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パンの形 ―“大澤秀一”という職人がつくるパンの形―

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【前回記事】「なぜ私たちは英語を学ぶのか?~翻訳家・エッセイストの村井理子氏に聴く、英語学習と翻訳の関係~

本記事では、宣伝会議「編集・ライター養成講座」大阪教室29期修了生の岡田幸子さんの卒業制作を紹介。取材対象は2019年10月にフランスで行われた「第7回モンディアル・デュ・パン」で、日本初の総合優勝を果たしたパン職人の大澤秀一さん。パン職人としての半生や2020年8月に開業したベーカリー『Comme N』(東京・世田谷)の展望について、話を聞いた。

「これがゴールではなく、これからがパン職人としてのスタートです。」

大澤秀一さんは、「第7回モンディアル・デュ・パン*」総合優勝直後のインタビューでそうコメントした。パン職人として世界一を示す賞を受賞したにも関わらず「これからがパン職人としてのスタート」と答えたのだ。

この大会で、大澤さんとアシスタントの久保田遥さんは、日本人初となる総合優勝のほか、サンドなどの調理パンを評価するスナッキング部門、飾りパンの芸術性を評価するピアスアーティスティック部門、チームワークを評価するベストアシスタント賞の3部門を受賞した。

筆者は、大会終了後に配信された会場の様子をオンラインで見たのだが、大澤さんの作った、流鏑馬をモチーフにした飾りパンの映像に目が釘付けになった。ウェブ越しの映像なのに、尋常ではない熱量が伝わってきた。騎馬も射手も生きているようにしか見えなかった。

「第7回モンディアル・デュ・パン」で総合優勝した大澤さんら。受賞作品のパンは、漆黒に輝く騎馬が、空を駆け上るように両前足を高く上げている様子を表現した。
*2年に1度フランスで開催されるパン職人のための国際大会。5年以上経験のある25歳以上のパン職人と、22歳以下のアシスタントがペアになり、世界のパン部門、デニッシュペストリー部門、サンドイッチ部門、芸術作品の4部門について、課題とされるパンを制限時間内に完成させ、そのクオリティを競い合う。評価対象は、味、造形、技術、栄養、工程、独自性、衛生面、チームワークなど。

大澤さんの考えるパン職人とはどんな人物なのだろうか。また、大澤さんが見ている「これから」とは、どんな景色なのだろうか。大澤さんという人の作るこれからのパンは、どんな形をしているのだろうか。直接本人に聞きたいと思い連絡を取った。

大澤さんにお会いしたのは2020年8月7日。ベーカリー「Comme´N Tokyo(コム ントウキョウ)」の出店準備で忙しくされていた。

「Comme´N Tokyo」。最寄り駅は九仏品。JR大井町駅から東急線に乗り換え、自由が丘駅をひとつ越えたところにある。

コンクリートでシンプルに作られた店舗入り口から出てきた大澤さんは、パッと見るとアスリートという印象だった。アンブロの黒いTシャツ。首に巻いた赤いタオル。日焼けした顔。筋肉質な体型。きちっと丸く切り揃えられた爪が、パン職人かもしれないと思える箇所だった。

店舗内が整備中なので、すぐ近くにある浄真寺横の公園で話を聞かせていただいた。参道に沿って植えられた木々の葉は青々と茂り、セミが勢いよく声を鳴り響かせていた。

——大会優勝後のコメントで「これからがパン職人としてのスタート」と話されました。あんなにすごい技量があれば十分パン職人だと思うのですが、大澤さんの言う“パン職人”とはどんな人のことを指すのでしょうか?

大会で作ったパンっていうのは、大会で勝てるパンであればそれでいいんですが、パン職人の作るパンっていうのはそれだけじゃなくて。おいしいパンを作るのは当たり前。そのうえお客さんの求めに応えて、しっかりとした経営もして、店で働く人の育成もして。そういうのをひっくるめてパンを作れるのがパン職人。

大会で獲得した技量を、実際の店舗で活用できてこそパン職人と呼べる。大澤さんはそんな意味を込めて「これからがパン職人としてのスタート」とコメントしたのだ。

——では、これから東京とで、パン職人としての新しいスタートを切ります。パンの魅力が、大澤さんを次へ次へと突き動かしていくのでしょうか?

いや!自分にはパンしかないからやってるってだけ。

パンが好きだからやっているわけではないと、大澤さんはきっぱり言う。正直なところ、パンが好きで好きでしょうがないという人だと思っていたので、予想外の答えだった。

次ページ 「幼少期―嫌いだったパン作り―」へ続く