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コラム

高広伯彦の“メディアと広告”概論

コンテクストが理解されにくい背景~ツイッターで誤解がおきやすい理由

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噛み合わなかった「論争」

つい最近ツイッター上で、作家で最近は教育家としても知られる乙武洋匡氏(@h_ototake)と私、高広伯彦(@mediologic)及びそれぞれのフォロワーによって意見が飛び交い合い、さながら炎上の様相となった「死んでよし論争」というものが起こった。一連の騒動についてはトゥギャッター(ツイッターでの発言を時系列に並べられるサイト。このツイートをまとめることを「トゥギャる」という)に「トゥギャられて」いるので、ことの詳細についてはそちらを参照してほしい。また、このコラムではどちらの言ってることが正しいかどうかということを書くのが主旨ではない。この「論争」が巻き起こった背景に、「メディア」と「コンテクスト」を巡る興味深い思考を得られるので、それについて書いておきたいと思う。

さて、まずは15、6年遡ってみることから始めるとする。1990年代半ば、当時若い世代に最も普及していた「パーソナルメディア」は「ポケベル」だった。「パーソナルメディア」と書いたのには理由がある。それまで、テレビや電話など若い世代も利用するメディアは多数あった。またパソコンが家庭に急速に普及し出した時期でもあったが、それらは世帯に普及したメディアであって、個人に普及したメディアではまだなかった。ポケベルとは初めて普及した、「個人が持つ」メディアだった。

もともとポケベルは、「トーンオンリー型」と呼ばれる呼び出しブザーが鳴るだけのもの。ブザーが鳴った場合「どこから鳴らされているか」というのは即座にわかる。レスポンスを返さなければならない先は、ポケベルを持たせた会社、所属組織であって、迅速に返答しなければならなかった。つまり、持たされているビジネスマンにとっては「束縛のメディア」だった。数字が表示できるディスプレイを持ったポケベルが出てくると、そこに表示されたのは複数の電話番号であり、「ベルが鳴ったら」それぞれにかけなければならなかった。

一方、ポケベルの月額の利用料の低価格化が進むと、若年層への利用が進むようになってきた。そこで生まれてきたのが女子高校生を中心に普及した、日本特有の数字の語呂合わせでメッセージを交換し、ポケベルを一方通行な「電話番号表示装置」から「メッセージ交換装置」へ変容させた「パーソナルメディア」としての様である。こうしたポケベルの使い方が生まれるまで、ティーンエイジャーが友人とコミュニケーションを取るには、日常的な会話と、教室内で紙に書いたメッセージをやりとりするか、あるいは電話機を家族がいる居間からコードごと引っ張って(親たちに聞こえない様に)こそこそと話をするぐらいしかなかった(携帯電話が普及した今から考えたらすごいかわいい時代だ)。それゆえ、メッセージを交換できるポケベルとは、そうした環境からの「解放のメディア」として彼・彼女らには機能した。つまり同じデバイスであっても、それぞれの使われ方、ユーザーにとっての価値のあり方によってその様が変わる。この様こそが「メディア」である。

さて、ポケベルという「デバイス」が女子高生を中心にメッセージを交換する「メディア」として利用されていたわけだが、具体的にどのようなメッセージが行われていたかというと、「084」であれば「おはよう」、「724106」なら「なにしてる」、「0906」なら「遅れる」といったように日常的な会話を数字の語呂合わせで「翻訳」し表現されたものであった。一般的に使われているようなこれらの語呂合わせであれば、誰でもちょっとコツをつかえば読めるだろう。

しかし、例えば「57110-5410-80-1410-3210910-45」といった長文のやりとりも行われていて、これを解読するのは非常に難しい。なんて読むのか推測できるだろうか? 答えは、「こないだ-貸した-本-明日-もってきて-ヨウコ」である。(次ページに続く)