このコラムでは、これまでぼくがいかに行き当たりばったりで迂闊に飛び込みつつ、試行錯誤やハックという名の創意工夫を続けてきたか、要は「やりながら考えます」という頭悪めの手法によって抜きん出た結果を出すキャリアのコツを偉そうに語ってみた。
しかし、新しいことにチャレンジすることは、もちろん同時にリスクもはらんでいる。失敗したり、あなたの役に立たなかったり、時間のムダになったり、手痛い目にあって落ち込むことは、もちろん多い。
こういったときに、鬱の影が忍び寄る。
そう。
向こうみずに新しいことに飛び込み、かつ責任感がある人は、鬱になりやすいのだ。
自分の周りでも、抑うつ状態になる人を何度も見てきた。
「新しい仕様・仕事の舞台にチャレンジしようとして病む人」が非常に多い。たとえば、エンジニアが現在の技術でできそうなことをリサーチしたりする場合など。
どうやら「現在の仕事がつらい」だけなら、そのトンネルを抜ければ光明が見えるから、人はかなり苦しい環境でも頑張れるようだ。
現在ではなく未来への重圧、つまり「先行きの不安」「未知へのチャレンジがいつ終わるかわからない苦痛」のほうが、ソウルジェムが真っ黒に濁る傾向にある。
PARTYのミッションは「未来の体験をつくる」なので、たいてい「たぶんできそう・できたらすごい」というお題が多くの企画に盛り込まれている。
パレートの法則から派生した「2-6-2の法則」によると、どの組織でも成果を出すのは上位の2割、あとは中位の6割、意識の低い下位の2割に分かれるという現象がある。
「無理をしてがんばっちゃう子」は、ほぼ上位の2割と同じ人材にあたる。めざましい成果を出すということは、
- ①その事業領域において優秀な成績をおさめるか
- ②あさっての方向からイノベーションを起こすか
のどちらかにすぎず、要はがんばっちゃう子であるためだ。
大企業は事業構造が盤石で、労働集約でもなく、ある程度人材の替えが効くので、2割の人間ががんばりすぎて潰れてしまっても、ゆっくり休んでまた復帰すればいい。しかし、中小企業の場合は、より逃げ場がないので優秀な人から鬱っぽくなって辞めるという事態が起きがちである。
ぼくは、電通から2011年に独立して、4人の仲間と共にPARTYを共同設立したが、決して順風満帆ではなかった。特に1年目〜2年目は、自分の持ち味であった、SNSの企画がうまくいかなくなった。当初のPARTYは海外の賞などで評価されることを強く意識していたので、企画においてグローバルコンテキストを捉えていることを重視された。
小さな東洋の島国(それも栃木)で生まれ育った人間には、これはなかなか難しい課題だ。たとえば、うんこを漏らしそうになってトイレのドアをノックすることも、バレンタインに義理チョコや本命チョコをあげることも、グローバルコンテキストでいうと「理解されない」のである。
「中村の企画は狭い」「グローバルには理解されない」と言われるケースが多くなり、企画が社内で通らず、アウトプットの数が激減した。
その結果、1年目の後半で上記の「2-6-2の法則」に照らし合わせると、
ぼくは、上位の2割ではなくなったことがハッキリと自覚できたのだ。
あれ?
これ、もしかして……。
独立しなかったほうがよかったかもしれない?
きたきたきたきたきたきたきた
ぞわわわわわわわわっ
これだ。
完全に鬱のしっぽをつかんでしまっていた。
いちどその思いが首をもたげると、自分の奥底に澱のように溜まっていき、ふとした仕事の最中にふと黒い蔦のように自分の身体に常にまとわりつき始める。
ぼくの独立は間違いだったかもしれない。
でも、もう、戻ることはできない。
ということは、この先もずっと、自分はよい仕事ができないかもしれない……。
当時、PARTY総出で取り組んでいた「Make TV」
ちょうどその頃、PARTYでは「Make TV」というプロジェクトを会社総出でやっていた。テレビ番組の生放送中に、視聴者がケータイからボタンを押すと、ボタンが押された数に応じて舞台装置がぶっ壊れるという「インタラクティブ番組」のはしりだ。
埠頭の大きな倉庫に舞台装置を立て込んで、何度もテストを行っていた。テレビ番組連動コンテンツは、想像以上のアクセス数となり、何かがひとつ起こっても放送事故となる。
テレビ番組放送の前日まで、PARTYの社員ほぼ全員が緊張しながら何度もゲネプロを重ねていた。それでも一部の動作が安定せず、デバッグが続いていた。
高まる緊迫感。
——いっぽう、その頃。
ぼくは全身にゴマ油をぶっかけられていた。
先般の「鬱のしっぽ」にすっかりやられてしまっていたぼくは、最寄りの心療内科に生まれてはじめて行ってみた。白衣の女性の医師が担当だった。
ぼくは、まずカウンセリングで自分の悩みを打ち明けた。
大企業から独立したが、仕事がうまくいかなくなってしまったこと。戻った方がいいかもしれないが戻れないので、新しい居場所や仕事のスタイルを作るのに苦労していること。人間関係も含めて疲弊してしまい、憂鬱な気分がずっと続いていたこと…。
女医は、ひととおりぼくの話を聞いた後、おもむろにこう告げた。
「わかりました。それならアーユルヴェーダをおすすめします」
ん?
アーユル…?
どこかで聞いたことあるようなないような響き。
「薬とかの処方じゃないんですか?」
「もちろん薬も処方します。ここは西洋医学と東洋医学を融合したタイプの心療内科ですので。はいこれアーユルヴェーダのパンフレット」
パンフレットを見ると、「五千年の歴史を持つインド・スリランカ発祥の伝統医療。ヨガと瞑想と医食同源」などと書いてあるが、どんな施術なのかは判然としなかった。
心療内科バージンでもあり、藁にもすがりたい気持ちであったぼくは、
「わかりました。やってみます」
と二つ返事で答えた。
「では、服を全部脱いでいただき、こちらに寝てください」
ウッディーなサウナ部屋のような個室に案内された。
風呂桶の中にベッドがある。言われた通りに仰向けになって待つと、ウィーンと音がして、病室のベッドのように斜めになった。ウッディーなベッドは、電動リクライニング式だった。
おもむろに、脳天から38℃くらいのあたたか〜いトロトロの液体が垂らされた。
「うわっ!これは何ですか」
「白ゴマ油です」
確かに、無色透明ではあったが、この香ばしい香りはゴマ油だ。
ちょうど打たせ湯やヘッドスパの要領で、頭頂部に暖かい液体をトローンと垂らすのは、まあ確かに気持ちよくはある。こんなに無駄遣いしてもいいのかと思うくらい、頭頂部からゴマ油を垂らされ続け、身体を伝い、風呂桶に満ちてくる。
YouTuberのはじめしゃちょーはスライム風呂で2700万再生回数を叩き出して有名になったが、ぼくは今、視聴者数ゼロで、薄鳴りのヒーリング音楽の流れる中、ひとりゴマ油にまみれている。
チームが必死で豊洲埠頭で頑張ってるのに、ぼくって一体……。
こんなことをしていていいのかと、また自責の念にかられそうになった。
でも。
世の中って、なんというか、こんなものなのかもしれない。
バカらしくなるくらい、ぼくの悩みと、この丹念に温められたゴマ油によるローション風呂のような体験はまったく関係がなかった。
そのまま目をつむって、大きく息を吐く。
ふと脳裏に、今ぼくがいる学芸大学駅のGoogleマップの俯瞰がイメージされ、どんどん引いていく。
東京が見え、日本地図が見え、雲を越え、大気圏を超えて、どんどん引いていく。釜山の市場では、人々が朝からチャミスルを飲みながら朝取れた魚を売り、インドでは牛が闊歩している。奈良でも鹿が闊歩している。
気がついたら、宇宙空間から地球を見下ろしている。
この地球ができたのは46億年前。その中で、人類が生まれたのはおよそ200万年前。ホモサピエンスが登場したのが25万年前だが、その歴史は、地球から見ても宇宙からみてもほんの一瞬だという。宇宙規模で考えたら、ぼくらの人生なんてほんの瞬きでしかない。
であるならば、自分の後悔やクヨクヨなんて、なんの意味がある?
いつ消し飛んでも誰も困らない、単なる塵芥ではないか。
そもそも、道端で見かけるアリやダンゴムシに、生まれてきた意味や理由があるか?そんなことを考えたことすらないはずだ。人間も同じ。人間として日本に生を受けた時点でガチャSSRだが、ぼくたちも虫のようにうごめいているだけだ。生まれてきた理由も、意味もない。
ライフ・ゴーズ・オン。
そして、大して意味もなく、死んでいく。
壮大な生の連環の中の一瞬に、たまたまヒトという思考することができる生物のカタチでお邪魔させていただいているだけなのだ(めちゃくちゃラッキーなことに!)
そのスケールで考えれば、世の中に恥ずかしいことなんて何もないではないか。
誰もお前の失敗や後悔やクヨクヨなんて見ていない。自分の好きなように自分の人生を生きてやればよいではないか。逆に、宇宙の歴史に残るくらいの恥をかくくらいのほうがおもしろい。
世の中は、まだまだ知らないことだらけだ。
未知のことに触れ、不安におしつぶされて鬱にもなれば、逆に、まだ体験したことのないワクワクする気持ちも、未知の中にしかない。
今いる場所から逃げても、今自分の目の前にある不安を、また別の場所に持ち込むだけだ。「ここではないどこか」なんてない。
一分一秒を、自分がやりたいことのために生きよう。
とりあえずこの風呂から出よう。
このヌルヌルから。
「それでは、これから身体中の穴という穴にゴマ油を入れていきます」
「えっ…。ああっ」
その後、ゴマ油の洗面器の中で目を開ける体験、ゴマ油鼻うがい体験をはじめとした、身体のさまざまな穴にゴマ油を注入するという陵辱フルコースを受けることになり、なんか大事なものを失っちゃって茫然自失となったぼくは、いよいよもって、クヨクヨ悩んでいるのもバカらしくなった。
病院を出たぼくは、処方された抗うつ剤を公園のゴミ箱に投げ捨て、現場に向かった。
意外なことで、アーユルヴェーダの効果があったかもしれないなと思いながら。
人間、誰しもバイオリズムというのものがある。ぼくは自分に自信がなくなったり、落ち込んだりしたときは、たいていこのように自分を宇宙空間まで飛ばし、そのスケールで俯瞰することで、ケセラセラと開き直るようにしている。
迂闊鬼十則の10
新しいチャレンジや多動は病みやすい。
自分を俯瞰し、心のメンテナンスを行え。


