよ」といった感じで仕事が生まれています。

東京と同じ仕事を地方でもするつもりなら、それはつまらないと思うんですね。金沢にもコピーライティングの仕事はあるけど、単純にコピーだけを書けばいいかと言えばそれも違うはず。地方だからこそできることを、自分なりに考えた方が面白いんじゃないかと思います。

次ページ 「「金沢」だからこそ実現した仕事」へ続く


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