箭内さん!どうして「無茶振り」が好きなんですか?

—着地点は、ちょっとは予想しているんですか?

着地点は予測しています。何パターンか。失敗してもこういう味が絶対出る、とか、うまくいったら誰も見たことのないものができる、とか。だからこそ、前回のスタッフィングの話(コラム第5回)にも出ましたけど、そこに応えられない相手や、それを失礼だと感じる人、「だったら、なんで俺に頼むんだよ」っていう人とは、あんまり仕事をしなくなっていくし、その無茶振りを意気に感じてくれない相手とは、やっぱり長くは続かないですね。

具体的な絵を想定しているんじゃなくて、こういう感じですごいフレッシュなものができるだろう、とか、見たことのない結末になるだろう、とか、そういうのを想定しています。もちろん、そういう無茶振りをする時には、「骨は拾うよ」というか、失敗したときの責任は自分が取るからというのは伝えます。心中する覚悟でやると、みんな意気に感じて応えてくれる。無茶振りしっぱなしにしないっていうことが一番大事なんです。

—リーダーとしての、一つのあり方かも知れませんね。逆に、箭内さんが無茶振りを受けたことはありますか?

18年前に金髪にしたのは自分への無茶振りだったんだと思います。「金髪でロクなものをつくってなかったら恥ずかしい」というハードルを自分に設けた。それと、いくつかある中では、NHKの「トップランナー」の司会は、相当大きな無茶振りでしたね。それを僕にオファーしてきたこと自体が。

僕がどこかで司会をしているのを見て、「あいつの司会、割とアリだな」って思って頼んだわけじゃない。どうして頼んできたかっていうと、後で聞いた話では、僕が「トップランナー」にゲストとして出たときに、司会の本上まなみさんの様子がいつもと違っていたらしいんです。目の輝きだったり、ノリの良さだったり、油断やツッコミの具合だったりっていうのが。それが、NHKのプロデューサーやディレクターの中で強く印象に残っていたらしくて。僕の、その場に居合わせた相手に思わぬ影響を与えられるっていう部分を、MCに使おうと思ったそうです。

さっきの、高所恐怖症のバンジージャンプじゃないけど、この人のこの部分を使えばこれまでと違うことができるかもしれない、この適性を応用すれば新しいものが生まれるかもしれないっていうのが、無茶振りの一つの見極めポイントだろうなとは思いますね。

—AKB48の楽曲で、ゼクシィのCMソングでもある『しあわせを分けなさい』を、箭内さんが歌っていたのには驚きました。秋元康さんはなぜ、箭内さんなら歌えると思ったんでしょう?

秋元さんの無茶振りは、確信半分と、曖昧な情報半分なんじゃないかなと思いますね。そこが発想を飛躍させる技術でもあるんじゃないかと。

「そういえば箭内くん紅白歌合戦に出てたよね、歌ってるのも見たことあるし、歌も知ってる」って言われた。でも、実はそんなに知らないんじゃないかなと思う。「猪苗代湖ズ」(福島県出身のミュージシャンとクリエイターによるバンド)じゃ、僕はボーカルじゃなくコーラス担当だったし。でもそこを厳密にやったら、無茶振りなんて怖くてできないんだよね。

秋元さんのやり方が参考になるのはそこで、いい加減な部分というか、曖昧なまま無茶振りする部分があればあるほど、デカイものになる可能性はあるんじゃないですかね。運も含めて。

秋元さんから僕への無茶振りは、僕に福島県に新しくできる学校の校歌の作曲をしろって言ったことが始まりでした。ある日、秋元さんの事務所に呼ばれて、その学校の校歌について相談したいって言われて。「僕が校歌を作詞するときに何か気をつけることがあったら、教えてよ」って相談されるんだと思って打ち合わせに行ったんだけど、そうではなかった。

秋元:「作詞は僕がするんじゃなく、”普遍的な人”にお願いするのがいいと思う」
箭内:「谷川俊太郎さんのような」
秋元:「谷川さん、いいね」 
箭内:「僕から頼んでみます」 
秋元:「作曲は誰にお願いしようか」 
箭内:「誰がいいですかね〜」 
秋元:「箭内くんがいいんじゃないかな」 
箭内:「え????」

僕は作曲をするなんて全く思ってないし、仕事としての作曲なんて一度もしたことがない。秋元さん、すごいなって思った。あれは“無茶振られ”の効果を知っている僕でも驚きました。そして、完成した校歌を聴いて「箭内くん、今度AKBにも書いてよ」って…それがAKB48の45枚目のシングルの作曲っていうところまでつながっていくわけだから、またすごい。

ゼクシィのCMソングをAKB48がという話になって、今年の「AKB48 45thシングル 選抜総選挙」で選ばれた16人が歌うことにしようと決まったのだけど、総選挙は6月なのに、ゼクシィのCMは5月に始まる。選抜メンバーが決まるまでの間をどうするかという話になったとき、「仮歌を箭内くんが歌って」と言われたんです。昔、東急エージェンシーのプランナーが永谷園のお茶漬けを食べるっていうCMがあったんだけど、「そういう、ものをつくる人の思いがそのまま出ているクリエイティブは強い」って。そこに、秋元さんの確信はあったんだよね。そのなかで「箭内くん歌ってよ」って言った。そのあとのやりとりの中でも、「箭内くんと AKBのデュエットはどうか」とか、とんでもないことを言ってきていたから、俺の無茶振りも、まだまだだなと思いますね(笑)。

—無茶振りしているのは箭内さんだけじゃないんですね。でも、受け止められるスタッフを用意するのもそうだし、効果を信じてくれる周囲の環境をつくるのって、難しいですよね。無茶振りには、信じる力と、着地させる高度な技術が必要なのかもしれません。

あとは、無茶振りが行われているときは、不思議なマジックタイムっていうか、何か特別な磁場みたいなものができるんです。遮りづらさというか、それ止めたら野暮でしょ、みたいな空気ができるんですよね。「そこに私も乗っかる!」「俺も一票!」みたいな。

次ページ 「無茶振りし続けて、相手との関係性が悪くなったりはしないんですか?」へ続く

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箭内 道彦
箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

箭内 道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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