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磯丸水産がコロナ禍のどん底から回復するまで 社長自身が語る、あの頃の想い

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居酒屋チェーン店 磯丸水産や鳥良を運営するSFPホールディングス。磯丸水産の生みの親であり、同社の成長を支えてきた代表取締役社長の佐藤誠氏は、好調の中で襲ったコロナ禍が「人生で最も苦しい時期だった」と語る。その時社長は、どう動き、業績回復へと導いたのか。
※本記事は月刊『販促会議』3月号に掲載されています。

SFPホールディングス
代表取締役社長
佐藤 誠氏

1988年10月、SFPダイニング(旧サムカワフードプランニング)入社。2003年4月 同社取締役営業本部長、2003年12月 同社取締役開発本部長、2011年5月 同社取締役商品本部長、2011年10月 同社取締役常務執行役員商品本部長を経て、2013年1月 同社代表取締役社長に就任。

会社を成長させるためには磯丸水産の成功が不可欠だった

──SFPホールディングスに入社したのは、1988年。その後、2013年に社長に就かれています。当時の想いをお聞かせください。

実は社長になること自体、とても悩んだんです。責任の重さを考えると、すぐに「やります」とは言えませんでした。それまでも部署の責任者を経験したことはあったものの、それらとは段違いの責任を背負うことになりますよね。「自分はそんな大きな責任を持って仕事ができるだろうか」と思ってしまったのが、当時の正直な気持ちでした。

ですが、私に任せたいと言ってくださった人たちのことを考えると、覚悟を決めなければならない。より良い会社にするために精一杯自分ができることをやろうと思いましたね。

私が当社で経験してきたのは、営業や商品開発だけではなく、衛生管理や人事など多岐にわたります。社内のあらゆる仕事をやってきたため、会社の全体感を把握しながら、各部署の課題を理解している状態でした。こういった経験も、社長としてやっていこうと思えた一つの理由になりました。

──社長として活躍なさって10年を迎えました。特に注力してきたことは何だったのでしょうか。

ひとつが磯丸水産の成長戦略です。当社は鳥良という名古屋の手羽先唐揚を名物とするお店から誕生した企業なのですが、私が社長に就任した当時は、鳥良に次ぐ大きな柱が必要でしたので、必ず磯丸水産を成功させなければなりませんでした。すなわち、磯丸水産の成功が、会社の成長に直結するということです。なので、この10年間は磯丸水産の成長戦略に最も力を注ぎました。


写真 風景 磯丸水産 新宿3丁目店
磯丸水産 新宿3丁目店

──今や、居酒屋チェーンの王道というイメージもある磯丸水産。成功の理由として印象的なことはありましたか。

要因は大きく2つあると思っています。1つはコンセプトが当たったこと、そして2つ目が24時間営業に切り替えたことです。磯丸水産のコンセプトを考える際、鳥良が提供している鶏料理とは別のものをやろうと思って、海鮮に着眼しました。

でも、世の中に海鮮居酒屋はちらほらとあったんですよ。そんな他店と差別化を図るべく考えたのが、「目の前の網で焼く」ということでした。こういう経験は、港町では簡単にできるかもしれませんが、都心では難しいですよね。その体験提供が当たって、オープンから多くの人に来店いただきました。

ありがたいことに、ラストオーダーの深夜12時前になってもお客さまで満席ということも多くありました。そこが24時間営業に切り替えたポイントです。

鳥良はじめ、当時の飲食店の多くは日付が変わるころには店を閉めることが一般的でした。磯丸水産も当初はそうでしたが、いかんせん閉店時間になっても満席の状態が続く。とても幸せな悩みですよね。そこで考えたのが「お客さまが来てくださるのなら、営業時間を伸ばそう」ということでした。

電車始発の時間までやるか、とも考えましたが、朝5時でもお客さまが止まない。さらに磯丸水産はランチもしていたので、店の締め作業をする意味があまりなかったのです。それなら24時間営業しよう、と。

戦略的かと聞かれることも多い24時間営業への切り替えですが、たくさんのお客さまにご来店いただいたからこそ、生まれた形態です。お客さまには感謝しかありません。

「人生で最も苦しい時期だった」振り返るコロナ禍当時の想い

──好調の中で襲ったのが、新型コロナの存在。当時はどのような想いだったでしょうか。

当初は、ここまで大事になるとは思っていませんでした。ところが、2020年4月に緊急事態宣言が発出され、ニュースもすべてコロナの話題になっていく。当社の業態も全店舗休業を余儀なくされました。これはとんでもないことになってしまったと思いました。

店を休むということは、お金が一切入ってこないということです。最初は政府からの給付金もなかったので、金融機関に借りられるだけの資金を借り入れて、できる限り長い時間耐えしのげるように策を打っていました。ですが、いつ収束するのか誰もわからない。

当たり前ですが、そんな中でも社員の給与やお店の家賃を払わなければなりません。今のままで何カ月分の給料を払えるのだろうと、まずは社員を守ることを最優先に考えました。

そこで最初に行ったのが固定費の削減。家賃が高額で採算が取りづらい店舗を閉店させていきました。閉めたのは2022年2月の時点で、当社が直営していた216店舗のうち、64店舗。約3割を閉店させたことになります。これは断腸の思いでした。これまで、一気に何十店舗も閉店させた経験はもちろんありません。でも、そうしないと資金が尽きてしまい、生き残ることができない。コロナ禍は、私の人生の中で、最も苦しい経験でした。

──コロナの状況が変わる度に、会社として対応することが必要になったと思います。

緊急事態宣言が解除されても、前のようにお客さまが来店してくれるわけではないと考えて、行ったのがメニューの絞り込みや、少人数スタッフでも店を運営できるようなメニューづくりでしたね。オープンできたときの営業を考えて行っていました。

しかし、解除されてもお酒の提供はできませんでした。何とかしないと、という想いでデリバリー販売を開始。テイクアウト販売も強化して需要に対応しました。食事帯の強い一部の磯丸水産を、「磯丸水産食堂」として運営したこともありました。

何はともあれ、社会状況も刻一刻と変わる中で、その瞬間でやるべきことをやっていかなければなりません。そういうときに必要なのは、迅速な意思決定とアクション。私もあらゆる会議に参加し、話し合いと意思決定を同時並行で行いました。これまではボトムアップでも経営を行ってきましたが、コロナ禍はそういうわけにもいきません。「完全にトップダウンでいく」と社員に伝えました。

この迅速な意思決定と施策の実行が、功を奏しました。他の飲食店とは違って、コロナ禍のアドバンテージになったと感じています。


写真 人物 代表取締役社長 佐藤誠氏
同社 代表取締役社長 佐藤誠氏

社員がここで働いてよかったと思える会社にし続けていく

──2022年2月にはコロナ前の水準に回復。現在も好調です。今後SFPホールディングスをどのような会社にしていきたいですか。

第一に、当社で働くスタッフが元気で働ける職場であること。そして、従業員が楽しく生活できる環境をサポートできる企業でありたいと思います。「ここで働いていてよかった」と思ってもらえるようなそんな会社にし続けていきたいです。

もちろん、働いていたら苦しいこともあるでしょう。ですが、楽しいことも、つらいことも、すべて良い経験だったと「SFPホールディングスでよかった」と思ってもらえる職場づくりを追求していきます。2024年、当社は創業40周年を迎えます。これまでと変わらず「人(人財)」を第一に、次に「経営戦略」を考える企業であり続けたいです。

※本記事は月刊『販促会議』3月号に掲載されています。

詳しくは、こちらから。

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