※本記事は株式会社マスメディアンの『advanced by massmedian』に掲載された記事を表示しています。
“使命感”として「この人たちを何とかしてやるぞ!」
福嶋さんは、ライブイベントスペース「秋葉原ディアステージ」、アニソンDJバー「MOGRA 秋葉原」の立ち上げに携わり、アイドルグループ・でんぱ組.incを生んだプロデューサーとしても知られています。
その後も、わーすた、虹のコンキスタドールなどのアイドルや、PUFFYをはじめとする多くのアーティストのクリエイティブや楽曲をプロデュースするなど、マルチな才能を発揮しています。
番組のキーワードである“妄想”という言葉について、福嶋さんは「今年(2月に)解散しちゃったんですけど、妄想キャリブレーションというアイドルユニットをつくったくらい、以前から“妄想”というキーワードに縁があるなと思っていて。意識しているわけではないけど、事あるごとに引き寄せられる」と話します。
現在、多岐にわたる活動をしている福嶋さんは、東京藝術大学・音楽学部在学時に「漠然と将来、音楽にまつわる仕事をしたい」との思いを抱いていたと言います。しかし、その一方で「特に美術系の方々で、すごく才能があってめちゃくちゃいい作品をつくるのに、ビジネスにつながっていない」と実感していたと話します。
そんな背景もあって、学生時代から福嶋さんは「使命感として、私がこの人たちをなんとかしてやるぞ!」という思いがあったと明かします。続けて「若手のアーティストを支援したいという思いが、活動の原点にある」と語ります。
当時、業界の人たちは「秋葉原やオタクを馬鹿にしていた」
そんな福嶋さんが大学卒業した時期は、メイド喫茶が話題となったり、AKB48劇場ができたり、秋葉原のカルチャーが盛り上がりを見せていたころ。「秋葉原に次なる文化があるんじゃないか。自分にできることがあるんじゃないか」との思いに駆られたと振り返ります。
しかし、“秋葉原ブーム”の裏で「当時のファッション業界やアート業界の人たちは、秋葉原やオタクを馬鹿にしていた。“いま一番カッコイイのはコレ(秋葉原発のカルチャー)でしょ!”と振り向かせたくて、どうプレゼンすればいいかを考えた。(そんな一心で)いままで秋葉原に接点がなかったようなデザイナーやアーティストと一緒にコラボレーションすることで、ブランディングしていった」と当時を振り返ります。
