
パナソニックは、2018年に創業100周年を迎えます。本連載では、宣伝活動に積極的に取り組み、広告文化史の一翼を担ってきた同社の広告を振り返ります。登場するのは、代表的な広告の制作者や出演者。いかに社会を洞察し、どんな議論を経て広告表現に落とし込んでいったのか。100年間企業を存続させたパナソニック流の宣伝とは何かに迫ります。
※『松下幸之助 ビジネス・ルール名言集』(PHPビジネス新書)より
良い製品は知らせる義務がある
パナソニックの宣伝は、ここから始まった。1927年新聞広告。
パナソニック(松下電器産業)の創業者・松下幸之助は、製品を販売するための広告、宣伝は意義深いものであると考えていました。
同社にとって宣伝は、ものづくりとは切っても切れない関係。製・販・宣は一体であり「良い製品があれば、それをいち早く人々に知らせる義務がある」という考え方は、いまも受け継がれています。
1927年、「ナショナル」の商標を使用した初めての新聞広告が掲出されました。
小スペースながらも松下幸之助が三日三晩、コピーや文字の大きさを熟慮してつくったのは「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」という三行広告。本来なら「買って徳用」となるところを、「安心」を前に置き「品質の大事さを訴えたい」という思いを表現しています。パナソニックが得意とする、製品中心の広告制作は、ここから始まったのです。
その後、松下幸之助は、一製品の広告にとどまらず、企業広告にも熱心に取り組み、企業哲学を社会に正しく伝え、理解を深めるための活動を積極的に行っていきました。
企業の意志を直接社会に伝える宣伝を重視した松下幸之助は、初代・宣伝部長を務めます。それ以来パナソニックは、60年以上にわたり社内で広告を企画・制作してきました。