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志と場を共有する(つづく)というあり方

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国内外で数々のアワードを受賞し、電通の第一線で活躍していたクリエイターたち5人が独立した、というニュースは、広告界、とりわけクリエイティブの領域で働く人たちに大きな衝撃を与えました。そして、さらに驚いたのは、2022年1月に会社ではなく、ユニットとして連帯し、「(つづく)」というコレクティブ(集合)で新たなスタートを切ったことです。

そこに集まったのは、細川美和子、田辺俊彦、保持壮太郎、菅野薫、東畑幸多(保持氏のみ2022年3月に参加)という5人のクリエイター。彼らが独立して最初に立ち上げた企画が、この「(つづく)」というあり方と場です。それぞれが個人としての会社を持ち、インディペンデントとして活動しながら、志と場を共有する――そんなクリエイティブの新しい働き方を提案しています。

(つづく)の皆さんによるコラム「(つづく)道をつくる。」開始にあたり、序章として誕生までの話を5人に聞きました。

左から細川美和子氏、東畑幸多氏、菅野薫氏、田辺俊彦氏、保持壮太郎氏。
(つづく)のオフィスにて。

この先、後悔しないために、ちゃんと悩もう!

―― (つづく)の皆さんは共に40代で、電通では同じ部署で仕事をしてきました。

菅野 厳密には少しずつ年齢は違いますが、みんな同年代という感じです。田辺さんと僕は同期ですね。そして、みんな最後の2年間は同じ部署に在籍していました。

東畑 同じ年代で、同じようなキャリアを生きてきて、同じような立場のみんなの中にふつふつとあったのが、この先どうしていくか。このまま会社に残るのか、環境を変えるのか…。そういう話が自然発生的に始まりました。

細川 独立については前から思いを巡らせていた人もいれば、いろんな話を聞くうちに決意した人や、最後まで悩んでいた人もいて。それぞれの考えがありました。

菅野 僕らは電通という大きな会社組織の中で20年近く仕事をしてきました。そもそも仕事のやり方を勉強させてもらって社会人として成長させてもらって、大きな会社でしか出来ないような仕事の機会やチャレンジをたくさんさせてもらってきた。仕事も充実していたので、会社でやれることに不満があったわけではないんです。ただそれ以上に、広告会社社員に期待されるのと違うタイプの新しいチャンスや仕事の仕方に出会いたい、自分の可能性を広げたい、単純にもっと自分がワクワクしたい、そういう気持ちが強くなってきて…。打ち合わせの前後や、ばったり席で会ったときの雑談の時間、一緒に食事をしたときなど、このメンバーと会ったときにそんな話がよく出るようになったんです。

田辺 なんだかんだ1年以上、話し続けましたね。みんなで悩みや考えを共有して、時間をかけて話せたことは大きかった。

保持 僕はタイミングでいうと少し遅れてそういった会話に加わりましたが、非常に自分の想いともシンクロすることも多く、結果的には一番早く決断に至ったかもしれません。

東畑 僕は、定年まであと14年。微妙に時間があるようで、微妙にない。ここから自分をどのように仕事や社会に役立てていけばいいのか、考えなくてはいけないタイミングを迎えていました。そんなときに、同じような悩みを持って、同じような志を持っている人たちがそばにいて…。

菅野 実は東畑さん、5人の中でも、最後の最後のギリギリまで会社を辞めるかどうか悩んでいました(笑)。「僕は辞めるかどうかわからないけど…」と言いながら、「仮に辞めた場合は、こうしたい!」と辞める気満々の人のようにいろいろなアイデアを出して、いつも積極的に話し合いに参加する。そして最後にまた「僕は辞めるかどうかわからないけど…」って言い出す(笑)。

東畑 いろいろなことを考え悩んで、葛藤して…最後の最後まで辞めることに躊躇していました。おそらく一人だったら、辞めていなかったと思います。

菅野 でも、東畑さんはいつもみんなに対して大事なメッセージとなる一言を言うんです。独立を決める1年以上前のあるとき。東畑さんが「いい機会だから、ちゃんと悩もう!」と言ったのは僕にとってすごく大きかった。もし、このタイミングでやめなかったら、おそらく定年までずっと会社にいるだろう。忙しさにかまけて真剣に悩むことから逃げて、ままなんとなく会社に残ったら将来「あのときにやめておけばよかったのかも」と絶対後悔する。「いまこの年齡が、このまま会社にいるか、独立して自分の働き方をつくるか、選べる最後のチャンスだから、後悔しないためにも十分に悩もう」と。「しっかり考えた結果、辞めないで会社に留まったとしても、その後後悔なく働けるはずだから」と。実際、東畑さん本人が一番最後まで悩んでいました(笑)。

その後一緒にやることを決めたあとも、東畑さんは、「みんな、ちゃんと自分の欲望を言ったほうがいい。ちょっと違うなと思っていても遠慮して言えなかったら後で後悔するから、ちゃんと自分の欲望を吐き出そう」と言ってくれた。その言葉が後押しになって、みんな率直に自分の考えを言いながら(つづく)につながりました。

働き方にもっと新しい選択肢を

――1年以上、話し合った結果、保持さんをのぞく4人は12月末で電通を退社。1月に(つづく)を立ち上げました。会社ではなく、独立した個人によるユニットというかたちに、どのように行き着いたのでしょうか。

菅野 そうやって自分の欲望を正直に話しているうちに、自然とそうなっていきました。当初、みんなで一緒に会社をつくるという案もゼロではありませんでした。でも、そうすると、僕らは会社をやめたのに、また同じことになってしまう。それはどうなのかという疑問がありました。そして、その形態を選ぶと、誰かが誰かを雇うことになったり、お互い依存しあう関係になってしまう。

東畑 それよりも、組織に残るか、一人になるかではなく、それ以外の選択肢をつくりたかった。

菅野 当然一人でできないこともたくさんあるし、一人だけになると仕事や出会いの幅が狭くなってしまうことへの不安もありました。僕ら5人は同じCDという肩書や役割の立場にあるけれど、それぞれ専門領域も違い、得意技も違います。

5人で一緒にいればできないことを助け合ったり、それぞれの関係の中でいろんな方々と出会って仕事を広げることができるかもしれない…と考えたんです。さらに言えば、世の中に向けて、僕たちはこういうかたちで社会に役立っていきたい!とメッセージを発信していくときに、一人より5人のほうが伝わるものがあるだろうし。

これまで会社員というかたちで働いてきたけれど、新しく始めるのは必ずしも会社というかたちでなくてもいいのではないか。自立した個人としての自由を保ちながら、思いや方向性を共有し、一人ぼっちにはならないかたちがあるのではないかと。

細川 株式会社にしてしまうと、どうしても会社としての成長やお金の問題が絡んで、それを基準にせざるを得なくなる。そうではないやり方で、みんなが一番気持ちよく、長く続けていける体制とはどんなものなのか。誰にとっても有限で貴重な人生の時間を、これからなんのために、誰のために使うと喜ばれるのか、そして自分たちもうれしいのか、そこを大事に考えていきました。

保持 年次でいうと会社員時代は僕が一番下だったのですが、そういった先輩・後輩みたいなこともとっぱらって、全員が完全にインディペンデントな個人として働きつつ、志でつながるという考え方は、自分としてもすごく入りやすい環境だなと思えました。

東畑 最終的に僕が賛同したのは、そういう新しい働き方を目指す、実験的な場をつくるという企画があったからです。それから、もう一つ、僕の中には自分がどんな仕事をしていきたいか、きちんと世の中にメッセージしていきたいという気持ちがありました。

いま広告やマーケティングが大きく変わり、どんどん効率化が進む中で、自分は、企業やブランドの存在意義を問い、考え、一緒に見つけ出していく、そんな仕事がしたい。そして、賑わいを作るために、人の心を魅了する。広告とは、そんな可能性を持った仕事でもあることを強く発信していきたいと思っていたのですが、一人で独立してもメッセージにはならない。5人で新しい場を立ち上げることで、1つのメッセージになれるのではないかと考えました。

田辺 おそらくこうしたかたちは、あまり先例がないはず。下の世代にも「こういうやり方があるんだ」と参考にしてもらえたらいいのかなと思っています。

細川 人間らしい暮らしを大切にしながら働くことに割ける時間って、実は人生の中で限られていて、とても貴重なものなのに、これまではそれが無尽蔵にあるかのような働き方をしていました。

かつては組織もそれを求めていたと思うし、自分も積極的に応えようとしていた。一方で、独立前に会社から常に言われていたのは、「働く時間を減らす」こと。よい流れだと理解しながらも、自分のペースで働きたい気持ちもあった。その矛盾に悩む中で、「この想いのためなら」と共鳴できる企業やものづくりをしている人たちのために、限られた時間と自分の得意なことを集中して役に立てたらいいのだろうな、という気持ちが強まっていき、思い切って場を変えて、自分の責任と選択でそれをやってみるのもいいのではないかと。

菅野 大きな組織には定年がある。限られた時間、大事な時間を何に割くか。どういう働き方を選んでいくか。という悩みは、はクリエイティブという職種に限った話ではないと思います。

会社に入って20代で基礎的な姿勢や専門的なスキルを身に付け、30代で現場で責任持たせてもらえるようになって仕事がもっと面白くなり、実力がついてさらにチャンスが巡ってくる。そして40代になると、マネジメントの立場になり、個ではなく、組織について考えるようになる。自分も育ててもらった恩があるので当然組織への貢献を考えながらも、もっと現場でも働いていきたい。とはいえ体力の限界も感じるのが40代です。そのときに組織の中でマネジメントに集中していくのか、現場のスペシャリストでやっていくのかなどに悩み、みんなが転職や独立を考え始める。独立にあたってクライアントの方や友人など、様々な立場の方との会話の中で、僕が想像していた以上に、今後の人生と働き方、組織と自分の関係、専門性と組織での立場など、キャリアについて悩んでいる人が多いことに驚きました。

スタートアップをはじめいろんなタイプの企業が増え、多様な働き方がどんどん出てきているいまだからこそ、個人での働き方にももっと新しい選択肢があってもいいはず。僕らのやり方が新しい提案やメッセージになったらいいなと思います。

細川 これからは一方向にステップアップしていくようなキャリアではなく、また、一度退職したら戻れないようなキャリアでもなく、知識や経験の交流が生まれるような、新しい選択肢が作れたらいいなとも思います。今後、働き方はますます多様化していく中で、(つづく)が、新しい働き方の可能性の一つや、広告全体を豊かにしていく一助になれたらと。

 

これまでの「つながり」から生まれた、新たな「つながり」の場

――4月には、東京・青山にオフィスをオープンしました。

菅野 コロナによって失われたことの一つは、みんながばったり会う場。(つづく)ではあえてこの時代にオフィスというフィジカルな場を設けたことで、次々と偶発的な出会いが生まれています。約束して遊びに来る人もいるし、「近くに来たから行っても良い?」ってふらっと顔出す人もいるし、お互いの繋がりの人を外のメンバーに「ちょっと紹介させて」となって、新しいつながりが生まれてます。

細川 インスタグラム( @tsuzuku_tokyo )には、来てくださったゲストの写真を主に田辺さんがアップしてくれています。でも、メンバー全員が中の人です。

菅野 それぞれが手がけた仕事とか全然紹介せずに、ゲストの写真だけをアップしているから、毎日、飲み会ばかりやっているかのように思われるかも(笑)。

細川 広告関係の方から小説家、画家、音楽家、俳優、料理人、杜氏の方まで、本当にいろいろな人が来てくれています。インスタを見た方から「この人とこの人はつながっていたんだね」「この人を紹介してもらえないでしょうか」といった声も寄せられてますし、実際にいまお互いのつながりを紹介しあっていますね。

東畑 僕は偶然ここで会った人に、仕事をお願いしました。

田辺 会社にいたときは、それぞれのつながりはそんなに見えていなかったので、お互いのコミュニティがこんなにも違うということに、僕も驚きました。同時に、それぞれの働き方も見ることができて、「みんなこんなふうに働いていたんだ」と、初めて月の裏側を見たような気分です。

保持 僕はもともと会社で仕事をするのが好きで。いつも会社に行って、その日そこにいる人たちと雑談をすることが、自分にとってよい刺激になっていました。ところがコロナ禍で会社に行かなくなってからは、その実感を得ることができなくなって…。個々で仕事をすることの効率の良さが浸透したがゆえに、雑談や偶然の出会いみたいな刺激はもう戻らないのかなと、この2年くらい悶々としていました。(つづく)では個々はバラバラに活動していますが、こうした場ができたことで偶発的な出会いがあり、個人に閉じてしまうことが無くなりつつありますね。

田辺 コロナ前、会社に行けば多様なジャンルの人や優秀なクリエイターたちに会うことができたのは、まさに組織というものの良さの一つだと思います。自分たちをそのまま重ねるわけではないけれど、20世紀初頭のパリのモンマルトルのカフェにさまざまな才能が集まったように、出会って話をすることで、くやしいと思うのか、楽しいと思うのか、さまざまな刺激をもらうことができています。

保持 友人的なつながりから生まれる出会いは、仕事だけでの関係と違い、もっと深いところで話ができる。ビジネスの出口ありきではない面白い企みが生まれる。それは、やはりこういう場があってこそだなと思いますね。

菅野 この5人がいいものをつくったら、心の底からうれしいと思うし、そう思える人たちと自分が同じ場にいられることが本当にうれしいんです。

東畑 結婚に近いレベルで人生の大きな決断をともにした仲間なので、ある種の同志に近い感覚がありますね。そういう人たちが自分のそばにいることが刺激になると同時に、僕にとっては救いになっています。

新しい環境で、もう一度必死で漕いでみる

―― (つづく)が始まってから、仕事の面ではどんな変化がありましたか。

細川 それぞれに忙しいので日々連絡をとりあっているわけではないけれど、困ったときは助け合えるという、いい距離感と信頼感が5人の間で生まれてきています。みんな得意分野が違うので、心強いです。それから仕事については、これまでとは声のかかり方やルートが変わってきましたね。

保持 独立を機に、クライアントや経営者の方、他業種のプロデューサーやクリエイターの方など、直接ご連絡をくださる人が増えました。会社にいたときは場が整った後、ピースの一つとして呼ばれていた感覚があったけれど、いまはビジネスになるかどうか、まだわからない段階だから相談が来たり。それをこれからどうビジネスにしていくのかを考えて、仲間を集めたり。そういう部分に主体的に関われるのは、これまでの仕事の成り立ちとは違うし、面白さを感じています。

田辺 近年は、企業やブランドが自分たちの目に留まった才能とダイレクトにつながり仕事をするケースも増えてきていると感じます。クライアントの皆さんもクリエイターのことをとてもよく勉強していらして、この人は何が得意で、自分たちにどう役立つのかをご存じだし、これまでの慣習にとらわれることなくパートナーを探し始めている気がします。その一方でクリエイターはいまだに「マスメディア」「カルチャー」「ファッション」「グローバル」など、それぞれに微妙に違うコミュニティや組織の壁に意外ととらわれていて、人間関係がタコツボ化している気もします。

自分が所属する組織のおもしろさを最大限に活用しつつ、同時に領域を超えてクリエイターたちが新しいかたちでつながっていったほうが絶対に面白いし、結果としてクライアントや社会のために、より質の高いアウトプットを提供することができるようになると思います。

菅野 電通のような大きな会社が受けるべき仕事はもちろんあって、僕らもいまでもそういう大きなチームの一員として仕事をさせていただいています。

一方で、近年はスタートアップなど、これから世に出ていくべく、強い想いを持っている会社も増えていて、僕らがクリエイティブとして関わらせていただける会社やプロジェクトのサイズも多様になってきました。映像メディアが細分化したいま、広告ももはやテレビCMだけではなく、クリエイターも広告以外のプロジェクトで求められることも増えています。そういう場合、会社よりも個人として柔軟に対応するほうがいいケースも多いんです。クライアントの方たちもそれをわかっていて、(つづく)には「映像に力を貸してほしい」「細川さんに言葉の部分を手伝ってほしい」「クリエイティブ全体の監修をしてほしい」など、さまざまな依頼が増えています。とはいえ、クリエイティブだけでは受けきれないこともあり、将来的には僕らともまた違う才能があるクリエイターは当然、一緒にプロジェクトを動かしてくれるプロデューサーなど、多様な新しい仲間も必要なのかもなと思っています。

東畑 決して閉じているわけではないので、志が近い人がいれば、将来的にはそういう可能性もありますよね。

保持 (つづく)として、自分がこういう役立ち方でいいのか、ということは、参加してからずっと考えていますね。表現物としてアウトプットする以前に、僕らのどういう能力が、どんなふうに社会や企業の役に立てているのか、そこが問われている気がします。(つづく)として外にメッセージしたからこそ、いまいろいろな「問い」が自分たちにも戻ってきていて、(つづく)らしい仕事とはなんだろうと考えたり。そういうものに対して自覚的になってきています。

菅野 (つづく)という場をつくれたことは、自分たちにとって大きなことでした。でも(つづく)というブランドはバーチャルな存在で、会社としては登記しているわけではないため、どこにもこの5人のブランドである約束もないし、積み重なる「のれん」価値がありません。なので、いま僕は(つづく)というブランドをNFT化することを構想しています。これは僕の個人的な関心からはじめたことなのですが、(つづく)ブランドは5人の共有の価値であることを、株式会社とは違うやり方で記録しようと考えています。そうすることで、インターネット上に、(つづく)が永遠の価値として残る。そういう風にブランドとして残せたら面白いなと思って、いま取り組み始めたところです。

NFTは、いま様々な意味で大きな期待をされながら、一方で批判や危惧もされている。両極端な意見が混在している状態です。世の中の議論の争点になっている技術だからこそ、自ら触れてみて深く学んでみたい気持ちがあります。そうやって好奇心やクリエーティブな発想を最大限に大事にしつつ、みんなで一緒に議論しながら積極的に未知のことを試してみれるおおらかさと自由さも(つづく)の魅力です。

東畑 (つづく)に参加して、見える景色は明らかに変わりました。会社にいたときは安定していたし、周りに助けてくれる人たちもいて、本当に恵まれた環境で仕事をしていた。でも、そういう状況下で仕事を進めていたら、だんだんと必死になることが減っていった。当初、それは年齢のせいかなと思ったのですが、実は不安や不安定もまた、自分を駆り立てる原動力になるのだなと、気づかされました。新しい場所に身を置いて、もう一度仕事に向き合った時、まだちゃんと必死になれる自分に出会えた。そういう面白さを感じながら、この半年、毎日漕ぎ続けています。

(つづく)

東畑幸多
クリエーティブ・ディレクター/CMプランナー

1975年東京生まれ。慶應義塾大学・環境情報学部卒。
1999年、電通入社。CMプランナーとして数多くのTVCMを制作。クリエーティブディレクターとして、企業ブランディング、統合キャンペーンなど、コミュニケーションの全体設計を担当。「ロマンとソロバン」をモットーに、企業の存在意義を照らし、ブランドの本質的価値を捉え、ファンとブランドとの幸福な関係をデザインする。
2009年、クリエイターオブザイヤーを受賞。エグゼクティブ・クリエーティブディレクター職を経て、2021年電通を退社。2022年1月クリエーティブ・ディレクター・コレクティブ(つづく)を設立。

 

細川美和子
クリエーティブ・ディレクター/コピーライター/プランナー

文化人類学をICUで専攻、2000年卒業。2001年電通入社。
コピーライター、CMプランナーとして数々の広告を制作。クリエーティブ・ディレクターとして、ブランドミッションの策定から統合キャンペーンまで、一気通貫したコミュニケーションを手がける。言葉を中心に、広告とPR、マスとソーシャルをかけあわせ、世の中と関係を作りながら、長く愛される物語のあるブランド作りを志す。グループ・クリエーティブ・ディレクターを経て、2021年電通から独立。2022年1月クリエーティブ・ディレクター・コレクティブ(つづく)を設立。

 

田辺 俊彦
クリエーティブ・ディレクター/映像プランナー

東京、ミュンヘン、ボン、ウィーン、ロンドン、ジャカルタで育つ。2002年電通入社。
国内、海外を問わずビジネス・コンセプトからクリエーティブ表現まで、一気通貫したプロジェクトを数多く手がける。複数の国をまたぐキャンペーンも多数。広告のディレクション以外にも、ラグジュリーブランドとの様々な協業も行う。
エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター職を経て、2021年に電通を退社。2022年1月クリエーティブ・ディレクター・コレクティブ(つづく)を設立。

 

菅野薫
クリエーティブ・ディレクター/クリエーティブ・テクノロジスト

1977年東京生まれ。麻布学園中学・高校、東京大学経済学部経済学科卒業。2002年電通入社。データ解析技術の研究開発職や、電通総研での主任研究員を経て、2013年クリエーティブ部門へ異動。デジタルテクノロジーと表現という専門性を活かして国内外のクライアントの商品サービス開発、広告企画制作など、幅広い業務に従事。
2022年1月電通から独立して、クリエーティブ・ディレクター・コレクティブ(つづく)を設立。経営戦略や事業戦略の立案、広告制作、プロダクト・サービス開発をはじめとしたデザイン、エンターテイメントの領域のクリエーティブ・ディレクションを中心に活動をしている。

 

保持 壮太郎
クリエーティブ・ディレクター/プランナー

広告の企画・制作をはじめ、新商品や新サービスの開発、ライブパフォーマンスの企画、アクセラレーションプログラムの立ち上げ、国際事業のプレゼンテーション、音楽イベントのプロデュース、テレビ番組の企画、小説の原案、大学向け教育プログラム開発など、幅広い分野の仕事を手がける。2022年3月より(つづく)に参加。

イラスト:尾上永晃

8月後半より、(つづく)の5名によるリレー式コラム「(つづく)道をつくる。」がスタートします。ご期待ください。