「「就職」と「就社」の違いが見落とされ、学生と企業のミスマッチが起きる」山田ズーニー氏特別インタビュー前編はこちら
電通とマスメディアンは共同で「就活の本質的な悩みの解決」をテーマに、大学3年生向けの就職活動支援プログラム「ジブンと社会をつなぐ教室」を展開している。そのメソッドを書籍にまとめた「なぜ君たちは就活になるとみんな同じことばかりしゃべりだすのか。」の発売を記念した特別対談の後篇。文章や表現のプロである山田ズーニーさんに、自分と社会との接点を聞いた。
左から小島 一郎氏(電通)、山田ズーニー氏、吉田 将英氏(電通)。
聞き手/小島雄一郎、吉田将英(電通)
「やりたいこと」という言葉の難しさ
小島:前回
の「就職」と「就社」のお話のように言葉が整理されるとすごく納得できたり、逆に言葉に振り回されたりすることもあると思います。今の就職活動や学生を見ていて、言葉がしっくりきていないなと感じることはありますか?
ズーニー:
先ほど「やりたいことができない」から数年で辞めてしまう、という話が出ましたが、「やりたいこと」っていう言葉が、ものすごい混線を生んでいますよね。
小島:
それは僕らも今まさに迷っています。まさにここが、社会との接着点になると思うんですが。
ズーニー:
難しいですね。就活で「やりたいこと」を聞かれるし書かされるから、それができると期待して会社に入るのに、そこでくじかれてしまう。
NHKの連続テレビ小説「花子とアン」に、「人が社会に出て生きていくためには、苦労を分け持たないといけない」というようなセリフがありました。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子さんをモデルにしたドラマなのですが、私はその言葉がすごく、ストン、ときたんです。
お医者さんや先生、メーカーの営業担当、それぞれが何かを分け持つ専門家だと考えると、社会全体がものすごく分業しているんです。日本社会をひとつの大きな家族だと考えると、私もまた、表現の教育という仕事を担当しているわけです。
