性別や人種、年齢などの区別なく「一人の人」として活躍の場が広がっていくことが期待されている現在。これからは、ますますそのロールモデルは多様化していくと見られます。新たな社会の潮流を生み出す広告・メディアビジネスの世界で活躍するリーダーたちは、どのような思考で挑戦を続けているのでしょうか。本稿では2024年6月に社長に就任した東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の佐藤真紀氏が登場。極意は「楽しむために働く」。その真意を聞きました。
佐藤社長のキャリアの軌跡
〇ラジオ局からテレビ局へ。その動機は「東京」生活への憧れ
〇数字で詰められる営業職。めげない理由は「推し活」にあった
〇営業局長、編成局長、そしてアニメビジネス局長へ。「メリハリ」を大事にする仲間を率いる
〇社長就任、「楽しんで働く」社員とともに、新企画の創出、ファン拡大へ
東京で働くことに憧れ転職した先は当時無名の新興テレビ局
━━佐藤社長は、TOKYO MXが2社目、転職をされていますね。
佐藤
大学を卒業後、東海ラジオ放送に営業職で入社しました。私は出身が名古屋なので、地元企業に就職したわけですが、その2年後に東京に異動する可能性があるという話を受けました。
ところがある日、異動が延期になってしまって。東京で働くことを心待ちにしていたのでショックでした。東京の大学で過ごした4年間はとても楽しくて、東京のキラキラした当時で言う“OL生活”を早く満喫したくてうずうずしていましたから。
そんな中、得意先や広告会社の方が「東京にこんな放送局があって、人を募集しているよ」と教えてくださって。その話を聞いて居てもたってもいられず即応募していました。
━━その転職先が、当時まだ開局準備中だったTOKYO MXだったわけですね。
佐藤
前職と同じ営業職として入社しました。当時の営業局は20人ほどいて、中には出資会社や官公庁から出向してきた方もいましたね。
開局準備で慌ただしい雰囲気の中、広告営業に行くわけですが、これが全くと言っていいほど売れませんでした。TOKYO MXの番組を見るには、アンテナの設置が必要という条件があって、まだ放送していない無名のテレビ局の媒体を売るにはハードルが高すぎました。
━━どのような気持ちで仕事に向き合われていたのですか?
佐藤
さっぱり売れませんでしたが、深く落ち込むことはなかったんです。私だけではなく、部署のメンバーみんなが同じ状況だったので、気持ちを分かち合い、一体感がありました。みんなで一緒にブレインストーミングしたり、企画書をブラッシュアップしたり。前向きでした。何をしても結果が出ないこともあるので、そんなときはみんなで気分転換に遊びに行ったりして。
