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コラム

アメリカ女子高生 デジタルネイティブ日記

ただいま車で高校に通学中の娘(17歳)。デジタルツールは彼女の事故を救えたか?

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米国で日本企業のブランディングなどを手掛ける結城喜宣さんと高校生の娘(17歳)が、日常的に繰り広げられるデジタルライフをレポートします。フェイスブックやビデオチャットを使いこなす、アメリカ女子高生のインサイトとは? 日本にも出現しつつある、“デジタルネイティブ”のリアルに密着します。

カリフォルニア州の公立高校に通う、日本生まれ米国育ちの娘

5月3日の朝。明日の結婚記念日はどこのレストランを予約しようか、などとオフィスで考えていた私のもとに娘から電話が入った。

 「事故った」と娘は言った。
  口調は急いでいるが、泣いてはいない。
 「どこで?」と私。
 「高校の前の信号」と娘。
 「警察には?」
 「電話したよ」

そして、車の写真撮らなきゃいけないからきるね、と言って娘は早々に電話を切った。私はオフィスから車で10分程離れた現場に向かった。こんなことならもう少し事故処理の仕方を教えておけば良かったなどと後悔しながら。


娘が運転していた車は手前のVOLVO

娘は17歳の高校二年生。日本で生まれ、4歳の時に親の冒険(私と妻の留学)につきあわされるかたちで渡米した。1999年9月のことである。途中、これまた親の冒険(日本に支社を設立)で小5から中2までの3年間を日本で過ごすことになるが、現在は、カリフォルニア州アーバイン市の公立高校に通っている。

全米屈指のテニス部に所属し、多くのボランティア活動に参加。昨年、16歳の時に運転免許を取得。事故を起こすまでは、私のお古のボルボステーションワゴンで通学していた。あまりにポンコツのため、”ボロボ”と友だちにからかわれていたようだ。娘は皆に馬鹿にされない程度の車を望んでいたのだろうが、私は耳を貸さなかった。「贅沢だよ。ボルボは頑丈で安心なんだから」と。

カリフォルニアで娘の天性の前向きさと積極性が育まれ、昨年夏に行なわれた宣伝会議社主催のサンフランシスコ視察ツアーでは、米国本場のデジタルネイティブ代表として並みいるプロのマーケターを前にして高校生講師としてプレゼンテーションを行った。

「フェイスブックの友達は700人超」「成績表はオンラインで毎日更新、親にもバレバレ」「放課後はビデオチャットを使って皆で宿題」といった娘の生の声が参加者の皆さんの間で面白いと評判となり、今回の企画が生まれたわけである。

このコラムがスタートする話を本人にした時の反応はいたって冷静だった。「パパ、来週からまたテストで忙しくなるからさ、原稿を書くなら早めに内容を教えてね」。アドタイ編集部の依頼によると、娘にペンをということのようだが、まずは期末試験優先ということで、私が彼女に取材をする共著のかたちで進めてみようと思い立った。テストが終われば、彼女自身がフェイスブックで友達にリサーチした「カリフォルニアの高校生が使ってるもっともホットなソーシャルメディア!」などの結果報告も彼女自身からさせたいと思う。

ちなみに私自身は、外資系の広告会社出身。自由と創造を追究するクリエーターである。99年、36歳の時に家族を連れて渡米。大学でデジタルを学んだ後、日本ブランドを有名にするというミッションを掲げ、2002年にカリフォルニア州にワイズアンドパートナーズ社を設立した。その後、05年には横浜元町に支社を設立。現在は、アメリカと日本の両方でグローバル・ブランドのクリエイティブディレクションに携わっている。仕事がある方、求められる方に住むというスタイル。自分で言うのもなんだが、とても稀な存在である。珍しいね、と言われるより、貴重だわ、と言われるようにならなければ。だから、日々、格闘している。若い情熱的なチームに支えられながら。

事故直後、真っ先にiPhoneで事故車を撮影。FBで送信。

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現場検証中。娘は私が駆けつけるまでの間、iPhoneやFacebookを駆使して冷静に対応していた。

さて、娘のように幼いころからデジタルに慣れ親しんだ“デジタルネイティブ”と私たちのように後年、デジタルのある生活に移行することになった“デジタルイミグラント(日本ではデジタル移民と訳されている)”の違いがどこにあるのか? このあたりのポイントを、事故という非日常的なシーンでの彼女の行動から検証してみたい。

私が現場に到着した時には、既にポリスオフィサーが現場検証を終えていた。娘は足を引きずっているものの打撲で済んだようだ。事故の相手である大学生女子は、少し距離を置いた路肩にうずくまり泣いていた。

事故は、その大学生が乗った車が信号を無視するところから始まり、ブレーキも踏まずに娘が運転するワゴンの長い横腹に追突するところで終わった。対向車は前面が大破。ボルボも横に半回転し、ドアが破損。娘はすぐに911。同時に、事故を見ていた後続のドライバーから名刺を受け取る。

その後、車外に出て、iPhoneで事故車を撮影。私と妻に送信。すぐにチャットで校内にいる友達にも連絡し、高校からすぐに応援部隊が駆けつけることになる。また、紛失しないようにと、目撃者の名刺を撮影し、FBで妻にメッセージを送る。さらに、その証言者にメールで御礼メールを送ることを忘れなかった。それが後々、功を奏することになる。事故の相手が、黄色だったと証言を翻したからだ。しかし、証人は裏切らなかった。証人がこのように現場に何かを残してくれることはアメリカでは極めて珍しいことだと、後で複数の友人に聞いた。

そこで私は自問する。果たしてデジタル移民の私なら、事故後の10分の間にどれくらいのことができただろうか? 

私は彼女の緊急時におけるデジタルデバイスの使い方もさることながら、そのスピード感に圧倒された。これは前々から感じていることだが、デバイスが身体の機能として埋め込まれているのだ。まるで脳が指令を出せば、指先が動くというように。脳が中枢に信号を送れば、それはそのままダイレクトにデバイスにつながりアプリケーションが作動するのだ。頭が真っ白になってもおかしくない初めての交通事故の時に、それほど素早いデジタル処理ができる。ここにデジタルネイティブの真骨頂をみた思いがした。そしてこれはなにもうちの娘に限ったことではないはずだ。

私たちが、デジタル移民と呼ばれる意味が理解できた気がした。つまりこれを英語学習におきかえれば、彼女たちは自分の考えを表現する言語として、英語が自然に出てくる。一方、移民である私たちは考えを一旦日本語から英語に翻訳するというプロセスが多かれ少なかれ必要になってくる。当然、スピードは遅くなり、表現方法はスムーズでなくなる。デジタルネイティブがビジネスの部隊で権限を持ったなら、世の中は相当変わっていくだろう。まるでフェイスブックの世界のように。

古いボルボが「頑強なおじいちゃん」になった瞬間

この事故により、ボルボは老体のため廃車となる。実はそれまでボルボをいけてないと思っていた娘にも感謝の気持ちが芽生えたようだ。つまり、娘にとって古いボルボは、最後の瞬間、体を張って守ってくれた頑強なおじいちゃんになった。保険会社に廃車にせずに修理してほしいと直訴するも、ついに願いは叶わなかったのだけれど。

素晴らしいブランドストーリーだと思う。ボルボのフィロソフィーが若いドライバーに伝わった瞬間である。次もボルボがいい、と娘が言い始めたのを聞いて、事故が良い学びになったと感じた。

車にさよならを告げる日、車の中の荷物を片付けていると、座席の下から未使用のサンキューカードが見つかった。娘はそれをそうっとハンドルに置いた。

デジタルネイティブの女子高生が、ボルボのブランドストーリーの一部になった。

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結城喜宣 「アメリカ女子高生デジタルネイティブ日記」バックナンバー