CMプランナーとして活躍する村田俊平さん。村田さんは、「制限が多いとされる広告映像が、実のところその制限によって発展した面がある」といいます。
コピーライター養成講座の特別クラスでも講師を務める村田さんが考える、広告映像における表現手法の広がりと、今後必要とされるストーリーテリングの重要性についてお話しいただきました。
CM制作をめぐる環境は制約ばかり
僕が住む東中野の近く、まるで測ったかのようにすべての駅から均等に遠い場所に日登美という伝説的なバーがあった。残念ながらマスターのご健康の都合で今年40余年の歴史に幕を下ろしてしまったが、そこでマスターから聞いた話で印象に残っているものがある。
「禁酒法があったからカクテルの文化が華やいだ」。僕は寡聞にして知らなかったのだが、お酒好きの中では、結構有名な話らしい。1920年にアメリカで施行された禁酒法はその名のとおりアルコールの製造・販売を禁止した愚法として有名だが、警察の目を盗み提供するお酒をジュースと装うため、それまでのアルコールには乏しかった色彩が生まれた。また、粗悪な密造酒をそれでも美味しく飲むために、限られた材料でありとあらゆる組み合わせの創意工夫が行われたという。それを実現するためのバーテンダーの技術もこの時代に日進月歩したとか。制限が思いがけないクリエイティブな文化を育てるなんて熱い話だ。
この話を聞いた時に、「CMみたいだな」と思った。テレビCMなど広告における映像表現(今回は広告映像のことをひとまとめに“CM”と呼ぶことにする)はとても制限が多く、しばしば講義とかを受けると、制限を楽しむことこそがCMの魅力だとする話はよく聞く。ほかにもたくさんあるが大きいところでその制約は3つ。
まず、Web媒体では尺が自由なこともあるが、テレビCMは現実的には15秒、30秒がほとんどで、基本短い上、60秒や90秒もあるがいずれにしろ1フレームたりとも過不足が許されない。やたら時間に厳しい。
次に、クライアントあっての広告活動なので、他の表現と比べても世間の厳しい視線が向けられる。公序良俗に反したものや少しでもグロテスクなもの、暴力的なもの、性的なものも忌避されてしまう。表現のしばりが多い。
そして、最後に、「結論が宿命付けられている」ことだ。これは、あまり広告企画の中で話題にならないが、僕は結構重要な点だと思っている。ここでいう結論とは、絶対に最後は企業や商品に定着させなければならないということ。これは絶対である。企業や商品と関係のないメッセージを伝えることは許されない。というより、企業や商品の名前で動画が発表されている以上、見た人は嫌でもその映像と企業・商品との関連を見出す思考になる。そこで、2つのつながりが全く腑に落ちないと何を見たのだかわからないものになってしまう。
