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【短期集中連載】カンヌ・あの傑作の舞台裏――第1回 WRITE THE FUTURE(NIKE)

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『ブレーン』9月号のカンヌ特集では各部門から注目の受賞作をピックアップし、掲載しています。「AdverTimes.」では、誌面に載せきれなかったクリエイターのインタビューを紹介していきます。

第1回は、フイルム部門グランプリに輝いたNikeの「WRITE THE FUTURE」。2010年に開催されたサッカー・ワールドカップに合わせて放送されたテレビCMです。選手の未来が栄光に包まれるか、それともみすぼらしいものになるか。それは一足のシューズと選手のパフォーマンスにかかっていることを、大規模な予算と一流アスリートを揃えた豪華な布陣を最大限に生かし、存分に表現しています。

同作品のエグゼクティブ・クリエイティブディレクターを務めたMark Bernathさん(ワイデン+ケネディ アムステルダム)が質問に答えてくれました。

――「WRITE THE FUTURE」のアイデアについて教えてください。
僕たちはサッカー・ワールドカップ(W杯)を、選手たちが歴史を刻む場ととらえました。W杯は勝敗を競う場でなく、いかに人々の記憶に残るかのトーナメントだと考えたんです。

あなたが選手だったとしましょう。素晴らしいプレーで観客を感動させたあなたは、サッカーの伝統の中に自らの足跡を残すことになります。その活躍はずっと語り継がれるでしょうし、子どもたちには、あなたにあやかった名前が付けられる。栄誉を称ようと、銅像が建てられるかもしれませんね。

一方、あなたのせいで試合に負けてしまったら――きっとあなたの母国の人々は落胆するでしょう。ファンは怒って、毎晩眺めていたあなたのポスターを破り捨てるはずです。試合当日だけではありません。あなたは次のW杯開催までの4年間、ずっと責め続けられることになるんです。

どちらの未来を選ぶかは選手次第です。そしてその未来を描く力はシューズに宿っています。この現実を脚本に起こしたのが、今回のCMなんです。

――自身で、印象に残っているシーンは。
映像にしていく上で相当アイデアを詰め込んだので、繰り返し見れば、たくさんの隠された仕掛けに気づくはずです。僕が気に入っているのは、パスミスをしたイングランド代表のルーニー選手の脳裏に不吉な想像がよぎる場面。敵にボールを奪われた彼は、結果、トレーラーで暮らす貧困層にまで落ちぶれてしまう。だらしなく太った、髭面のルーニーが豆を煮る姿なんて、二度と見られないと思います。彼が寝泊まりするトレーラーの外には、ルーニーの有名なポスターを模した看板広告を立てました。この場面の最後、ルーニーがそれを寂しそうに眺める演出には、とても満足しています。

イタリアの人気歌手ボビー・ソロが、伊代表(当時)のカンナバロ選手を称えて唄うシーンも好きです。豪華なセットを組んだトークショー番組をモチーフにした場面。きれいな女の子たちが彼のスーパープレーを模した空中ダンスを踊っていて、最高の撮影日でした。

こうしたディテールの一つひとつがストーリーを豊かにしてくれました。それぞれの地域の描写だけでなく、国際的に意味が伝わるようなシーンも用意しています。例えばアニメ「シンプソンズ」のキャラ、ホーマーが、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド選手に股抜きされるシーン。NBAロサンゼルス・レイカーズのコービー・ブライアントがブラジル代表のロナウジーニョ選手のステップを真似したり、ルーニーが卓球でプロテニス選手のロジャー・フェデラーを翻弄したりするのもそうですね。

それから重要なのは、BGMに起用したFocusの「ホーカス・ポーカス」。この曲がそれぞれの要素をしっかりつなげているので、耳を研ぎ澄ませて聞いてほしいです。僕はいつか、この曲をテレビCMに使おうと長い間考えていました。プログレッシブ・ロックなんですけど、ヨーデルを取り入れたり、フルートのソロもあるし、何を言っているのかよくわからない歌詞、ギターのリフもドラムも……そう、全部素晴らしいんです。

僕らはキーボードとフルート、ヨーデルを担当しているテイス・ヴァン・レールと友だちになりました。Focusがオランダのバンドで、僕らがアムステルダムを拠点にしていたのは、本当に良い偶然でした。「ホーカス・ポーカス」は、60年代後半~70年代前半に流行した曲ですが、今の人たちはほとんど知らなかったんじゃないでしょうか。だけど若い世代もみんな、テイスの音楽のかっこよさに気づいて、「ホーカス・ポーカス」はチャートに返り咲きました。

――撮影中のエピソードを聞かせてください。
制作期間は思っていたよりも長くかかりました。ほとんどは天候の問題です。例えば、マドリードでの撮影は、過去50年間降らなかった雪に襲われたんです。僕たちがコートジボワール代表のドログバ選手とカンナバロと一緒にピッチに立ったときに降りはじめて、数日間、雪は止みませんでした。

こういったアクシデントによる予定の変更が一番辛かったですね。出演する選手はみなシーズン中で、しかも彼らはクラブチームと国代表チームをかけもちしている一流のプレーヤーです。もちろん彼らは本気でプレーするので、試合中にケガをする可能性だってあります。僕らは全試合で、彼らの無事を祈り続けました。

けれどプロデューサーたちは、信じられないことをやってのけました。たった一度、それも1日予定を変えたり、ひとり選手を替えるだけで、すべてが崩壊して、全部の予定が変わってしまうので、彼らはおそらく1日おきくらいのペースでリスケジュールしていたはずです。彼らは夜通し、ホテルのロビーで電話にかかりきりになっていました。僕は寝ましたけど。朝起きてロビーを覗くと、彼らが前の晩と全く同じ姿で電話していたのを見たのは、一度ではありません。

結局、撮影であちこちを回ったのは、9~10週間ほどです。でも全部やり遂げた、すべて予定していたことを成し遂げられました。障害物ばかりでしたが、僕らのクライアント、エンリコ・バレリとコリン・ラリーの信念が僕らをつき動かしてくれました。それがなかったら、できなかったでしょうね。

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