僕たちはAdvertising Industryではなく、Creative Industryにいる 古川裕也氏インタビュー

電通のシニア・プライム・エグゼクティブ・プロフェショナル/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター 古川裕也氏が今年独立。株式会社古川裕也事務所代表:クリエイティブ・ディレクターとして活動することになった。

古川氏と言えばクリエーター・オブ・ザ・イヤー、カンヌ・ライオンズ40回、ACCグランプリ、D&AD President’s Awardなど、500以上の受賞歴があり、カンヌ4回、ACC審査員長、D&ADなど審査員も数多く務めた。九州新幹線全線開業「祝九州」、大塚製薬/ポカリスエット、GINZA SixなどのECDとしても知られ、長きにわたって日本のクリエイティブを牽引している存在である。

自分的意義と身体感覚によって働き方を考える

ーー独立おめでとうございます。突然で衝撃的でした。

古川

:ありがとうございます。まだ、直接ちゃんとお知らせできてない方もたくさんいて、ずいぶん不義理してしまっているので、この場を借りてご挨拶ができてうれしいです。

ーー何か変化はありましたか。

古川

:仕事はそのまま継続で、今年始まった仕事もあります。広告以外の案件もいただいていますが、日常はほとんど変わっていません。

ーー古川さんと言うと、長い間電通クリエイティブのトップで、日本代表というか対外的にも顔のような存在でした。なにより、大変失礼ながら、そのご年齢でクリエイティブの第一線であり続けられて毎年話題作や受賞作を必ず創られる、かなり特殊な前例のない方だと認識していました。

古川

:ありがとうございます。基本態度として、目の前のすぐになんとかしなくちゃならない仕事を、どうにかみっともなくないものに、あわよくば傑作のようなところまでもっていく、ということを最優先にしてきました。

一方で、日本のクリエイティブ全体という視点も意識的に持つようにしてきました。超近視と超遠視ですね。海外広告賞での審査や講演などを通じて、自然に気づくことがたくさんありました。世界全体の広告産業の変化とか、クライアントやカスタマーが求めていることと自分たちがやっていることのズレとか、日本の相対的位置とか。

要は、世界地図と世界史のなかで、日本と自分がどういう緯度と経度にいるかの認識ですね。それを日常の作業に影響させることは、自分のクリエイティブ・ディレクション作業のなかでわりと意識していました。俯瞰することと生々しくカタチにしていくことを同時にやってきた感じです。

ーー古川さんは同時にeducationにも成果をあげてこられました。社内のCD養成講座New Schoolを主宰され、宣伝会議でも今も特別講座をもっていただいています。
その結果社内にそうそうたる人たちを輩出して、その方たちからよくお名前があがります。

古川

:もしうまくいっているとすれば、基本原理として接点のあった後輩たちの方が僕より優秀ということになります。よく人を育てたとか言いますけれど、それはこの原理がなければ成立しません。クリエイティブのおおもとの原理原則と視座、その先のより具体的な原理原則と態度は教えることができます。でもそこまでなんです、伝えられるのは。残りのいちばん大事なところは自分で何とかするしかない。ただ、彼たち彼女たちがいっちょまえになる速度は少し上がりますけれど。

ーー前半はもう少し電通時代のことをお聞きします。最近とくに大きな広告会社のクリエイティブにおけるキャリアアップが取りざたされます。それについてお聞きしたいと思います。いつまでも現場でクリエイティブの仕事がしたいという人も多いと思いますが、管理職になったり徐々に現場を離れていくケースの方が現実は多い。古川さんのように一度局長をやられながらずっと現場の最前線を長くというのは、なかなか前例がないと思います。

古川

:たしかにCDCセンター長というのをやりましたが、まあ、実質ただのECDでしたからね。ご質問は、キャリアアップというより、どれだけ居心地のいい場所をその時々で見つけるかという問題だと捉えた方がいいと思いますが、それはこれからもっと多様になるはずです。一度フリーになってからもとの会社に戻ったり、別の会社に入ったり。近いけれどちがうジャンルの仕事を始めたり、まったくちがう仕事を始めたり。やっぱりずっと同じ会社にいたり。自分のクリエイティビティにとってその都度いちばん気分のいい働き方をみんなもっと選んでいくようになるでしょう。

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