ネヴィル・ブロディ氏インタビュー 聞き手:木住野彰悟(6D)
クライアントにとって学びになることを提供するのがデザイナーの役割
木住野:今年5月に、『THE GRAPHIC LANGUAGE OF NEVILLE BRODY3///』(以下、『NB3』)を出版されました。30年ぶりにこれまでのプロジェクトをまとめたとお聞きしています。
ネヴィル:以前にモノグラを2冊出しているのですが、その時よりもはるかにプロジェクトの数が増えているので、どこからどうやってまとめるべきか悩んでしまい、途方に暮れて…まとめるのに6年かかりました。
今回、モノグラフを出版した背景の一つには、グラフィックデザインそのものの変化があります。私自身、まだグラフィックデザイナーという肩書で仕事をしていますが、社会の変化と共にグラフィックデザインが大きく変わりました。そのことについて会話するきっかけとなる何かを、この本を通して世の中に提示したいと思いました。
木住野:ネヴィルさんの仕事は90年代からずっと拝見しています。初期は音楽のビジュアルやエディトリアル、タイポグラフィというイメージが強かったけれど、いまでは世界的なビッグクライアントのブランディングを数多く手がけています。グラフィックデザインの世界ではとても稀有な存在であり、尊敬しています。
ネヴィル:おほめの言葉をありがとうございます。でも、私は何か革命を起こしたたわけではないのです。歴史的に振り返っても、例えば1920年代に活躍したロシア構成主義のアーティスト アレクサンドル・ロトチェンコ。彼は絵画やグラフィックデザイン、タイポグラフィだけではなく、衣服や工業デザインなどのライフスタイルもつくり、ビジュアルコミュニケーション全般を手がけていました。バウハウスのデザイナーたちもそうですよね。
そういう意味では、いろいろな分野を包括してビジュアルコミュニケーションをつくる、それがデザイナーの本来の仕事ではないかと思っています。これはあくまでも自分の考えなので、正しいかどうかわからないのですが。
1950年代に、アメリカを筆頭に世界で経済的な成長が始まり、大量生産の仕組みや資本主義が生まれ、技術革新が進みました。その状況に対応するべく広告が生まれて、広告業界は広がりながらも、コピーライター、アートディレクター…というようにそれぞれの領域が絞られていきました。時代の変化と共にデザイナーも変化して、その中で私たちが軸足を置いているグラフィックデザインでは、90年代にコンピュータが登場してデジタル化が進み、デザイナーのデザインへの関わり方が大きく変わってきました。私のようなインデペンデントなデザイナーでも、コンピュータがあれば、いろいろなことができる時代になったんです。こうした後押しもあり、私も自分ひとりでいろいろなことをやるようになりましたね。
木住野:AIが登場して、いろいろな仕事が無くなると危惧されていますが、むしろ道具が進化することで、僕たちデザイナーができることがもっと増えるという考え方ですね。
ネヴィル:私はテクノロジーに関しては、とても肯定的です。かつてのデザイン事務所と言えば、何十人も人を抱えて作業をしてきたわけですが、いまのテクノロジーを活用すれば少数精鋭で仕事ができる。私が今手がけている仕事は、どんなに大きなクライアントでも数人でやっています。しかも、リモートでつながりながら。そいう意味では、テクノロジーの発展というのは、いいこともたくさんあるはず。
木住野:ネヴィルさんの仕事は非常に多岐にわたっていて、なおかつ専門性が求められる内容ですが、どういう組織で仕事を進めていますか。
ネヴィル:私のオフィスではフルタイムで働いているのは4人、グラフィックデザイン全般を担当しています。それ以外の人たちは、都度プロジェクトを組むかたちで進めているんです。主に書体デザインやモーショングラフィック、映像などの専門性の高い人たちですね。
木住野:僕のオフィスにはいまスタッフが10人いて、デザイン事務所で言えば中規模くらい。日本は法律の問題もあって、雇用をフレキシブルにするのは難しいですね。
ネヴィル:欧米はフリーランスという職業の在り方に歴史があるから、日本とは根本的に考え方が違うでしょうね。実際のところ、私の仕事にいつもプログラマーが必要かと言えば、決してそうではない。だから専門職の人は必要なときだけお互いに協力するという関係にあることで仕事がうまく進みます。
木住野:これまでの仕事を拝見すると、それぞれのブランドらしさを出しつつ、濃度はあれども、どの仕事もネヴィルさんらしさを感じることができます。実際に制作しているとき、自分の個性をどこまで意識なさっているのか、それとも自然とそうなっているのでしょうか。
ネヴィル:木住野さんの仕事にも、それに近いものを感じますよ。そもそもデザイナーはアーティストではないし、ましてやクライアントが存在しているというプロフェッショナルな職業。クライアントの予算をいただいて、彼らのために仕事をする。だから、本来デザイナーはクライアントにとって学びになることを提供する必要があると、私は考えています。そして、クライアントに届けたもの(デザイン)が彼らの中で育って、きちんと機能するものにしなくてはいけない。クライアントがそこまでのプロセスをきちんと理解してくれるかどうか、受け入れてくれるかどうか、それがどの仕事でも大きなチャレンジになっています。
表現での勝負ではなく、いかにシステムに落とし込むか
木住野:クライアントワークは、通常どのような進め方をしていますか。
ネヴィル:まずデザインのフレームワークをつくります。そして、それをシステム化していくことから始めます。クライアントに理解があれば、その先まで進み、一緒に実験的な試みをすることもあります。
日本のデザインを見ていると、表現一つで勝負をしているような、かつてのポスターの状態で止まってしまっているような印象を受けます。もちろん、私もかつてはレコードジャケットや雑誌のデザインなど、かなり表現寄りの仕事をしていたわけですが、いまは進め方が全く違います。
木住野:確かに、日本で知られているネヴィルさんの仕事は、その頃の印象が強いかもしれないですね。
ネヴィル:いま、それらは自分にとって過去のデザインの在り方。もちろん表現面は自分が試されているところでもあるし、そこが自分のデザインが広く受け入れられている部分でもあるので大事にしています。でも、いまはその表現をいかにシステムに落としこむかということを意識しています。
以前は表現からスタートしていましたが、いまはまずリサーチ。リサーチのもとたどり着いた目指すべき目的、方法、コンセプトをアイデアとして形にし、それをシステムに落とし込んで、最後に表現になる。単体の表現ではなく、システム全体が表現なんですね。だから、最近では自分たちを紹介するとき、「デザインエンジニアリング」という言葉を使って説明することもあります。そういう戦略的な部分と、これまで通り表現をデザインに落とし込むことと、その両立が求められていると思います。
じゃあ、そこに自分たちのキャラクターをどう落とし込むのか?と問われたら、例えばユニークなイラストを使うことではなく、システムのプロセスにおける表現になると思います。書体の選び方、カラーコードの作り方、システムに使用する要素の選び方、そこにこそ自分のキャラクターが出てくるのではないかと考えています。
木住野:ネヴィルさんがいまのような考え方に変わった、デザインエンジニアリングが重要だと気づいた、そのきっかけはどんなことでしたか。
ネヴィル:決定的な瞬間……は特にないのですが、仕事をしているうちに徐々にですね。気づいたら、自分の仕事を「グラフィックデザインエンジニアリング」と語るようになっていました。もちろんグラフィックデザイナーであることに変わりはないのですが。
振り返ってみると、デザイナーをとりまく環境の決定的な変化が生まれたのは、いまから30年くらい前でしょうか?日本では、アートディレクターとして活躍していた江並直美さんが、デジタル作品専門ギャラリー「DIGITALOGUE」を立ち上げた頃。江並さんは電子メディアを用いた表現活動がいまだ一般的ではなかった時代にCD-ROMの可能性に着目し、その領域を切り拓いていきました。それを見たとき本当にワクワクしたし、デザインの可能性を感じました。こうした流れを受けて、私も『FUSE』(ブロディ氏が1991年に創刊したデジタルのフォントとタイポグラフィの専門誌で、実験的なフォントを収録したフロッピーディスクが毎号付録になっていた)を制作したのです※。
※江並氏は、1999年にギンザ・グラフィックギャラリーで、『FUSE』をベースにした「Fuse Exhibition Tokyo 1999」展を企画。多国籍タイポグラファー74名によってデザインされたフォントが展示された。
木住野:90年代の前半ですね。
ネヴィル:当時は紙という限られた空間の中で何ができるかと考えて、ポスターなどの表現の実験を繰り返していました。グラフィックデザイナーとはそういうコンテンツを作り、表現することが仕事であるわけですが、いまはそのコンテンツをいかに届けるかというシステムづくりのほうに重きが置かれるようになってきていると感じています。でも、私たちグラフィックデザイナーが培ってきたことは、そういう中にもまだまだ可能性がある、と思っているんです。今回の私の新しいモノグラフ『NB3』もまさに「Friction(刺激や摩擦)」。どこにも読みやすさはないのですが、そういう難しさやややこしさ、不都合さというものは、当たり前のように世の中にあふれているでしょう?それをちゃんと受け入れてこそのグラフィックデザインではないかと。
木住野:今のデジタルを中心としたコミュニケーションにおいても、グラフィックデザインがよい「Friction」になる。
ネヴィル:刺激を起こすための摩擦ですね。
木住野:確かにそうありたいものです。ちなみに、ネヴィルさんのようなキャリアのある方でも、これはうまく摩擦がつくれなかったなとか、ストレスを感じる仕事があるんですか。
ネヴィル:もちろん、私は全然完璧じゃないですから。ただ役割として、クライアントに「問いかけ」を投げるきっかけをつくることは、こちらでしかできない。クライアント自身が気づいていない、あるいは思いもしなかった「問い」、もしくは「課題」を可視化し、解決に一緒にもっていく。その繰り返しです。
木住野:クライアントによっては、そういう部分は痛いところを衝かれたと感じてしまうかもしれませんね。
ネヴィル:そうですね。でも、私たちはアーティストでもないし、たくさんの従業員が働く工場の一員でもない。自分の名前で仕事をしているデザイナーであり、その道のプロフェッショナルなのだから、自分が「課題」と感じた部分においては譲れないところもあります。そういう意味では常に悩み続けていますね。
木住野:デザイナーは説得業とも言われるし、デザインの前にクライアントとのコミュニケーションもすごく重要。ネヴィルさんのようなキャリアの方でもそういうことで悩むんですね。
ネヴィル:かつて、こんなことがありました。あるブランドから依頼のお問い合わせをいただいたのですが、その日、私が移動中でコールバックできなかったんです。そうしたら、先方が一方的に断られたと思って怒ってしまった…
木住野:ええっ…
ネヴィル:これは世界中のデザイナーたちが経験することの一つだと思います。長年続いているクライアントでも、信頼関係ができあがった担当者が退職したり、異動すれば、関係性が大きく変わってしまいますよね。
木住野:そういうことって日本だけではなく、どこでも起こることなんですね。
ネヴィル:企業の仕組みゆえの問題で、私たちデザイナーには解決できないことです。
木住野:日本ではブランド全体のビジュアルコミュニケーションを僕が担ったとしても、ロゴマーク一つだけがクローズアップされるなど、その部分だけのデザインと捉えられてしまいがちです。というのも、ビジュアルコミュニケーションという考え方自体が定着していないからではないかと思っています。ネヴィルさんが考えるビジュアルコミュニケーションとはどんなものか、教えてください。
ネヴィル:サウンド、ムービー、イメージ、モーショングラフィック、マテリアル、タイポグラフィ、カラー、アイコン、レイアウトなど、すべてがビジュアルコミュニケーションであり、それらを統括できるのがグラフィックデザイナーであると私は考えています。グラフィックデザイナーは基本、かたちに対して何かをはめていく作業をする。その最たるもので、わかりやすいものがロゴだから、ブランドや企業はそこに目が行ってしまいがちなんでしょうね。
木住野:本来、ロゴだけではコミュニケーションって機能しないものですよね。
ネヴィル:かつてブランドや企業は一つのメッセージを決めて、それを広告として世に出すという短期的なコミュニケーションを繰り返していましたが、いまはそうではなくなっています。というのも、今の企業のコミュニケーションは途切れることなく続いているからです。例えば昨日話していたことに今日は新たなことがプラスされて、話がどんどん進化していくでしょう。それを活かすために、グラフィックデザイナーができることと言えば、その進化したコンテンツを届ける仕組みをつくること。つまりグラフィックデザイナーはストーリーテラーであり、デザインエンジニアリングであるという時代になってきているんです。
グラフィックデザインは、いまやエンジニアリングやシステム構築のようなものへとシフトしています。従来のコンテンツにドラマを加える表現的アプローチよりも、コンテンツを広く届けるシステムこそが重要になっているのです。
木住野:ストーリーテラーやデザインエンジニアリング、それはデザインシンキングより腑に落ちる言葉ですね。
ネヴィル:私もデザインシンキングという言葉は、あまり好きじゃなくて(笑)。なぜなら、デザイナーはラジカルでなくてはいけない、常に本質を衝かなくてはいけない。コミュニケーションにおけるFrictionを起こすべきだし、新しいことにチャレンジして、新しいものを作りださなくてはいけないのですから。
木住野:そういう意味では、この本は世の中に対するFrictionをつくっているわけですね。
ネヴィル:この本は6年かけて作ったので自分の一部分ではあるのですが、客観視しているところもあります。なぜなら、まだ私がやるべきことは終わっていないし、完結していないことばかりですから。
もともとプリント媒体を意識してつくったわけではなく、本という媒体で紹介するには多様なプロジェクトが多くて、どうまとめるべきか悩みました。でも、自分自身がまだ完結していないので、かっこつけた言い方をすればこの本は視覚的なポエムに終わってないし、自由に解釈してもらえればいい。そいう余韻を感じてもらえるとうれしいですね。






