コラム

パリから作る、日本ブランドの作り方

なぜ私は制作会社をやめて、パリに移ったのか?

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こんにちは。はじめまして。Rightning Parisの佐藤です。今週からコラムを担当させていただくことになりました。このコラムでは、いま私がパリで取り組んでいる「折形」を用いたブランド、会員制俱楽部の「MIWA」を紹介しつつ、パリの人たちの反応、そしてその反応から見えてきた日本のブランドの作り方を書いて行きたいと思っています。

「TOUCH WOOD」の誕生まで

今回は簡単に自己紹介を。私は、9年ほど前にレコード会社のビクターエンタテインメントを独立し、株式会社ライトニングという広告制作会社を立ち上げました。ライトニングではCDジャケットやミュージックビデオなどの制作をしていましたが、立ち上げて間もない時、幸運なことに老舗の広告会社ライトパブリシテイから声がかかり資本提携をし、広告のグラフィックやCMの制作もはじめました。

その後、スタッフが増えると同時にWebやインターフェイスへの業務が拡大、その流れからインターフェイスや携帯電話などの商品企画へと業務がシフトしていきました。

この頃、広告だけではなく本当に欲しいと思う商品の企画に携われればという思いが強くなってきました。代理店経由でくる広告の仕事はなかなかこの商品企画には踏み越えず、また何人かを介するうちに、商品を企画開発している人たちの声がなかなか聞こえてこないというのも思っていました。

幸いdocomoのインターフェイスの制作を受託しているうちにブランドやアニメとのコラボレーションの端末の企画から関わらせていただくことができるようになりました。その頃はまだガラケーで、カラーバリエーションを含めると年間約100モデル以上が発売されていました。いろんな機種に関われたのはとても楽しかったのですが、2年使われれば捨てられてしまうこと、そして、コラボで付加価値を増やし続けると同時に消費され続けることにもとても疑問を思い始めました。

そんなとき、docomoの端末開発の担当者から、「長く使えて、より愛着のもてる携帯電話をつくろう!」という話があり、世界初の木製携帯電話「TOUCH WOOD SH-08C」の開発がスタートします。せっかく木の携帯をやるなら環境にいいことをしようということで、坂本龍一氏が代表をつとめるmore treesへ協力を呼びかけヒノキの間伐材を使いました。この携帯のモックができあがって、インターフェイスが動いたときみんなが、「これは携帯ではない!」という驚きがあったのを覚えています。なにか生き物のような感じがしたのです。本当にいろんな奇跡が重なって出来上がった携帯でした。

日本の文化を棚卸しする

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そして発売予定のちょうど1週間前、3.11が起こります。この地震は私にとってとても大きな影響をあたえていて、自分も信用できないメディアに関わりつづけていいのか?という疑問が芽生えはじめました。

そしてこの時期にアドバイザーとして関わっていた文化庁メディア芸術祭やアートフェア東京、そしてmore treesを通じて知った日本の林業の問題、企業の商品企画での問題点はすべてに通底していると思い始めました。それは戦後日本が歩んできた「当たり前」だとおもうことをすべて逆から見直すという行為でした。なにを「価値」とするかの前提がすべてくずれはじめたのです。

まず毎日着物で過ごしてみようとおもいはじめ、打ち合わせにもすべて着物で行き始めました。そんななか「MIWA」のコンセプトが固まり始めます。

いま日本には「世界に通用する高付加価値なブランド」がありません。そして、なによりも、価値付けをする認証構造がありません。ファッション、アート、デザイン、広告、食など高付加価値を生み出すモノは、西欧で認められてはじめて価値がでる構造になっています。

「ブランド」はこの構造からしかできないのか?日本は本当に西欧よりも劣っていて、いままで日本にあるものは価値がないのか?そんなことを思い、日本の文化の棚卸しをはじめました。そして、この日本の文化の中から世界に通じるモノをコンテクスト化し、新しい日本的な視座を提案することで、全く新しい価値基準ができるのではと思い始めました。

そして、2011年10月パリでこのプロジェクトを始めるべく、Rightning Paris を設立します。次回は、初めてだらけのMIWAの開店までをお届けします。お楽しみに!

【「パリ発 世界に通じる日本ブランドのつくり方」は火曜日更新です。】

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