私たちはAIで、世界を退屈にしているのか?──カンヌライオンズ2026、AIを切り口に語られた「退屈の正体」と、クリエイターの生存戦略──

生成AIの進化によって、美しいビジュアルやそれっぽいコピーが瞬時に、かつ低コストで量産できるようになった現在。しかし、世界最高峰のクリエイティビティの祭典「カンヌライオンズ2026」で問われたのは、テクノロジーへの熱狂ではなく、「効率と最適化の先にある『退屈』への警告」でした。
 
電通でのクリエイティブ経験を経て、現在は電通デジタルでデータ&AI領域を率いる山田健氏が、AmazonやMeta、OpenAIといった主要プラットフォーマーとの濃密なディスカッション、そして公式セッションから掴み取った「AI時代のクリエイティブの現在地」をレポート。AIがもたらす「100点満点のゴミ」が溢れる世界で、人間のクリエイターが手放してはいけない「価値の定義権」と、未来を生き抜くための生存戦略を紐解きます。

今年もカンヌライオンズの季節がやってきました。世界でいちばん「退屈」から遠いはずの南仏の祭典で、今年AIをめぐって何度も語られていたのは、聞き飽きたようでいて、今、最も切実な問いでした。

アルゴリズム(効率)と、クリエイティブ。

ただし今年、その問いは単なるクリエイティブの制作効率化や最適化の話ではありませんでした。効率だけを信じて最適化を続けた先に、世界が驚くほどつまらなくなるリスク。つまり「退屈」への警告として、AIが語られていたように感じます。電通でクリエイティブ経験を積み、今は電通デジタルでデータ&AI領域にも携わる私がそんな話をレポートとしてお届けします。

この記事では、受賞作の詳細な解説やパレ(本会場)の話は少し控えめです。というのも今年の私は、カンヌの眩しい太陽やワールドカップの熱気を横目に、Amazon、Meta、ByteDance、Pinterest、Spotifyといったプラットフォーマーとのミーティングに多くの時間を費やしていたからです。会場と会議室を往復する、なかなか地味でストイックなカンヌ(笑)。けれど、生成AIとクリエイティブの行く先を考えるうえで、プラットフォーマー側の声を聞かずには見えてこないことがありました。

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カンヌの本会場とは別にプラットフォーマーの拠点がビーチ沿いに多数。フェスティバルパスとプラットフォーマー拠点の入場リストバンド(筆者撮影)

AIと人間の価値の切り分けが急がれている

昨年までのカンヌでは、「AIに表現は奪われるのか」「人間の創造性をどう守るのか」といった二項対立が目立っていたように思います。ところが今年は、少し空気が変わっていました。

カンヌ公式の最終日ラップアップセッションで、カンヌライオンズの公式パートナーであるContagiousのアレックス・ジェンキンス氏が挙げたキーワードはシアリング(Shearing)。切断という意味らしいです。これまで「クリエイティビティ」という言葉でひと塊にしてきたものを、機械が圧倒的に得意な部分と、人間にしか担えない深い部分とに急ぎ切り分ける必要がある、という話です。それをなぜ急ぐ必要があるのでしょうか。それは、人間が自分たちの価値を定義しなければ、AIがそれを代わりに定義してしまうからです。

ラップアップセッションでは、人間が「心を動かされた」と感じる作品評価と、LLM(大規模言語モデル)による作品評価の相関がほぼゼロだった、という研究が紹介されていました。つまり、機械が「よい」と判断する表現と、人間の心が動く表現は、必ずしも同じではないということです。

AI時代、その二つの異なる評価軸を私たちは負わなければいけないわけですが、ここにAI時代の大きな落とし穴があります。機械の地図は、数字で測れる地図です。クリック率、視聴完了率、購買確率、効率、コスト。もちろんそれらは重要です。しかし、数字で測れない違和感、余白、摩擦、熱狂は、放っておくとKPIの外へ押し出されていきます(デジタルマーケティングの現場にいるとよくわかりますが、測れないものは、KPIの外へ容赦なく押し出されて消えていく運命にあります)。

そして残るのは、ロジックとしては正しいけれど、誰の心にも引っかからない表現です。これこそが、今年カンヌで何度も語られていた「退屈」の正体なのだと思います。

写真 The Cannes Lions Wrap-Up Live セミナー会場(筆者撮影)

The Cannes Lions Wrap-Up Live セミナー会場(筆者撮影)

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