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コラム

新聞広告の価値 再発見

【特別対談:嶋浩一郎× 髙崎卓馬】(1)新聞は社会現象の「承認装置」

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広告メディアとしての新聞の価値は十分に認識されているのか――。宣伝会議は10月の「新聞週間」、同月20日の「新聞広告の日」に合わせ、メディアニュートラル時代の新聞のあり方にスポットを当てた新聞「アドバタイムズ」を発行しました。掲載記事をWeb上に順次掲載していきます。

嶋浩一郎(博報堂ケトル) × 髙崎卓馬(電通)

新しい概念を打ち出すなら新聞広告

髙崎卓馬氏 (たかさき・たくま)
電通 コミュニケーション・デザイン・センター クリエーティブディレクター/CMプランナー。1993年電通入社。主な仕事に朝日新聞、サントリー オランジーナ、オールフリー、インテル、JR東日本 行くぜ東北、ドコモdビデオ、JRA、ANA、東芝など。著書に「表現の技術」小説「はるかかけら」などがある。

髙崎 嶋さんは普段の仕事で、どのくらい新聞を意識しますか。

 博報堂ケトルは「メディアニュートラル」を掲げ、その時々で最も効くメディアや手法を選んでいますが、ニュース性を持たせたい情報発信や新しいカテゴリーの商品を発表するときなど、何らかの「宣言」をするときには新聞が適していると考えています。

髙崎 ニュースと一緒に載るということは大きな価値になりますね。

 その点では、広告にとって新聞はとても良い舞台だと思います。そこで主張されることはニュースのように見えますから。たとえば英国でロイヤルベビーが生まれた際、海外の新聞では、大手メーカーがそのニュースに合わせたクリエイティブで広告を出稿したりしています。

髙崎 確かに新聞は、その日にしかないものだからその意味をうまく考えると効果的なものがつくれる気がします。むかし大貫卓也さんたちがやったとしまえんの史上最低の遊園地などは広告的にそれをうまく利用してましたよね。

嶋浩一郎氏 (しま・こういちろう)
博報堂ケトル 代表取締役社長/編集者・クリエイティブディレクター。1993年博報堂入社。「広告」編集長などを経て、06年博報堂ケトル設立。主な仕事にサントリー、KDDI、J-WAVE、旭化成ホームズなど。「本屋大賞」立ち上げのほか、カルチャー誌「ケトル」の編集、書店「B&B」の経営も手掛ける。

 日本では最近、あまりこのような世の中の動きに対する“リアクション芸”のような広告は見かけないような気がします。エイプリルフールや、同じく4月1日の入社式の切り口くらいでしょうか。

髙崎 その点は、もっと活用の余地がありそうですね。最近手掛けられたもので広告そのものがニュース化することを目的にした事例はありますか?

 たとえば、へーベルハウス(旭化成ホームズ)の「2.5世帯住宅」が挙げられます。新しいコンセプトを含んだキーワードなので、新聞に載ることで、社会の承認を得たように感じてもらう狙いがありました。

「公園デビュー」や「リア充」といった言葉も、もともとは雑誌や新書などから発生したものですが、やがて新聞の見出しに使われたりするようになり、一般的な現象だと認識されるようになりました。新聞は、社会現象の「承認装置」としての役割を担っています。新しい概念を打ち出したい時に新聞広告が適しているのは、そうした理由があります。

リモコンの横に代わる新たな“定位置”模索

髙崎 たしかに、新聞で打ち出すと“世の中が認めた”という印象が作れる気がします。嶋さんがそうした視点で新聞を使う場合、報道用語に転換できそうなニュアンスの言葉を選びますか。

 そこは難しいところです。広告の内容が、メディアや世の中の問題意識とあまりにずれていると、注目もされません。企業が打ち出す新しいキーワードや宣言が、時代の空気と合っていることが大事な点です。それを発端に、メディアがある現象に気づき、世の中に広がっていくことをイメージしています。

宣言という点では、たとえば不祥事を受けてのおわび広告のような、本気を伝える場合にも効果的だと思います。本気を承認してくれる装置だけに、言ってしまったら世の中からの視線も厳しくなりますが。

髙崎 自社サイトでの掲示に比べたら、ずっと覚悟が要りますね。そこが新聞の良さでもある。

 僕は個人的にも新聞が好きで、毎朝6紙をお風呂で読み、出張の際は必ずそこの地方紙を買っています。僕にとっての新聞の魅力は“ノイズ感”なんです。

僕は書店(下北沢「B&B」)の経営にも携わっているので、リアルな書店とネット書店との役割の違いを強く感じています。同じように、デジタル領域が進化してネットニュースのサイトが多く生まれた分、新聞というニュースメディアの役割が明確化している気がしています。

髙崎 新聞のコンテンツ的価値で言うと、僕は報道だけではなく、事象をつくりだすことも視野に入れたほうがいいんじゃないかと思っています。新聞社にしかない信頼や人脈を使って世の中が見たいものをつくる。番組をつくるようなイメージかもしれません。

一方で世の中での位置も変化していることに敏感であったほうがいいと思います。たとえばテレビ番組表はデジタル放送によってテレビの中に入ってしまった。そのせいで新聞はリモコンの横という定位置を失った。そのことは実は重大な変化を起こしているように思います。定位置をつくりだす努力をせざるを得なくなっている。

メディアは時代の流れのなかで変容するものだと思います。でも、その変化のなかで自分の本質的価値を強く意識してそこを強めていくことができたら、その変化を恐れる必要はまったくないとも思うのですが。

(次回に続く)

(注)この対談は「アドタイ」と月刊「ブレーン」の共同企画です。発売中の「ブレーン」12月号にも掲載しています。