性別や人種、年齢などの区別なく「一人の人」として活躍の場が広がっていくことが期待されている現在。新たな社会の潮流を生み出す、広告・メディアビジネスの世界で活躍するリーダーたちは、どのような考えで挑戦を続けているのでしょうか。本稿は広告会社オリコムの中島明美社長にインタビュー。試練に揉まれ、手探りでキャリアを積み重ねてきた、中島社長が目指すキャリアの理想郷とは?
中島社長のキャリアの軌跡
〇自力で長く働ける場所を求め、選んだのは広告会社
〇ロールモデルがいない中、粗削りにキャリアを積み重ね、管理職へ
〇クライアントに育てられ、切磋琢磨しながらスキルやノウハウを学んだ
〇固定観念を外し一人ひとりが自然体で力を発揮できる土壌づくりに尽力
〇難しい状況に臆せず、「人をまん中に」面白がって前へ進む集団を目指す
〇自力で長く働ける場所を求め、選んだのは広告会社
〇ロールモデルがいない中、粗削りにキャリアを積み重ね、管理職へ
〇クライアントに育てられ、切磋琢磨しながらスキルやノウハウを学んだ
〇固定観念を外し一人ひとりが自然体で力を発揮できる土壌づくりに尽力
〇難しい状況に臆せず、「人をまん中に」面白がって前へ進む集団を目指す
長く働ける場所を求め、選んだのは広告会社
――中島社長が広告会社で働くことを選んだ、その決め手は何でしたか?中島
:下町生まれ下町育ちで、私の周りに会社勤めの人はいなかったんですね。職人と商人の町。そこに女も男もない、みんな働いていた。だから物心ついた時から、自分は何で食っていくのか、それしかありませんでした。
「大学までは行かせてやるから好きにしろ」と言われて、法学部に行けばつぶしが効くかなと思ったものの、入ってみたら向いていなくて、とにかく自分に向いていそうで長く勤められる仕事は何か、そこをぶらさずに業界を比較検討する中で、一番関心が向いたのが広告界。
せっかく働くなら、世の中をすこしクスッとさせられるような、アイデアでお金がもらえて、考えることで商売になる仕事がいいなと思いました。するとラッキーなことにオリコムに拾ってもらい、マーケ部門で入社が決まり、モチベーションが一気に高まりました。
――入社する前と後で、キャリアイメージのギャップはありましたか?中島
:広告の仕事に対する期待値はあったものの、果たして本当に自分が思い描いた働き方ができるのだろうかと、懐疑的ではありました。当時は男女雇用機会均等法が施行されたばかり。自分が受け入れられるのか、ちゃんと扱ってもらえるのか、そればっかりでした。自分は仕事をしに来たんだとイキってましたね、完全に。ロールモデルなんて発想はなかったです。いないんだから。
