噛み合わなかった「論争」
つい最近ツイッター上で、作家で最近は教育家としても知られる乙武洋匡氏(@h_ototake)と私、高広伯彦(@mediologic)及びそれぞれのフォロワーによって意見が飛び交い合い、さながら炎上の様相となった「死んでよし論争」というものが起こった。一連の騒動についてはトゥギャッター(ツイッターでの発言を時系列に並べられるサイト。このツイートをまとめることを「トゥギャる」という)に「トゥギャられて」いるので、ことの詳細についてはそちらを参照してほしい。また、このコラムではどちらの言ってることが正しいかどうかということを書くのが主旨ではない。この「論争」が巻き起こった背景に、「メディア」と「コンテクスト」を巡る興味深い思考を得られるので、それについて書いておきたいと思う。
さて、まずは15、6年遡ってみることから始めるとする。1990年代半ば、当時若い世代に最も普及していた「パーソナルメディア」は「ポケベル」だった。「パーソナルメディア」と書いたのには理由がある。それまで、テレビや電話など若い世代も利用するメディアは多数あった。またパソコンが家庭に急速に普及し出した時期でもあったが、それらは世帯に普及したメディアであって、個人に普及したメディアではまだなかった。ポケベルとは初めて普及した、「個人が持つ」メディアだった。