コラム

CSR視点で広報を考える

3.11後に変化した日本人のリスク意識とは

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安全神話の崩壊

3.11はこれまで日本が築きあげてきた色々なものを壊してしまった。特に「原発依存」「地震防災」「食の安全」「政府の危機管理能力」「情報の正確性」などの分野で安全神話が崩壊し、不安要素が拡大、信頼性は大きく損なわれた。

それに伴い、国民の意識も変容し、1年後の未来より目の前の現実への対応を重要視し、雇用不安や金融危機を超えた「生存危機」に対する不安が増大して、今をどう生きるかを真剣に考えることが一般生活の中で当たり前になった。これらは今も続く、余震、緊急停電、放射能汚染などの継続的な脅威が、国民の生活にまで影響を与え、不安が心の奥底まで根付いてしまったことによる。

豊かな生活のときには個々の生活様式や趣向に沿って複数の選択肢から選ぶ自由度があったが、危機的状況が現実のものとなったときには二者選択(YesかNoかの選択)を迫られる環境的要請が強まった。それにより自由度はなくなり心の閉塞感が増大した。

リスクコストのアンバランス

企業は、全社的リスクの抽出に基づき洗い出したリスク群から発生可能性のあるリスクを選択し、企業の体力にあったリスク管理態勢を整備してきたが、3.11の発生は、その後の対応に大きな影を落としている。予想を超えた、あるいは予想外の事態が連続して発生したことで、予防の概念より目前の現実的な危機に対応せざるをえなくなった。
 
依然続く東日本大震災の余震対策や東南海地震、放射能汚染などに対する避難計画や事業継続計画、停電対策など、いずれも「今、そこにある危機」(Clear and Present Danger)であって、「将来発生する可能性の高いリスク(High Risk, High Hazard)」をはるかに上回る事態が差し迫っていることを意味している。
 
企業は、高額のコストをかけても対策を講じなければ確実に死に体(Lamed Duck)になるという恐怖感からその対策を進めざるをえない。体力にあったリスクコストというバランスが完全に崩れ、政府や危機的事態から要請される容赦ないコスト負担を強いられる状況が継続している。

世界各国の不安要素となる日本人の危機管理能力

これまでに海外のマスコミが何度か取り上げた日本人の危機管理能力。中国高速鉄道の基盤部分や小惑星探査機「はやぶさ」の日本技術に見られたように、何かを開発し安全に運用させる総合力では評価が高いものの、想定外の危機的事態になった場合の責任集中型のトップダウン方式による危機管理の場面では能力が極めて弱い。リスクを取らず批判をあびない安全策しか取らないため、高い有効性効果が期待できない。

そもそも判断した結果に対して誰かの責任問題にしたくない、という強いプレッシャーが働き、有効性評価自体が疎かになる場面も度々ある。そうした日本人の局面での重大な決定にはその効果の大小よりも問題が顕在化しないものを選択するという「引き算」の概念のみが存在する。

海外ではSWOT分析を中心にその選択肢の強み(メリット)と弱み(デメリット)を相殺し、全体的なリスク量を定量的に判断するが、日本人の場合は「国民感情を逆なでる」、とか「消費者に何を言われるかわからない」などの定性的なリスクを重要視し、マイナス要因の少ない選択肢が自動的に選択される負のスパイラル選択が実行される環境にある。

危機管理を今後本気で取り組むのであれば、リスクを定性的から定量的な視点で判断できるための分析結果を情報として取締役会に上程し、リスクを取ることでどこまで英断できるかの合理的根拠を準備することが重要だ。

白井邦芳「CSR視点で広報を考える」バックナンバー
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