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YKK吉田会長が明かす 地方創生の現実とは?

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※本記事は広報会議12月号「PRで加速する地方創生」に掲載した記事を
再編集したものです。

約230人を東京から富山へ

YKK 代表取締役会長CEO 吉田忠裕氏(よしだ・ただひろ)
1947年生まれ。1972年8月入社、1990年YKK AP代表取締役社長、1993年YKK代表取締役社長に就任。2011年から現職。YKK AP代表取締役会長も兼務する。

安倍晋三内閣が三本の矢のひとつとして掲げる地方創生では、東京への一極集中を防ぐため、都内に本社を置く企業に地方移転を求めている。2015年6月に閣議決定された地方創生の基本指針では、地方移転を促進するため、東京都内23区に本社を置く企業が地方に本社機能を移した場合、法人税の優遇措置も検討されるなど、支援に本腰を入れる構えだ。

このような議論が話題になる前から、本社機能の移転を進める企業がある。ファスナー、建材大手のYKKグループでは、2016年3月末までに本社機能の一部を富山県黒部市に移転させると発表。「地方創生のモデルケース」として注目を集め度々取材を受けているほか、経済団体や自治体からの視察依頼も相次ぐ。

しかし、“言うは易し”である。一口に本社機能の一部移転と言っても、実際には移転先の富山県黒部市には賃貸住宅が少なく住居選びが難しかったり、公共交通網が整っていなかったりと、様々な課題が見えてきた。吉田忠裕会長にこれまでの取り組みと、今後の展望について聞いた。

2015年3月、北陸新幹線が開業し、東京、金沢間はわずか片道2時間半で結ばれることとなった。開業を機に金沢や富山への観光客は急増し、開業から半年以上が経った今でも多くの国内旅行者や外国人観光客が足を運ぶ。ブランド総合研究所が発表した「地域ブランド調査2015」では、富山県が47都道府県中28位から16位に。黒部市も1000市区町村中62位から31位と順位を大きく伸ばし、イメージアップにも寄与しているようだ。

「開業の2、3年前から急激に開業に向けての機運が高まり、盛り上がり始めました。今は2016年の北海道新幹線開業を見据え、北海道内の自治体から視察にいらっしゃる方もいますね。『実際に新幹線が開業して、予想とどう違ったか』といったことをよく聞かれています」と吉田氏は振り返る。

新幹線開業にあたり、吉田氏は富山県にある黒部宇奈月温泉駅周辺の経済、産業、観光のプロモーションを考える会議の会長を務めている。これには、YKKグループと黒部市との深い縁が関係している。

1934年の創業以来、本社を東京に構え、生産工場も同じく東京に持っていたが太平洋戦争で被害に遭い、創業者の吉田忠雄氏が故郷である富山県魚津市に工場を建てたのが始まりだ。今では製品の生産工場から機械を製造する工場、研究・開発に関わる部署までが黒部市に集まり、同社のものづくりの拠点となっている。

「私が入社した当時、会議のたびに黒部市まで夜行列車で片道9時間以上かけて通っていました。それが今度の新幹線で片道2時間半になったのです。もう日帰り圏内ですね。YKK APでは2016年4月に研究開発拠点となるR&Dセンターを黒部に置きますが、取引先の8割以上が国内のため、打ち合わせなどでお客さまに来ていただくことも、より容易になります」と吉田氏は語る。

富山県黒部市にあるYKKの生産工場。アルプスの山々が美しいこの土地に、移転決定以降、段階的に社員を異動させている。家族連れの社員にも考慮し、異動期間には幅を持たせた。

黒部市は雄大な北アルプスの山々の麓に位置し、富山湾も近く豊かな水が流れる地域。黒部川や黒部峡谷、宇奈月温泉など水に関する観光資源が豊富で、その大自然が何よりも大きな魅力だ。先の会議の中でも、吉田氏は観光振興のためにその魅力を残すべきと考えたが、ホテルや商業施設など駅前の開発をしたいという県と、大規模な開発に踏み切れない地域住民との間で思惑が交錯した。

そこで、吉田氏は、新幹線の駅のホームや車窓から、雄大な立山連峰と反対側には富山湾が見えるように駅をつくってはどうか、と提案。大自然の魅力を感じられる駅舎づくりにつながったという。

次ページ 「本社建て替え機に、黒部へ」へ続く