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コラム

やかん沸騰日記

カンヌの海は熱かった。ケトル設立秘話

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「一緒に会社を作ろう!」
その後相棒となる嶋浩一郎と初めてそんな話をしたのは、確かカンヌ広告祭のクロージングパーティでズブ濡れになりながらけんかの仲直りをしたときでした。ふたりでベロンベロンに酔っ払って会場から海に飛び込んだ後です。波間に反射するパーティの光がキラキラきれいだったのを今でもはっきり覚えています。

CEO013

ケトル創設時のふたり

なぜ僕らはカンヌの海に飛び込んだのか。
そのころ、僕はストラテジックプランニングの部署、嶋はPRの部署にいながら、お互いクリエイティブやメディアコンテンツ領域に越境して、従来の職種を超えた新しいスタイルに奮闘している、まあ同じような境遇の同志だったのですが、もっと自由にキャンペーンをディレクションできるようになるためには、クリエイティブディレクターの肩書きを持つべきか、いやいやそんなものに頼らずに今の部署の肩書きで頑張るか、今考えるとかなり青臭いんですが、それで激しい言い争いになってしまい、お互い一歩も譲らず、とっくみあいのけんかになり、挙句の果てには、
「ザバーン」
とお互いがお互いをカンヌの海に突き落としてしまったのです。世界中のクリエイターが集まる最終日のビーチパーティの最中です。アホです。アホな日本人です。

僕はその日買ったばかりのパーティ用のジャケットとパンツとケータイをダメにしました。やっぱケータイは防水にしとくもんです。水没させるたびに毎回反省します。

でも嶋はもっと悲惨でした。
彼は、こともあろうに翌日早朝6時発のニース空港行きのツアーバスを寝過ごしてしまったのです。社会人としてあるまじき行為です。怒ると怖いことで有名なクリエイティブディレクターH氏はバスの中でかんかんです。
「団体行動を乱す嶋ってやつは何者だ!」
事務局の面々とH氏はバスを降りて、ホテルの嶋の泊まっていた部屋をノックしました。ところがうんともすんともいわない。従業員に事情を話して合鍵でドアを開けました。するとなんと彼らが目にしたのは…

嶋が一糸まとわぬ生まれたままの姿で大きないびきをかきながらあおむけになってベッドに寝ていたのです。しかも局部のあの部分にノートパソコンを乗せて…。
これが有名な「チンパソ事件」です。(ケトルで有名なだけですが)
前の晩に海に飛び込んだ彼は、部屋に戻って濡れた服を脱いで、それでも仕事をしなくてはとノートパソコンを広げたまま睡魔に負けて寝てしまったのでしょう。しかし、そんな事情を知らなかったH氏には、全裸になってエロサイト見ながら寝てしまったようにしか見えなかったにちがいありません。彼はこの「チンパソ」状態に思わず吹き出し、怒りは吹っ飛んでしまったそうです。

さて、そんなことがあって、それから季節が変わった何カ月かたったある日のことです。チンパソ事件の前夜のことを知ってか知らずか、博報堂の某役員が僕らふたりを呼び出し、こう言ったのです。
「お前らのやりたいキャンペーンを作る会社をふたりでやらないか」
ストプラの人間とPRの人間でクリエイティブエージェンシーを作るなんて、博報堂は随分思い切った投資をする会社だなと思いましたが、嶋は即座にOK、僕も一晩考えてやってみようと思うに至りました。

寿さん012

会社案内パンフに掲載したしりあがり寿さんのマンガ

こうして、ケトル設立の準備が秘密裏に始まったのですが、会社を作るなんてふたりとももちろんやったことありません。とりあえず設立趣意書と事業計画を作ろう、という話になったのですが、ふたりとも忙しくてなかなか時間がとれない。そうしているうちに時間ばかりが過ぎていく。プロデューサーとしてケトルに合流する森川俊とようやくはじめて3人でまともに落ち合えたのが晩秋の寒い日、真夜中2時過ぎの代々木上原でした。

ところが打ち合わせするはずのお店は全部終わっていました。コンフィデンシャルにすすめなければいけないので、できれば個室が望ましい。そこで僕はいい場所を思いつきました。
「そうだ、カラオケボックスなら個室で打ち合わせが出来る!」
僕らは早速地下にある小さいカラオケボックスに入店しました。設立のコンセプトや体制などを話し始めました。ところがすぐに、僕の考えがあさはかだったことに気付かされました。両隣の部屋に客が入って歌い始めたのです。それも左の部屋からおじさん演歌。右の部屋から若者J-POP。音痴と音痴のリミックス。しかも頼んだピザは人生ワースト10に入るくらいにまずかった。打ち合わせにはこれ以上ないくらい最悪な環境です。

でもそんな中で嶋がこう言ったのを覚えています。
「木村さん、伝説は、過酷な環境で生まれるものなんです」
このときに、この男はマゾなんだな、と気付きました。
その晩、僕らは気が狂いそうなBGMの中で設立趣意書を書き上げました。

2006年4月3日。こうして博報堂ケトルは、アイディアを沸かせて世の中を沸騰させるために誕生したのでした。(つづく)