玉三郎が思い出を語る 銀座アスター、100周年イヤーに向けた多彩な施策を発表

銀座アスター食品(以下、銀座アスター)は11月26日、創業100周年を記念し、銀座アスター本店(東京・中央区銀座)にて記念イベントをメディア向けに実施。イベントには歌舞伎俳優で人間国宝の坂東玉三郎も登壇し思い出を語った。

イベントに登壇した矢谷郁社長(左)と坂東玉三郎さん(右)。

イベントに登壇した矢谷郁社長(左)と坂東玉三郎さん(右)。

銀座アスターは、バター販売を生業としていた矢谷彦七さんが、関東大震災を機に一念発起し1926年12月に創業。以来、銀座から中国食文化の魅力を発信し続け、100年にわたり独自の中国料理を提供してきた。現在の矢谷郁社長は3代目として経営を続けている。

本イベントではそんな同社の伝統ある歴史と共に、まもなく始まる100周年イヤーに向けた一連の施策を発表。100周年ロゴの制作、特設サイトのオープン(12月1日から)、ブランドストーリーを紹介する動画や特別ゲストを招いた対談動画などを配信するYouTubeチャンネルの始動(12月1日から)、各店舗の名匠たちが集う「名菜席」の開催など、充実したラインナップで周年イヤーを盛り上げていくという。

また、イベントには現代の立女形として活躍する歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが登壇した。玉三郎さんは作家・開高健さんの妻で詩人の牧羊子さんとの縁があり、1992年の銀座本店新築オープン時から来訪。以来その味に魅了され、歌舞伎座(東京・中央区銀座)が近いこともあって常連になっているという。

1992年の銀座アスター本店の新築オープン時に撮影されたポスターの思い出を語る玉三郎さん。衣装や椅子などは同社が所有していたビンテージ品からセレクトしたという。撮影は篠山紀信さん。

1992年の銀座アスター本店の新築オープン時に撮影されたポスターの思い出を語る玉三郎さん。衣装や椅子などは同社が所有していたビンテージ品からセレクトしたという。撮影は篠山紀信さん。

トークセッションでは矢谷社長、玉三郎さん、本店料理長の皆川幸次さんが「100年の歴史と、これからの100年」をテーマに鼎談。餃子や焼売をはじめとした玉三郎さん一押しのメニューやよくテイクアウトする特製弁当の話など、銀座アスター愛の溢れるトークが花開いた。

玉三郎さんがよくテイクアウトするオリジナルのお弁当。舞台の出演前を気遣い辛味のない海老のチリソース煮にするなど随所に工夫が凝らされているという。

玉三郎さんがよくテイクアウトするオリジナルのお弁当。舞台の出演前を気遣い辛味のない海老のチリソース煮にするなど随所に工夫が凝らされているという。

玉三郎さんがよくテイクアウトするオリジナルのお弁当。舞台の出演前を気遣い辛味のない海老のチリソース煮にするなど随所に工夫が凝らされているという。

さらに、玉三郎さんが未来への想いを込めて一文字をしたためる「揮毫(きごう)セレモニー」も実施した。揮毫したのは銀座アスターが社の精神を表す言葉として掲げている「不易流行」の4文字。松尾芭蕉の俳諧理念であり、「時代を超えても変わらない本質(不易)」と「時代の変化に合わせて変わっていくもの(流行)」を調和させた考え方だ。

玉三郎さんは「実は味覚は文化とつながっているんです。だから味覚がちゃんとしないと物の良し悪しもわからない。社長にもお願いして、若い皆さんにも気軽に来てもらえるような店にしてもらえないかとお願いしています。食育というのは今後より一層大事になってくると思います」とコメント。変わらぬ味の継承と発展を願った。

揮毫した「不易流行」について語り合う(右から)玉三郎さん、矢谷社長、皆川料理長。

揮毫した「不易流行」について語り合う(右から)玉三郎さん、矢谷社長、皆川料理長。

今回の周年施策について矢谷社長は、「私自身、社長に就任してから20年以上が経ちますが、調理方法などの伝統を守りながら、女性が気軽に外食できるような風土づくりを企業として実践するなど変革を試みてきました。その上で、銀座アスターの良さを次世代の皆さまにも知っていただくために、YouTubeなどのSNSに挑戦することにしました。次世代への橋渡しが喫緊の課題と考えております」とコメント。この先1年への想いを明らかにした。

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