AIで読者体験はどう変わるのか?
電車の中でマンガ雑誌を読む光景は、ほとんど見なくなった。代わりにスマホでマンガや動画を楽しむ時代になった。メディアの変化は、読者体験をどう変えるのだろうか?
紙媒体から電子書籍というメディアの移行は、さまざまな面で変化をもたらすと思われるが、ここではAIに焦点を当てて考えてみよう。例えば、読者の希望に応じて動的に変化するマンガはどうだろうか?
前編では、「マンガの制作行程は、生成AIによってほぼ自動化される部分がある。しかし、実際は初めから終わりまでヒトいらずではなく、要所でヒトの判断が関わってくる」と述べた。であるならば、この関わってくるヒトが作者であるマンガ家でなくてもいいのでは?と考えてもいい。読者が読みたい内容に動的に変わるマンガがあってもいい。
果たしてどうなのだろう?
Google Geminiで作成
他者に喜んでもらう意識と自分だけが楽しむ欲望の違い
実のところ二次創作として、お気に入りのマンガを自分なりにアレンジするアマチュアもいる。それもまたマンガの一つの大きな文化だ。あまりにもそっくりに描くマンガ家はイタコマンガ家と呼ばれるくらいだ。これまでは、ある程度プロフェッショナル意識のあるアマチュアが自ら「創作」していたのだが、読者が気軽に読書中に変化させられるマンガが生成AIによってできないわけではない。
ただ、私は懐疑的な立場だ。プロフェッショナルは読者をどう喜ばせたいかを心がけると思うが、読者は自分がどう読みたいかの欲望だけで創作するだろうからだ。この違いはおそらくとても大きいのではないかと思う。
かつてユーザー・ジェネレイティッド・コンテンツとしてボーカロイドの「初音ミク」がとても話題になった。この時「初音ミク」が息の長いキャラクタなったのは、もちろんユーザーの支持もあっただろうが、権利を持つ会社が二次利用に当たって的確なガイドラインを作ったからだ。
「初音ミク」に限らず、息の長いコンテンツのキャラクタは何かしらのイメージを保つ工夫が一次創作者によって決められている。例えばコロコロコミックのキャラクタは子供がすぐにわかるようにシルエットだけでキャラクターを判別できるようにしていると聞いた。キャラクタのイメージがブレないようにしている証拠だ。初音ミクの場合は、ユーザーがキャラクタを「使える」ので、野放しでは統一のないキャラクタイメージができてしまう。だから一次創作者は二次利用に当たっての守るべきルールを決めてガイドラインとして提示した。それがない状態ではイメージが崩壊し「永くは持たない」と思うのだ。
