AI、メタバース、ブロックチェーン……40代広告マンの流転キャリア

皆さんこんにちは。博報堂キースリーの重松俊範です。

前回のコラム

では、中国に12年間滞在し読売広告社の上海支社で支社長を務めていたにもかかわらず、いざ帰国をしてみたら「ただの中国語ができる広告マン」として自分の強みが通用せず、猛烈に焦りを感じたところまでを振り返りました。

雀荘で訪れた1度目の転機

12年間滞在した中国から帰国した2017年、一度は競合の広告会社に転職したものの、いまいち強みが活かせていない日々を過ごしていました。

そんな頃、渋谷のフリー雀荘にふらりと立ち寄ったときのこと。「来週土曜に矢島亨雀王来店!」のポスターが貼ってありました。「矢島亨……」。大学時代、死ぬほど一緒に麻雀をしていた友人の名前を見て誤ポンしそうになりました。

写真 グラフィック 掲出風景 矢島亨Twitter

旧友の雀王・ヤジ(矢島亨)

当日、恐る恐るお店に行くと雀卓には20年ぶりのヤジ(彼の当時からのあだ名)が。そのまま二人で食事に行き、そこで運命的な一言が飛び出しました。

「俺は常に今日が人生で一番楽しい、なぜなら毎日ずっと麻雀をやっていて、今日が一番麻雀が強いはずだから」。

会わなくなって20年以上、ヤジはひたむきにひとつのこと=麻雀を続けていたんだなと思い、なぜかわかりませんが目頭が熱くなりました。大学時代から確かに図抜けた雀力だったヤジ。でも当時、雀王と一般ピーポーほどの差は絶対になかったはず。20年で人はここまで上り詰められるのかと思い、自分ももう一度一生懸命になれる何かを探そうと誓ったのでした。

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重松俊範(博報堂キースリー 代表取締役社長)
重松俊範(博報堂キースリー 代表取締役社長)

1978年生まれ、中央大学法学部卒業。2001年読売広告社入社。国内で不動産広告の営業を経験した後、27歳で中国に渡る。読売広告社の上海支社と台湾支社を立ち上げ、クリエイティブディレクター&支社長に就任。上海・広州・台湾に合計12年間駐在。帰国後、他の広告会社やXR企業でのメタバースビジネス展示会事業の管掌取締役を経て、2023年1月に博報堂キースリーの設立とともに代表取締役社長として参画。三児のパパ。趣味はカメラ、写真も動画も撮ります。

重松俊範(博報堂キースリー 代表取締役社長)

1978年生まれ、中央大学法学部卒業。2001年読売広告社入社。国内で不動産広告の営業を経験した後、27歳で中国に渡る。読売広告社の上海支社と台湾支社を立ち上げ、クリエイティブディレクター&支社長に就任。上海・広州・台湾に合計12年間駐在。帰国後、他の広告会社やXR企業でのメタバースビジネス展示会事業の管掌取締役を経て、2023年1月に博報堂キースリーの設立とともに代表取締役社長として参画。三児のパパ。趣味はカメラ、写真も動画も撮ります。

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