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コラム

ガイシの夜明け

突然のマネジメント着任。

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はじめてのビーコン出身ECD

桜が咲き始めました。新人が入社したりプロモーション(昇進昇格)があったりと、会社の中でも新たな蕾が開く時期ですね。ビーコンのクリエイティブ部にも大きな変化がありました。

いくつかあるひとつに、僕自身についての変化があります。この場を借りてご報告しますと、ECD(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター)になりました。簡単に言うとクリエイティブ部のトップ、会社の役員(マネジメント)でもあります。2月末に社長から打診され、あっという間の人事でした。いきなり降りかかった重責に不安と緊張で押し潰されそうです。環境も変わりました。クリエイティブが集まっていたフロアから、壁や仕切りがいっさい無いオープンなマネジメントスペースへ移動、社長や他部署のヘッドとひとつのテーブルを囲んでいます。いつでも監視されている感じです。もうサボリも遅刻も許されません。毎朝9時に出社します。何か失敗したら責任を取らされクビになります、きっと。ぶつぶつぶつ…とまあ、愚痴はこのくらいにして、前向きな話へ。

ビーコンは西洋と東洋の最高の叡智を結集し、素晴らしいクリエイティブを生み出していくことを目指しており、歴代クリエイティブは日本人&外国人の2トップ体制。ただ、今までレオ・バーネットか電通の出身者のみで、ビーコン育ちの人間がこのポジションに就いたことがありませんでした。ビーコン11年目にしてはじめてのケース。しかも36歳という若者の抜擢。社内でも大きな波紋をよんでいます。ご承知の通り、ガイシには年功序列という考え方は一切ありません。個々の能力や会社への貢献度によってタイトルや給与が変わっていきます。上司と部下が入れ替わることもあります。高いポジションでの中途採用も多く、外部から突然上司が来たりします。外国人のマネジメントは、30代後半から40代前半と若い。なかなか国内の広告会社では考えにくい文化があります。でも、それにしても、会社は思い切りました。

management_floor

超フラットなマネジメントフロア。左はニコラ社長、その目の前が僕の席。視線が痛い。

今回、僕を含め2人のECDの元に各ブランドやデジタル、デザイン(リテール)といった領域をリードする5人のクリエイティブリーダーが揃いました。これにより「クオリティの徹底追求」「組織一丸となる結束力」「アイデアをすぐカタチにして動く機動力」が備わりました。

この抜本的な人事に至るまでには、いくつかの背景がありました。昨年の大震災により、社員のモチベーションが低下したこともあります。外国人社員の何人かは日本を離れていきました。ビジネス上でも打撃を受けましたが、何よりガイシという終身雇用の概念が希薄な環境で、個々がこれから先も「この場所で」仕事をしていこうと思うのが困難な状況でした。

さらにここ数年は、ビーコンとして変化を迫られた時期でもありました。それは、急激に進んできたホリスティック思考への順応。今までテレビCMやグラフィックの企画戦略を中心に考えていた環境がガラリと変わり、WEBやSNSなどのオンライン活動、エンゲージメント、戦略PR、さらにはリテール戦略・デザインまでも含め、一気通貫したキャンペーンを求められるようになりました。ブランドエージェンシーを掲げているガイシには当然応えていかなくてはならない試練。それぞれのスペシャリストはいたものの、人数は少なく、国内大手広告会社のように組織として全てに対応できない。現場のクリエイティブたちは、この状況を自力で乗り越えることを余儀なくされました。特にガイシで育ってきた人たちにとっては、大変な挑戦でした。テレビCMを中心としたキャンペーンを1年以上かけてじっくり開発し、消費者調査にかけて慎重に判断してきたスタイルと、WEBやSNSなどの「今」や「ちょっと先の旬」を捉え瞬時に対応していくスタイルは大きく異なっていました。それらを融合し最適なキャンペーンを考える。精神的にも体力的にも負荷がかかり、今まで培ってきた自信を失った人もいました。

「その想いを会社全体に向けてくれ」

そんな状況が続いていた昨年、僕は会社に提言をしました。「このまま全員でこの状況に立ち向かっていくのか?」「それがビーコンとしてベストか?」。僕は、それを先頭きって実践していく部隊が必要だと考え、社内ブティックを作ろうとしました。例えば、木村健太郎さん率いる博報堂ケトルのようなメディアニュートラルな視点を持ち、機動力と影響力があり、何より所属する誰もがいきいきとしているそんなブティック(キムケン兄貴、勝手にすいません)。

僕は自分のチームメンバー数人に声をかけ、承諾をもらい、またしても社長に掛け合いました。

「この現状を打破するビーコンの未来を担う社内ブティックを作りたい!」

結果は、ノー!

「クリエイティブが疲弊し始めているのは分かっている。そんな状況で個人がブティックを作れば、社員のモチベーションはさらに下がる。たとえそれが会社の特異な武器になったとしても、今すぐに全員を救えるわけではない。ユーのその想いを小さなブティックではなく、大きなブティック(会社全体)に向けてくれないか」

社長は本気で会社全体のことを考えていました。こうして社内ブティック構想は一夜にして崩れたのですが、何だか社長の想いには賛同できたし、社員として嬉しくもありました。

そして年が明け、2月末。社長からランチに誘われました。また一年新たな気持ちで頑張ろうと前向きになっていた僕は、新しいクライアントのアサインかな?と思いながらフレンチのコースを待っていました。すると突然、社長が思いもよらないことを言い出したのです。

「ECDになって欲しい」

は?はい?ぼ、ぼくですかー??

空いた口が塞がりませんでした。全くもって予想外。頭の中が真っ白になり「管理職?役員?」「え、これってクリエイターとしてあがっちゃうってこと?」「こんな若僧には重すぎるでしょう」等々、様々な不安が押し寄せ、全く嬉しくなかった。

でもその後に、三寺の良さが今のビーコンに必要だといわれました。「先頭にたって道を切り開くリーダーシップ」「一丸となれるチームづくり」「フットワークの軽さ」「アイデア開発提案力」「若手を育て活性化させる姿勢」「クライアントとの良好な関係づくり」痒くなるくらい褒められました。実際のところ、そんなに良い所ばかりじゃないです。精進します(汗)。

そして決定打となった一言が「三寺のやり方でクリエイティブを、会社を引っ張っていってくれ」。

今までのガイシのやり方ではなく、僕が考える新たなやり方を求めている。今まで何度も社長やマネジメントに噛みついてきた僕を抜擢する。僕は社長の「本気」と「覚悟」を受け取りました。そして、これも運命だと考え、引き受けることにしました。

前任のECDはまず半年ほどかけてクリエイティブ社員80人全員と面談をし、個々の強み弱みや夢、悩みなどをじっくり聞きアドバイスをしていました。本当にそれは凄いことでしたが、弱冠36歳の僕には人生相談できるほどの経験も見識もなく、同じようなやり方はできません。やはり、クリエイターとしてアイデア開発の前面にいたいし、大好きなクライアントもいるので、僕は今までと同じように現場に出て仕事を良い方向へ持っていく、拡大していくことを積極的にやっていきたいと思っています。先頭きって新規クライアントも開拓していき、多くの仲間と喜びや悔しさを分かち合っていきたいと思っています。一方で、何かとたくさんあるマネジメント業務をこなし、なかなか埋まらない外国人マネジメントと現場の溝を埋め、社外に対してのビーコンのプレゼンスを高め、とかとかとか…課題、やりたいことが山積みです。

the narcists

ビーコンの WEBにアップされる「ザ・ナルシスト」フォトセッション。これは惜しくも選ばれなかった一枚。

社員の皆様、最高の環境にしていくべく共に頑張りましょう。相談も気軽にしてください、ただアイデアありきでお願いしますね(笑)。

社外の皆様、ぜひ新しいビーコンに期待してください。

三寺雅人 「ガイシの夜明け」バックナンバー