10年間の受賞作から紐解く「時代の地図」―「宣伝会議賞」中高生部門特別企画:第1回

2016年に始まった「宣伝会議賞」の中高生部門は、今年度で11回目を迎えます。この大きな節目に、立ち上げの初回から10年間にわたり審査員長として賞の発展を牽引し、中高生たちの言葉に誰よりも熱く寄り添い続けてきたコピーライターの阿部広太郎氏が、今期をもってその役目を次期審査員長へとバトンタッチすることになりました。7月1日の募集開始を前に、10年間、中高生の言葉に立ち会ってきた阿部氏だからこそ語れる、過去の名作たちの背景、コピーを書くことの面白さ、そしてこれからの時代を生き抜く次世代へのメッセージを、全4回の特別コラムとしてお届けします。第1回は、言葉が映し出してきた「10年間の軌跡」を振り返ります。

avatar

阿部広太郎氏

電通
クリエイティブディレクター

広告クリエイティブの力を拡張しながら領域を超えて巻き込み、つながり、助け合う対話型クリエイティブを実践する。著書に『コピーライターじゃなくても知っておきたい心をつかむ超言葉術』(ダイヤモンド社)、『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』(ディスカヴァー·トゥエンティワン)、『あの日、選ばれなかった君へ新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』(ダイヤモンド社)。

その1行が、10代を照らしてきた。

審査会に至るまで目を通してきた、何千ものコピー。その一枚一枚に、誰かの「言いたくてたまらなかったこと」が宿っています。「宣伝会議賞」の中高生部門が生まれて、今年で11回目。後半は審査員長として、私はそのすべての年に立ち会ってきました。次の審査員長へバトンを渡すこのタイミングで、10年間の言葉たちを、もう一度ここに並べてみたいと思います。

コピーは、時代の体温計です

広告のコピーは、世の中を映す鏡だとよく言われます。けれど中高生の言葉は、鏡というより体温計のようにも感じます。その年その年の空気を、誰よりも先に、誰よりも正直に測ってしまうのです。

私は、書くことは光を当てることだと思っています。同じ景色でも、どこに光を当てるかで、意味がまるごと変わる。中高生は、その年いちばん心が動いた場所を、まっすぐ照らしてくれる。だから受賞作を並べると、10年分の「時代の明るさ」が、そのまま地図になるのです。

中高生部門が始まった2016年。グランプリは「本気で殴りたい政治家ができました。」(読売中高生新聞)でした。18歳選挙権がスタートした年です。それまで他人事だった「社会」が、自分の一票と地続きになった。その実感が、行儀のいい言葉ではなく、こんなにも血の通った一行になって噴き出した。怒りでも諦めでもなく、関心が高ぶった先の言葉だと、私は読みました。

2017年には「クリーニングじゃ 明日の告白に間に合わない。」(菅公学生服)というコピーがグランプリに選ばれました。制服も、片想いも、間に合わせたい明日も、どんな時代でも変わらない。新しさを追う部門でありながら、普遍はちゃんと普遍として強い。この両立こそが大切なのだと、最初の数年で確信しました。

スマホとSNSが、まなざしを変えた

やがてSNSが日常の真ん中に居座りました。ここから、言葉の「見られ方」そのものが変わっていきます。象徴的だったのが「たまに眼鏡が1番可愛い」(ジョンソン・エンド・ジョンソン ビジョンケアカンパニー)。

自撮りと「映え」が当たり前になり、人の目に映る自分を、嫌でも意識させられる時代。本来はコンタクトを売るための課題で、あえて眼鏡の日を肯定してみせる。見られることに少し疲れた世代が、見られ方の主導権を、自分の手に取り戻す。その小さな反転に、私はこの世代のしたたかさと優しさを、同時に見ました。

息苦しさを、責めるでも嘆くでもなく、くすっと笑える角度でひっくり返す。これは、SNSを呼吸するように使ってきた人にしか書けない芸当です。そして、画面の向こうに友だちがいるのに会えない日々もやってきました。言葉が外へ向かいづらくなったぶん、まなざしは内側へ、そして手の届く範囲の大切な人へと、静かに、深く潜っていきました。

AIの時代に、言葉はもっと人間に近づいた

近年、最も私の価値観を揺さぶったのは、2024年のグランプリ「AIは、私の志望校を笑わない。」(ベネッセホールディングス)です。AIという最新の道具を、受験生の繊細な心の機微とぴたりと結びつけた力作でした。普通なら、新しい技術は「便利」「すごい」と消費されて終わる。けれどこの一行は、AIを、自分の弱さやさみしさを預ける相手として描いた。

技術の話なのに、こんなにも体温がある。道具が進化するほど、人はかえって「ひとりの人間に戻れる場所」を、言葉で探しはじめる。その逆説を、たった一行で証明してみせたのです。

直近のグランプリは「プロポーズに使いたいお店じゃなくて、プロポーズしたあとに通いたいお店。」(コロワイド)。特別な一日ではなく、その先に続いていく長い時間のほうを選ぶ。等身大でありながら、確かに大人びている。10年の積み重ねの果てに、こういう成熟したまなざしが立ち上がってきたのかと、私は静かに唸りました。

変わったのは時代、変わらないのはひとつだけ

こうして並べてみて、確信したことがあります。中高生の言葉は世間の正解をなぞりません。「みんながそう言うから」ではなく、「私の心の声として、こう思うんだ」があります。

本音を書くのは、いちばん怖い。けれど、いちばん力が生まれる。整いすぎた言葉より、まだうまく形になっていない気持ちのほうが、不思議と相手の胸までちゃんと届く。受賞作にはどれも、書いた人の体温が透けています。

その思いがあふれた一行は、何年経っても色褪せません。時代は変わり、道具も変わる。けれど、自分の感じたことを、自分の言葉にしようとする姿勢だけは、10年間ずっと変わらなかった。それどころか、変わりゆく時代のなかで、年々その純度を上げてきたのです。

「ありがとう」は、もともと「有り難し」。有ることが難しい、めったにないこと。10年分の受賞作を読み返すたび、私はありがとう、と言いたくなります。これほど正直な一行に出会えたことは、めったにない有り難さだったのだと、いまになって思うのです。

では、なぜ中高生の言葉は、これほどまでに大人の胸を打つのか。その「構造」は、次回ひもといていきます。

10年分の言葉は、これから挑む人への、最高のお手本です。さあ、次の中高生部門が、もうすぐ始まります。その先で、どんな一行に出会えるだろう。中高生部門の審査員から離れたとしても、私はいまから楽しみでなりません。

advertimes_endmark


この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

この記事を読んだ方におススメの記事