博報堂から京都精華大の教授へ 実務30年の蓄積で学生に示唆

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人生100年時代・生涯現役時代に向けて、キャリア形成における新たな形態として注目されているセカンドキャリア。そのセカンドキャリアの選択肢として、経験豊富な企業人を大学で教授・准教授などの教員として迎え入れる「実務家教員」が注目を集めています。

企画概要

※教育人財開発機構では、高等教育機関で活躍されているさまざまな実務家教員にインタビューを行い、転職のきっかけやお仕事内容、やりがいなどを紹介しています。

今回は、2021年4月より京都精華大学で実務家教員に就任された吉川昌孝(よしかわまさたか)教授を取材。業務についてはもちろん、実務家教員を目指したきっかけややりがいについてお話しいただきました。(教育人財開発機構 編集部)

 

〈実務家教員になるまで ~Before~〉

Q:ご経歴について教えてください。

新卒で博報堂に入社し、約30年間勤めました。業務内容を基準に考えると、私の博報堂時代は前後半15年ずつに分けられます。前後半について、それぞれ詳しくお話ししましょう。

まず、前半の15年間はマーケティングの現場で、主にクライアントの広告キャンペーンを考えました。クライアントは、電気メーカー、飲料、自動車など多岐に渡り、充実した毎日でした。一番記憶に残っているのは、大手通信会社の案件です。90年代中盤からクライアントの要望が「広告キャンペーンを考えてくれ」というものに加えて、「インターネットの普及によって今後どのような市場が生まれるか、その結果社会全体がどうなっていくのか。未来社会を考えてほしい」というものに変わったのです。当時はインターネットが普及し始めた頃で、従来の「定量的なマーケティング調査」から「社会の新しい欲求を図るような調査」へ、クライアントの要望が変化したわけです。これからの社会を予想するため、先輩と一緒に世界中の有識者に取材を敢行し、新たな調査に没頭しました。そんな生活を2~3年過ごすうち、このような未来社会を考える「未来コンサル」の機能自体が会社で組織化され、その組織が生活総合研究所(博報堂のシンクタンク。以降、「生活総研」と表記する)へ移ることになり、それをきっかけにマーケティングの現場から離れました。

後半の15年間のメインは、シンクタンクでの研究です。2005年に生活総研に異動し、テーマを絞らず、社会全体がどう変化するかという視点で生活者の今後を予測しました。生活総研に在籍した10年の間には、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災など、社会が大きく変わる事件や事象が次々起こり、誰もが「これからの社会はどうなるのか」ということに関心を寄せていました。そんな中でさまざまな社会調査を実施し、年に1度のタイミングでこれからの社会やマーケティングの未来について、ビジネス界に発表するというやりがいのある役割を担わせてもらっていました。その後、今度はメディア環境研究所(博報堂のメディア/コンテンツ/コミュニケーションに関するシンクタンク。以降、「ME」と表記する)に所長として異動することになりました。生活総研では「社会全体の変化」を研究対象にしていましたが、MEでは「生活者を取り巻くメディア環境の変化」に的を絞り、研究を進めました。2015年以降の変化の主戦場が、情報のデジタル化、メディアの変化へと移ったことで、ここでも非常に刺激的な5年間を過ごすことができました。広告フィールドはテレビに変わりデジタルが台頭、加えてIoTが登場し、サービスやビジネスが無限に広がりました。MEでは「生活者を取り巻くメディア環境の変化から生まれる新しいサービス」について、ビジネス界に提案をしていくという日々を過ごしました。以上が私の実務時代の30年間です。

Q:実務家教員になるために大学院に入学したのでしょうか?

こちらの記事の続きは、
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