VOL.1 磯島拓矢さん 前篇
近年、AIの登場により、広告コピーが新たな局面を迎えようとしています。広告会社では「コピーライター」という名刺を持つ人が減った、という声も聞きます。しかし、どんなに時代が変わろうと、コミュニケーションや表現の手法が変わろうと、広告コピーの基本は変わりません。だからこそ若い世代の皆さんに知っておいてほしいコピーがたくさんあります。
そこで本企画では、過去から現在にいたるまで、時代と共にあり、これからも「未来につないでいきたいコピー」について、制作者であるコピーライターの皆さんにお話を聞いていきます。
今回は、旭化成「昨日まで世界になかったものを。」、ヘーベルハウス「考えよう。答はある。」、ポカリスエット「自分は、きっと想像以上だ。」などを手がけた磯島拓矢さんにインタビュー。実はナレーションの名手でもある磯島さんに、それぞれのコピーが生まれた背景や企画について、一緒に仕事をしているコピーライターの早坂尚樹さんが聞きました。
そこで本企画では、過去から現在にいたるまで、時代と共にあり、これからも「未来につないでいきたいコピー」について、制作者であるコピーライターの皆さんにお話を聞いていきます。
今回は、旭化成「昨日まで世界になかったものを。」、ヘーベルハウス「考えよう。答はある。」、ポカリスエット「自分は、きっと想像以上だ。」などを手がけた磯島拓矢さんにインタビュー。実はナレーションの名手でもある磯島さんに、それぞれのコピーが生まれた背景や企画について、一緒に仕事をしているコピーライターの早坂尚樹さんが聞きました。
人々の感情にスイッチを入れるコピー
早坂
:まずは2000年のAIR DOの「AIR DOをつぶせ!」について聞かせてください。当時、AIR DOは航空会社としては新しく、広告展開も話題になっていましたね。
AIR DOをつぶせ!
どうなるAIR DO、どうなるニッポン。いま、この国が試されています。
(AIR DO/2000年)
出典:コピラ
磯島
:当時、本州と北海道を結ぶルートは航空会社のドル箱路線で、片道数万円したんですね。「そんなに高いから人が来ないのだ」と、北海道で養鶏業を営んでいた方が自ら資金を集めて、航空機を1機だけ買って、札幌・新千歳—羽田を1日3往復で始めたのがAIR DO(当時:北海道国際航空)です。1998年に就航しました。
その後、ヴァージン・アトランティック航空日本支社長で広告宣伝も担当していた中村晃さんを社長に迎えました。そして、ヴァージン時代からのパートナーがアートディレクター 中島祥文さん。AIR DOを立ち上げるにあたって、中村さんはブランディングが必要と考えて、中島さんに声をかけ、クリエイティブディレクター佐々木宏さんが参加しました。そうしてつくられた1年目の新聞広告のコピーが、佐々木さんによる「こういう企業が、成功するか、失敗するかで、日本の将来は決まる、と思う。」でした。僕が参加したのは、翌年の2000年からです。
