2019年に東京から出身地の宮崎県延岡市にUターンした江原太郎氏。自らの希望で実家の農業を継ぐつもりだったものの、整備されずに伸び放題となった「放置竹林」問題が立ちはだかりました。江原氏は、地域住民を悩ませる竹害を「食べる」ことで解決しようと一念発起。LOCAL BAMBOOを設立し、商品化した「延岡メンマ」は、メディアやSNSを通じてあっという間に話題になりました。メンマと言えば、ラーメンの添え物というイメージ。ところが「延岡メンマ」は、100グラムあたり1000円から1500円という高価格帯を実現しています。このブランディングを地方で成功させた裏には、どのようなブランド戦略とパートナー体制、そしてハードルがあったのでしょうか。
30歳までに宮崎へ帰ると決めていた
──江原さんのこれまでのキャリアについて伺いたいです。
東京農業大学を卒業後、農業ビジネスを展開するスタートアップで働いていました。商業施設の屋上などを活用した貸農園事業をしており、農園長を務めていました。3年半務めたあと、グループ会社に転籍して、別事業を担当することに。インドネシアで外国人技能実習生をサポートする仕事でした。
でも、僕は30歳で宮崎にUターンして農業ビジネスをやると決めていました。だから、それまでのキャリアも農業に軸足を置きたくて…。帰国後、すぐに会社を辞めました。その後は知人の紹介で、環境省関連の有機農業の普及啓発活動を行う団体の事務局を手伝うようになりました。有機農業の知見を増やしたいという理由もありましたが、事務局長が広告会社出身と聞き、広告やPRの勉強ができるかもという期待もありました。インフルエンサーと連携したキャンペーンなど、これまでにない学びが多くありました。
──その後、計画どおり宮崎へUターンしたわけですね。宮崎ではどんな仕事をするつもりだったのでしょうか。
29歳のときにUターンしました。祖父母から延岡市にある山と畑を受け継いで、有機農業を始めようと思っていました。ところが、山や畑は隣接する竹林にのみ込まれていました。僕の両親は公務員でしたから、農業が継承されない空白の何十年かの間に、放置竹林と化してしまったのです。